第27話 真の敵
食材はやきそば用の豚ばら肉、キャベツ、専用ソース、麺。
それにフレンチドック用のロングウィンナー。
りんご飴用のりんご。たこ焼き用のたこぶつ切り、かつお節、小麦粉だけであった。
テーブルに並べた食材を眺めていた道矢が勢いよく手を叩いた。
「よし、決まった! 美味先輩、水二、やきそば用ソース三の割合で入れた鍋を沸かしてください」
「総長、包丁でキャベツを四つにカット、りんごは小さくカットしたら超みじん切りにして」
「ノブナガは小麦粉を水で溶かしてからこねて。粉っぽい部分無くなったらこっちに教えて」
美味の意図がわからずとも自分のやるべき事に最善を尽くす、ミナモトの側で不安げにこちらを見詰める巳茅へチラリと目をやりつつ、道矢は屋台の中を右往左往しながら料理を進めた。
「成程、どんな料理かわかってきたぞ、鳴瀬道矢」
「さすが美味先輩。あともう少しで完成すよ」
「ふむ、それだがな……」
美味が自らの両耳を指で引っ張り、次いでミナモトへ指をやる。
こんな地底から地上での会話を全て聞いていたという奴の耳に気を付けろ、というジェスチャーである。
それを理解した道矢はオーケーサインの手を美味へ向ける。
頷く美味が自らの胸に巨乳の膨らみを両手で表現した。
それに首を傾げる道矢に今度は見えない長髪を片手で払いのけ腰に両手を当てる仕草を見せる。
文乃先輩のマネ? ああ文乃先輩が渡した対人型土魚兵器を用意しろって事か。
二度頷いた道矢がオーケーサインを美味に送った。
「ははっ姉貴、それ文乃のマネっすか。あー、なるへそ、あいつが寄こした兵器……」
美味が殺気だらけの目を大きくして総長の顔面にハリセンを叩き込んだ。
「いてえ! 何んで叩くんすか姉……」
人差し指を口に当てる道矢に気付き、やっと叩かれた意味を理解したのか、バツの悪そうな顔で総長が鼻の頭をさすった。
「どうしたざんす?」
「いや、このアホウが材料をつまみ食いしようてしてたのでな。思い切りお仕置きしてやったのだ」
丸椅子に腰掛けるミナモトが閉じた目を美味に向けると静かに笑い声を上げた。
「ホホホホ……その材料とやらに総長は手を伸ばして無いざんしょ。それに美味、ワテクシの耳を警戒する様食糧に身振り手振りで伝えたざんすね。そして食糧、あなたはそれに了解する様手の形を変えた」
この人、目が見えない振りをしていたのか?
そう思う道矢だったがすぐに訂正した。
何故なら言い方がおかしい、何というか透視でもした様な言い方だ。
「空気の変動を聞き取って、こちらの動きを読んだか」
美味が忌々しげに吐き捨てる。
「ホホホ、地上に逃げたあなたの声をここから聞く為に必死の努力で取得したスキルの副効果ざんす。おわかり? ワテクシの目が見えないからと妙な事を企んでも全てお見通しざんすよ」
美味が道矢に向けた顔を慌てて逸らす。
そして苦虫を噛み潰した表情を浮かべた。
ミナモトが容易く行動を読めると言ってる側から助け船を求める行動をした己の愚かさを悔いているのだ。
「ほらほら、さっきまでの勢いはどうしたざんす? ワテクシに美味しい料理を食べさせるんじゃなかったざんすか?」
美味の狼狽に満足したのか上機嫌で笑う口を手で隠す。
「……わかっている、クソババア」
そう言った美味が怒り心頭の表情を解き、大きく息を吐き出した。
「鳴瀬道矢、四つの調味料はどうした?」
「え? ……あ……ああ! はい!」
道矢の脳裏に、大きな胸を突き出し偉そうに指を立てて説明する文乃の姿が思い出された。
