第28話 最終決戦!
「はい、それでは連絡お待ちしてます」
そう言ってスマホを仕舞った文乃が研究所と別室を結ぶ廊下を歩き出した。
別室にはアカウオ、モモウオが拘束されている。
対土魚特殊機関アンスウェアがその身柄を引き渡して欲しいと連絡して来たのだ。
短い廊下の先にある扉の前で立ち止まりセキュリティコードを打ち込む。
この物理的にも厳重な部屋の中に、比類なき強度を誇るマグネシウム合金ワイヤーでがんじがらめにされたアカウオ、モモウオがいる。
この二人をアンスウェアへ引き渡す前に、文乃は出来るだけサンプルを採取したかった。
「美味や総長と違って心置きなくサンプル取りまくってやるわ。うふふ」
三つ重なった扉が左右斜めに次々と開かれ、青白いLED照明に照らされた室内が姿を現す。
「え?……何、これ……」
椅子もテーブルも無いガランとした無味乾燥の八帖間を前に、文乃は一歩後退してしまった。
室内にアカウオ、モモウオの姿は無かった。
代わりに切断されたマグネシウム合金ワイヤーに、血塗れのおかっぱの頭皮、これまた血に塗れたメガネが転がっているだけであった。
自分以外絶対入る事が出来ないこの部屋。
そこで何があったのか文乃はまったく理解出来なかった。
スマホの呼び出し音が鳴る。
後ずさりしながら通話に出るとアンスウェアからだった。
「は、はい、私です……はい、ありがとうございます…………え? それは間違い無いんですか?……でも、そんな……」
文乃はスマホを握りながら額へ手をやった。
目の前の光景に加えてこの電話、脳が混乱の濁流に飲み込まれそうだった。
美味や総長を調査する為この学園へ来たという緋月あかり。
だが彼女の名前は調査官リストには勿論、アンスウェア就業員リストにも一切該当無しというのだ。
「美味ちゅわぁん、総長ちゅわぁん、ノブナガちゅわぁん、会いにきちゃったわよぉぉン」
あかりが腰をクネっとさせ三人に投げキスを送る。
「ヴェ!? あかりじゃねーか。どうやってここ来たんだ? つか人間のクセにどうやって母上倒したんだ?」
「おかしいですわ、あの方間違いなく人間のニオイを放っておりましたのに、今は完全に違うニオイをさせています。何かしらこれ。まったく知らないニオイですわ」
「おい! ノブナガ、びびって屁が漏れてるぞコラァ! クセー! クセーんだよコラァ!」
「ももも、漏れてませんですわ!」
目を鋭くした美味があかりへ口を開いた。
「緋月あかり、貴様何者だ? 少なくとも調査官など生易しいものではないであろう」
「うふふ、当ったりぃぃン」
あかりがその場で体を回転させると、調査官の制服姿から全身黒網タイツの姿に変わった。
「スッゴイ事教えたげよっかぁぁ? ワタシィ、そこに転がってるミナモトちゃんに精子を提供したっていうかぁ、つまりぃ、あなた達のお父さん?」
美味の眉間に皺が寄る。
「ババアと生殖行動をしたというのか、くだらん。精子を持っている者とはそこの鳴瀬道矢の様な男のはずだ」
「あはははは! ワタシがぁ、生殖行動とか原始的な事する訳ないっていうかぁ、ミナモトちゃんを気絶させてる間にぃ、指先でちょちょっと埋め込めば終わりっていうかぁ」
美味は横たわるミナモトへ目をやった。
短く荒い息を立て、血に染まった肩を手で押さえている。
「で、何故ババアにこんな事をした」
あかりがブ厚いメガネに指を当て、まったく邪気の無い笑顔でこう言った。
「だってぇ、もう必要ないんだもン。ルンルン♪」
あかりが両手を大きく上げ、腰をプリンプリン振りながらミナモトの側に行く。
「これ以上産めないのはぁ、さよならぁン。はいっ!」
片足で背中を踏みつけた。
「ぐぁ!!」
ミナモトが口から血を吐く。
「ま、後釜の美味ちゃんを産んだからぁ、とりあえず感謝しちゃおっかなぁン」
踏みつけた足を持ち上げ、そのままミナモトの頭へ持って行き、足の裏で撫でる。
「後釜だと? 私が?」
背筋に寒気が走ったのか、美味がゾゾゾっと体を震わせた。
