第12話 窓の外を見るオルガ
結婚して一ヶ月、オルガはちょっとした病により療養していることにされていた。この時期、コンラートは関係が緊張している隣国に対する警戒のため前線近くの要塞で指揮を執っていた。そこに新妻を連れて行く事はできないし、「悪役令嬢」の模倣は必要ないが「伯爵夫人」として振る舞えるように様々な教育を受けていた。
そのころ、民衆の間ではオルガについてこう噂されていた。「結婚で伯爵家という檻の中に閉じ込められて病気になった」と。オルガのような好き勝手ワガママを尽くした悪役の女にようやく天罰が下ったのだと。でも、本物のオルガは何処かに出奔し、すり替わっている事は大多数は知らなかった。
「オルガ様、何を見ておられるのですか?」
オルガは着替えをしている間、ずっと窓の外をみていた。窓の外には春先の美しい青空が広がっていた。
「旦那様は何をいまごろされておられるのかと考えていたのですわ」
ヒルデに着替えさせてもらいながらオルガはそういったが、本当はコンラートの事よりも想っていたことがあった。それは孤児院での生活だ。伯爵夫人としての生活はめぐまれていた。夢のような美しい服を使用人が着せてくれるし、貴族階級でも質素だといわれていても飢える事もないし、雨露を充分に防いでくれる屋敷で寝起きができる。そのかわり失ったのは薬の行商人オルガとしての自由な行動であった。
「そうですね、隣国のジャー皇帝は油断できませんから。早く戻ってきてほしいですね旦那様には」
オルガが着替えたのはダンス用のドレスだった。これは「悪役令嬢」オルガがダンスが好きだったので、急に嫌いになったとか出来なくなったといった事が出来ないためだ。そこを外すと世間から不審に思われるからだ。その日は舞踏会の練習であった。もちろん講師は秘書のセバスチャンが金で口を閉ざすような講師を呼んでいた。
オルガは慣れない貴族のダンスに璧璧していた。本当なら今頃、孤児院に戻って春の祭りで賛美歌を歌って、村の男たちと踊っていたはずだった。今はニセモノの伯爵夫人とバレないように教育されていた。オルガはこんなはずではなかったと思っていた。言い寄ってくる男はいっぱいいても、好きな男が出来た事もないし、男と付き合った事はないのに、いつのまにか処女でなくなったことは信じられなかった。
「オルガ様、踊りは申し分ないとは思いますが、なぜか民衆がするようなダンスのように感じますわ」
ダンスの講師として呼ばれた夫人はそういった。彼女はセバスチャンが手配した王国の友好国の者で、オルガの”悪評”をあまり知らなかった。またオルガが男を誘惑するダンスの名手であることも知らなかった。
「そうですか? 少し体調がすぐれないかしら。どこを手直しすればよろしいでしょうか?」
そう素直に話すのを見てヒルデは今まで聞いて来た噂の中のオルガはどこにいるのだろうかと思っていた。その時、彼女は自分が仕える主人が孤児出身だと知らなかったが、それを知る術はなかった。
ダンスの練習が終わり、オルガはまた窓の外を見ていた。本当だったら今頃、孤児院に戻って村の春の祭りに参加していたはずなのにと考えていた。長い冬が終わった歓びの祭りだ。幼い頃から楽しみにしていたというのに、今は囚人と変わらない生活だ。違うのは罪に向き合うこともなく非合理な扱いを受けない事だろう。
オルガは「故郷」として慕う孤児院の方角を見ていた。そこまで行くには徒歩で六日かかるところだった。そしてそこはノルトハイム辺境伯領内だった。まさか、そこを治めている領主の夫人の「ふり」をしているなんて信じられなかった。これは悪夢なのだろうか? それとも、なんだろうか?
オルガは自分の幼い頃の事を思い出していた。オルガは金髪碧眼であるが、この王国の支配階級である貴族の多くがそうであった、もちろん例外も多いが。オルガが居た孤児院は両親を亡くしたり、どうしても育てられない事情があるといった子供が多かった。オルガのように乳飲み子で遺棄されたのは珍しかった。
幼い頃の記憶にほんのり覚えている光景があった。教会でお手伝いをしている時に自分の噂をしている婦人の立ち話を聞いてしまった。それはオルガの金髪碧眼についてだった。オルガという娘は貴族か騎士の女などが密通して誕生したから捨てられたのではないかと噂していた。それを聞いてオルガは泣いた。自分って邪魔だから捨てられたのだと悲しんだ。
その時だった、教会にいた年老いた牧師が注意してくれた。こうしてオルガが生きているのは神の意志だと。そして慰めてくれた。お前のご両親にやむを得ない事情があったから、いつか迎えに来てくれるはずだと。だから、大きくなって、もしかすると本当の両親に会えるかもしれないと思い国中を旅できる行商人になったというのに。
「オルガさま、着替えませんか? 汗をかいたままでは風邪を召しますわ」
促されるまま着替え始めたが、人に手伝ってもらって着替えるのは堕落したように感じていた。それに、他人に身体を触れられるのも違和感しかなかった。
「ねえ、ヒルデ。幼い頃どのようなお伽話を聞かせてもらったことがあるの」
オルガはふと、こんな事を聞いていた。ちょっとした思い付きであったが、孤児院にいた時の事を思い出したからだ。孤児院ではいろんな年齢の子供がいたが、15歳になると出て行かないとならないので、次第にオルガが年長者になって、小さな子供に童話を聞かせていた。そのとき、悪い令嬢が悪行の限りを尽くした末に罰を受けるというもだった。
「そうですわね・・・」
ヒルデはいろんな話を出してきたが、ヒルデの背後から見える青い空の方に視線が向かっていた。オルガの脳裏には幼い頃の想いが蘇っていた。
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