『いい、敵はあんたの料理に興味あるみたいだからそれ用の秘密兵器を用意してあげたわ。赤、青、白、黄、四つの顆粒、それぞれ袋詰めになってるから。単体じゃ無味無臭で何の効果もないんだけど、四つ合わさると恐ろしい成分になっちゃうの。は? 何で最初から一つにしないのかですって? うるさいわね、成分的に混合させるとすっごい悪臭を発するのよ、急遽作ったやつだからしょうがないでしょ。後はあんたの頭で上手く料理に盛りなさい、わかった? それで肝心の効果っていうのがね―――――』
ウエストポーチから手の平に収まる四つの袋を取り出し、屋台の小さなテーブルの上に置く。
「さて、確かこの調味料は混ぜると危な……不味くなるのだったな」
美味が赤い顆粒の入った袋を摘まみながら道矢へ尋ねる様に言う。
「そ、そうですよ美味先輩。それは……汁に混ぜてください」
「うむ」
袋の封を切り、ぐつぐつ湯気を上げる小鍋に顆粒を入れる。
そんな美味へ顔を向けたミナモトが鼻を鳴らした。
「調味料というものは香りが無いのざんすか?」
「だ、大体はそうだな。その、香りではなく味を膨らませるのが調味料の役目だからな」
その後、青の顆粒を麺に、白の顆粒を水餃子に混ぜる。
そして――――黄の顆粒が残ってしまった。
何とも間抜けな事に、美味から言われるまで道矢はすっかり四つの顆粒の事を忘れていたのである。
一瞬混ぜ終えた三つのどれかに盛ろうかと思ったが、それは危険過ぎると判断した。
「うーん……」
腰に手を当て、天を仰ぐ様に背筋を伸ばす。
「ん?」
ズボンの後ろポケットに何かあるのに気付いた。
手を入れると、ピーナッツチョコが入った箱であった。
「はい、出来ました」
足を組んで丸椅子に座るミナモトの前に来た道矢らは簡易テーブルを立てると、一見つけ麺に見える料理をその上に並べた。
「なんざんす? これは」
「つけやきそばです。サイドメニューはウィンナーを包んだ水餃子。デザートはピーナッツチョコです」
「……つけやきそば?」
「豚ばら肉、カットしたキャベツ、タコぶつ切り、そしてみじん切りにしたりんごをたっぷりのやきそば用ソースで煮込んだつけ汁に、フライパンで炒めたやきそばを浸して食べる料理です。ウィンナー水餃子はつけ汁をタレ代わりにして食べてください」
「……まずお前が食べるざんす」
案の定毒見をする様言ってきたミナモトを前に、たっぷりかつお節が振り掛けられた麺を道矢が一口すする。
「うん、いい塩梅で炒めてある。かつお節のおかげでこのままでも結構美味しいな」
そして湯気が上がるつけ汁をスプーンですくった美味が数回息を吹きかけ口に入れた。
「むっ、甘じょっぱく濃厚な汁にりんごの酸味が複雑な余韻を引き立てて……これは美味いぞ! 鳴瀬道矢」
ミナモトそっちのけで満面の笑みを道矢へ向ける美味。
「うへぇ、この水餃子もウメーっすよコンチクショー!」
総長が口をモグモグさせつつ頬に手を当てるとエビス顔になった。
「ちょっと総長お姉様、私にも食べさせなさいな」
「あー、悪い悪い、オメーが作ったんだもんな」
ノブナガが箸で水餃子を掴むと口へ運んだ。
「あらら! つるっとモチモチ、パリッとウィンナーの肉汁が弾けますわ。これは大層イケますわ!」
目に星を輝かせたノブナガがもう一個とばかりに箸を伸ばす。
それを箸を持った手で総長がブロックした。
「おうおう、何勝手にもう一個食おうとしてんだよ、ダメだぜ。まずは俺っちがもう一口食べてからだ……もぐっ、むしゃむしゃ……ウメー、何だよつけ汁で食べるととんでもなくウメー、がはは! 何か笑っちまう美味さだぜ」
「んもう! 食べながら喋るなんてお下品ですわ。さて、では私ももう一つ頂きましょうか」
これにとうとうミナモトがゴクリと喉を鳴らした。
「何をやってるざんすか! 味見が終わったらさっさと母に出すざんす!」
美味がニヤリと笑う。
「何だクソババア、そんなに早く食べたかったのか」
「違うざんす! その、あれざんす。人間のエサがどんなものかとっとと判断してやるざんす」
内心ほくそ笑んだ美味が道矢らに声を掛け、再び料理をミナモトの前に並べた。
「箸は使えるのか?」
「バカにしちゃいけないざんす。美味、あなたが使えるのを知ってワテクシも必死に覚えたざんすのよ」
それに美味は軽く驚いた。
何故なら彼女自身も箸使いを覚えるのにかなり苦労したからだ。だがそれも、人間の料理を人間のマナーに則って食べる、という彼女なりのポリシーがあったからだ。
それと同時に、ここを去った自分と想いを共有したいが為に箸使いを覚えたという事に美味は何ともいえない驚きと胸の熱さを感じてしまった。
「そ、それで食べ方だが、そのつけ汁に麺を浸し、すすって食べるのだ。つけ汁は熱いが麺を入れる事で火傷する熱さでは無くなるので安心しろ」
「この水餃子とピーナッツチョコを食べるタイミングは、つけやきそばを食べ終わってからざんすか?」
「何を言っている、ピーナッツチョコは充実感を高める為最後に頂くのだ。水餃子は……そうだな、つけやきそばを半分以上食べた所で頂くのがいいんじゃないか」
「ふむ、わかったざんす」
並べられた料理をじっと閉じた目で見渡したミナモトが箸を伸ばす。
「あ、こら! それはデザートで最後に食べるものと言ったろう」
ミナモトが初めて口に入れた人間の食べ物はピーナッツチョコであった。
「もぐ……もぐ……ん?……んん?」
最初は恐る恐る噛んでる風だったが、一瞬動きが止まってからそれは一変する。
残り二つのピーナッツチョコを次々と口に運び、せわしく鼻息を漏らしながらもぐもぐと噛みしめつつ至福の表情で天を仰ぐ。
「む……っふう~。こ、これは……」
息を飲みつつ、道矢達がミナモトの次の言葉を待つ。
「お前たちが地上でこれを美味しいと食べているのを聞いてからずーっと食べたいと思ってたざんすのよ。オホッ! 確かにこれは……オホホッ! うま……」
一同刮目してミナモトの口を見る。
「へへっ、ウメーだろ?」
その総長の一言でうっとりしていたミナモトの顔が平静を取り戻してしまった。
「うま……うま……いえ、何でも無いざんす」
美味が鬼の形相で総長の顔にハリセンを叩き込む。
それはそれは強烈な一撃で、ハリセンが完全に折り曲がる程だった。
「いってえー!! わかっ、わかってるっすよ。思わず余計な事言っちまったのわかってるっす」
涙を浮かべ、鼻の先を指でさする総長が何度も頭を下げる。
「ホホホ……思ったより食糧のエサはまともな様ざんすね。さて……」
閉じた目をつけやきそばに向けた後、箸を伸ばし麺を摘み上げた。
そしてつけ汁に浸し、若干ぎこちない動きで口へと運ぶ。
麺をすする音が屋台の並ぶ鍾乳洞に響いた。
口をもぐもぐ動かし、ゴクリとつけやきそばを飲み込んだミナモトの動きが止まった。
その顔は真顔である。
思い出したかの様に箸が動き、驚くべき速さでつけ汁に浸した麺をすすり出した。
「……ふーっ……」
麺を食べ終えたミナモトが空の皿に箸を置く。
そして、満面の笑みを浮かべた。
何て美しいんだ…………
美味しいものを食べた時に見せる口の表情、それを愛する道矢がミナモトの口元に恍惚となる。
そんな道矢に気付くはずも無く、組んだ腕を指で叩きながら美味が尋ねた。
「おいクソババア、そこまで食べればわかるだろう。美味いか不味いか言え」
「……い、いわなきゃいけないざんすか?」
満面の笑みに悲しみを加えた顔でミナモトが美味を見る。
生れてこの方、ミナモトは嘘をついた事が無かった。
いや、このファミリーの長としてつく必要が無かったのだ。
そんなミナモトが初めての嘘を口にするのに躊躇するのも、無理からぬ事であろう。
「当たり前だ!」
「食糧のエサがよもやこんな……こんな……想像を超えたものとは……ホホッ! いや、でもダメざんす。美味がワテクシには、どうしてもどうしても……」
両手で頭を抱えブツブツ呟くミナモトに美味が微笑みながら押しの一手をかけた。
「クソババ……母上、人間界にはこれと同等かそれ以上の美味しい食べ物が数え切れない程あるのだぞ。そうだ、今度私と行ってみないか?」
それにミナモトが呻き声を上げ、両手で抱えた頭を振り始める。
「ダメざんすー!……はっ、そうざんす! これをまだ食べてなかったざんす」
持ち上げた頭から両手を離し、ウィンナー水餃子――四つ目の顆粒が入った――が盛られた器を掴む。
それに美味は、してやったり! と心の中でガッツポーズを決める。
「美味先輩のお母さん、それを食べちゃダメです!」
道矢が叫んだ。
驚きの表情を浮かべた美味が素早く道矢へ顔を向ける。
「鳴瀬道矢……お前……」
そう言うと口を真横に結び、咎める様な眼差しでじっと睨んだ。
道矢はそれを負けない眼差しを美味の視線にぶつけた。
そして自分の言いたい事を伝えたいと思った。
だが空気の流れで全てを読み取るミナモトの前では言葉を出すどころか身振り手振りのゼスチャーすら出せなかった。
そんな道矢の頭にふとある出来事が思い出された。
そう、夏祭りの屋台で美味、総長と交わした秘密のやりとり。
「わかります、美味先輩」
そう言って道矢は手を一回叩いた。
「でも美味先輩のお母さんは人間の料理をわからない」
今度は手を二回叩く。
微妙にズレた道矢の言動に目を丸くした美味だったがすぐにその意図を理解した。
成程、屋台勝負でノブナガの盗聴を防ぐ為のやりとりの応用だな。手を一回叩くのは「オッケー」二回叩くのは「ノー」、つまり「わかります」はそのまま「わかります」で、「クソババアは人間の料理がわからない」はその逆「料理をわかる」と言いたいのだな。
微塵も表情を変えないまま美味は理解した。
「言いたい事がわからん。よもやクソババアが学園の人間を襲わせた張本人では無いと言いたいのか?」
そう言って手を二回叩く(「言いたい事はわかる。だがクソババアは学園の人間を襲わせた張本人なのだぞ?」)。
「お母さんと美味先輩は同じなんですよ。その証拠にあんなに美しい口をした」
そう言った道矢が手を一回叩く。
美味は鉄面皮の下で込み上げる笑いを必死に堪えた。
道矢が口フェチだったのを思い出したからだ。
「まったくもってその通りだな」
言い終える前に手を二回叩く(「まるで違うな」)。
「で、でしょう? だからこの方法最高過ぎると思うんですよ。それにほら……」
道矢が手を二度叩き(「そ、そうでうすか? でもこの方法は最悪だと思うんですよ。それにほら……」)、そのまま屋台の方へ手を向ける。
促されるままやった視線の先には面識の無い自分の妹達が居た。
相も変わらず感情の無い表情だ、と思ったが違った。
まず気付いたのは目に好奇心の光が灯っていた、まるでストーブの上の餅が膨らむのを初めて見た子供の様に。
そして一様に口が少し開かれていた。
中にはヨダレを垂らしている者もいる。
これには驚くと同時にまたも笑い出したい衝動に襲われた。
何故なら初めて道矢と出会った時の事を思い出したからだ。
初めてピーナッツチョコを食べようとした私は、きっとあんな顔をしていたのだろうな。
心の中で短く笑った美味が道矢へ向き直る。
「鳴瀬道矢、お前は料理で妹を導きたいと言ってたが、それ以上の高望みをするのは危険だぞ」
手を一回叩いた。
「わかりません。だから俺を信じるなんてよしてください」
手を二回叩く(「わかってます。でも俺を信じてください」)。
それにまったく表情を変えず、道矢を睨み続けた美味が口を開く。
「甘い、それはまったく甘いぞ。鳴瀬道矢」
言い終え、数秒の間を作ってから意味あり気にゆっくり手を一回叩いた。
二人の視線がぶつかり合う状態が続く。
その均衡を破ったのは美味だった。
「料理の力をまるで信じないお前のそういう所が私は大嫌いだ。後は知らん、私は一切手を出さないぞ」
そして手を二回叩く(「料理の力を信じるお前のそういう所が私は大好きだ。後は私に任せろ」)。
ぶつかり合う視線が緩むのを二人は感じた。
そんな二人を見ながらミナモトが口を開く。
「何やら噛み合わない会話をしてたざんすが、要は仕掛けをしてたざんすね。あなた達が一品ずつ食べても何とも無かった所を見ると、全て合わさると効果が出る薬を料理に分散して混ぜた、という所ざんすか」
「で、でもよー、どうだったんだよ母上、道矢と俺っちらの料理は間違っても不味くは無かったろ?」
「道矢さんはあえて策を放棄しましたわ。お母様が思ったままの言葉を口にすると信じて」
総長とノブナガが何とか顆粒を仕掛けた件をうやむやにしようと苦しい誘導をする。
「ちょっと二人共黙ってるざんす」
そう言ってミナモトが口に手を当て考え込む。
黙っていれば成功していた罠を直前でばらすという事は料理で勝てると見込んだからであろう。
事実、この料理は生まれてこの方体験した事が無い衝撃があった。
それこそ今まで口にしていた人間の肉が、ただ腹と自尊心を満たすだけのものだったのかと思い知らされる程に。
更にはこの食糧がここにある数少ない材料だけであの味を作り上げた事にも衝撃を覚える。
数少ない料理に関する知識では、作る料理を決めてから材料を集めるものではなかったか?
もしや成体近くのこの食糧、食糧界の三ツ星シェフとかいうのではないのか?
「そうだとしたら大したものざんす」
人間には聞き取れない音量で呟く。
だが美味を手元へ取り戻す事に比べれば些細な事だった。
美味は――最初の娘は、間違いなく優れている。
自分に次ぐ強靭な歯を持ち、他の娘が束になっても敵わないしたたかな思考も併せ持つ。
そして何より、多くの子を産める能力を有している。
これは何よりも大事だ。
地球の頂点に立つのは自分、だが自分限りで終わりにしたくない。
自分の血を持つ者が延々と頂点に立ち続けなければならない。
その為には嘘の一つや二つ位――――
「何て事ないざんす」
口に当てた手を下ろしミナモトがゆっくりと顔を上げた。
「食糧、あなたの作った料理が美味しいか不味いか教えてやるざんす。ふう……それはずばり……」
「おおっと、クソババア」
絶妙なタイミングで美味が発言を遮った。
「何ざんす? 美味」
「嘘を言おうと苦しむクソババアは見ていられなくなってな」
「な、何を言ってるざんす!? ワテクシは……」
「待て、皆まで言うな。そこでだ、代案を提示しよう」
「だからワテクシは何も……」
「この後、クソババアが口にするのが人間の食べ物なら私の勝ち、それ以外のものを食べたならクソババアの勝ち、それでいいだろう」
そう言った美味がビシリとミナモトへ指先を向ける。
「ホホ……また何か企んでるざんすか、まあいいざんしょ」
ミナモトの姿がその場から消え、先程美味の顔に押し当てていた人肉の前へ移動する。
「これで終わりざんす! 嘘をつかせない様母を気遣った美味、感謝するざんすよ」
ドラム缶をも飲み込める様な口をパックリ開き、持ち上げた人肉をその中へ落とそうとしたその時、何かがミナモトの足元に勢い良く転がった。
それは――――ピーナッツチョコ。
人肉を放り出し、条件反射的にピーナッツチョコを両手で拾い上げたミナモトがそのまま口の中へ放り込む。
「はっ!!」
何故自分がこんな事をしたかわからないといった表情で、摩訶不思議なものでも見る様自分の両手を見詰める。
「あはははは、クソババア! 私の勝ちだな」
いつの間に奪い取ったのであろう、道矢のポケットにねじ込まれていたピーナッツチョコの箱を手にした美味が勝ち誇った声を上げた。
「美味……これは……」
「何が何やらといった憐れな面だな、どれしょうがない教えてやろう。このピーナッツチョコというものはな、一度口にしてしまうと虜になってしまう恐ろしくも甘美な食べ物なのだ。それこそ目の前に転がって来たら体が勝手に反応してしまう程にな。ほら」
ミナモトの眉間を狙い、美味が親指でピーナッツチョコを弾く。
人間の目では到底追えない速度で飛ばされたそれをミナモトが右手で掴み、口の中へ放り込む。
「むぐむぐ……た、確かに体が勝手に動くざんす」
「何より美味しいであろう? だがな、これより美味しい食べ物は地上にもっともっとある。もう人間を食べている場合ではないぞ、クソババア」
そう言って力強い笑みを浮かべる美味は輝いて見えた、と同時に何があってもここへ引き留める事は不可能とミナモトは悟った。
仮にそこの食糧二人を利用して引き留めたとしても自分を上回るしたたかな思考でここから出て行くであろう。
自分を突き動かすものを、娘は地上に見出してしまったのだ。
「……悔しいが、ワテクシの負けざんすね。」
「ほお、大人しく負けを認めたか。よし、クソババアからババアに呼び方を変えてやろう」
「一つお願いがあるざんす」
「何だ?」
「た、たまには戻って来て、娘を産んでくれざんす」
「な! 娘を産む? た、確かそれは生殖行為をしないと産めないのだろう。私は、その……鳴瀬道矢としか生殖行動したくないぞ!」
「せいしょくこうどう? 何ざんす、それは?」
「精子を持ってる者と生殖行動すれば子供を産める、と歌津文乃が言っていた。だよな、アホウ」
「そう言ってたっすね。そういや母上はどんな精子もった相手と生殖行動してんすか?」
「お前達は何を言ってるざんす? 勝手に腹が膨れて産んできたざんすよワテクシは」
ナメクジみたいな雌雄同体? いや、見た目は美味先輩と同じ。
体の構造も同じはずだ。じゃあどうやって妊娠してきたんだ? 聖書の話じゃあるまいし……
そう道矢が思った時、鍾乳洞の天井から鈍い振動音が響いてきた。
それはあっという間に大きな振動に代わり、砕けた無数の鍾乳石が次々と地面に突き刺さる。
「鳴瀬道矢、鳴瀬巳茅、危ないぞ」
美味が二人を両脇に抱えるとその場から跳躍して離れる。
「何だこりゃあ」
「あらあら、地震かしら」
総長とノブナガが両手を使い、目にも留まらぬ速さで降り注ぐ破片を弾き飛ばしながら頭上に目を向ける。
「はて? あれは何ざんしょうか」
ミナモトが閉じた目で上を見る。
そのミナモトに人影が急降下して来た。
そして着地寸前でミナモトに一撃を加えると、回転ひねりで後方に着地した。
肩から鮮血を噴き出したミナモトが前のめりに倒れ込む。
「ババア!」
倒れ込んだミナモトに目をやり、次いで彼女に一撃を食らわせた人影へ美味が目を移した。
「ちょい姉貴、あいつどっかで見た事ありやせんか?」
同じ様に人影に目をやった総長が、狐につままれた様な声を出す。
「む!?」
美味が驚きの、というより信じ難いといった声を上げた。
道矢に至っては声も出せない程混乱していた。
何故ならここに来れるはずの無い、知った顔の人物だったからだ。
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