「そうよぉぉン、今度は美味ちゅわんが沢山沢山たーくさん子供を産むのよン。ミナモトちゃんが四十九匹産んだからぁ、美味ちゃんは百匹産んで貰おっかなぁン」
青ざめた顔に美味が力を込めて怒鳴った。
「貴様一体何者だ! 目的は何なのだ!!」
あかりが無言でブ厚いメガネを外す。
そこに現れたのは真紅の瞳。
まさに緋月あかりの名のとおり、血塗られた月が光っている様であった。
「ワタシィ、宇宙を渡り歩いてる宇宙人の一人? 何てゆっかぁ、生き物いる星見つけたらぁ、そこをワタシ好みの食糧を育てる牧場に改造しちゃうのン。でぇ、飽きてきたらぁ、サヨナラしちゃったりなんかしてぇ、でぇ、ワタシはここを選んじゃったのン。最初はガッカリさんだったわぁン、この星で繁殖している人間はぁ、まぁぁったく食べた気がしなかったからぁ。でぇ、ワタシのお口に合う様人間食べる土魚造ったんだけどぉ、それもそれもなぁぁんか物足りないかったのよン。もうしょうがないからまたまた頑張って人型土魚造ったらぁ、やぁぁぁっと食べられる様になったっていうかぁぁ」
「そ、それが私達という訳か。つまり……私達はお前に食べられる為に作られた。そういう事か」
「ビィィィンゴォォォ! あはははは、地球の新しい生態系頂点とかミナモトちゃんが言ってたけどぉ、実はワタシがそれでした、っていうかぁ、マジ受けるっていうかぁ、あはははは」
「妹が何人か行方不明になっていたのはお前の仕業だったのか」
「またまたビィンゴォ! まあまあ大きくなってダメダメさんなのから食べちゃたぁぁン。あ、そうだ、さっきも食べてきっちゃったのよぉぉン」
そういって長いゲップをするあかり。
それに鼻を鳴らした美味の顔色が変わる。
「このニオイは……アカウオとかいうおっかぱ頭と、ガリメガネか……」
「うっふぅん、人間みたいなミジンコに渡されるなんてもったいないからぁ、食べちゃったぁン」
あかりが赤い目を大きくさせる。
「どんな味かぁ、知りたいン?」
異様なものを見る目で美味は答えない。
「何てゆっかぁ、体は満たされるんだけどぉ。それだけって感じ? 前はそんな事考えもしなかったのにぃぃン。んもぉぉん、美味ちゅわんのせいよぉぉん」
瞬時で目の前に移動してきたあかりに、思わず美味は一歩退いてしまった。
それもそのはず、美味は勿論ミナモトですら捉えられない速さだったからだ。
「アナタがぁ、人間の料理しか食べないなんてワタシほんっとうに意外でぇぇぇぇ!! それなのにアナタとぉぉぉっても、とぉぉぉっても美味しそうなニオイさせてるのよぉぉん。そ・れ・はぁぁ、美味しい食事をしているからなのよぉぉぉン。んもぉぉ!! 我慢できなくて! だからワタシ人間なんかに化けてあの学園に来ちゃったのよぉぉン!」
灼熱の息を荒く吐くあかりの顔の一部が変化した。
そこからはドロドロした黒く小さな泡がボコボコ湧き立っている。
「うっふぅぅん……いいニオイィィィ! もう我慢できないぃぃ、一口だけ、一口だけ……ね?」
その言葉に恐怖を感じた美味は後ろに飛んで逃れようとした、だが体が動かなかった。
真紅の目を前に全身が萎縮していた。
音も無くあかりの手が伸び、バナナの皮でも剥く様美味の左耳を千切り取る。
「うっ!?……あ、ああーっ!!」
左耳があった所へ手をやり、美味が激痛の悲鳴を上げてうずくまった。
「んぅぅ……すっごく美味しいぃぃぃぃぃンンン!! あはっ、いっけなぁぁい、つまみ喰いしちゃったぁン」
左耳を二、三度噛んで飲み込んだあかりが、恍惚の表情で唇に付いた血をペロリと舐める。
全身を硬直させたまま道矢はその顔を『醜い』と思った。
人間は他の生物を食べなければ生きて行けない、それは紛れも無い真理である。
だからこそ口にする物全てに敬意を持たなければならない。
食べ物を粗末にすると、道矢が我を忘れ激怒する理由はそこにあった。
美味の耳を引き裂き、口にしたあかりの顔には敬意の欠片も無かった。
そこには自分の欲求を満たす為だけに生き物を弄ぶ傲慢な顔があるだけだった。
あかりが何かを思い出した様にくるりと体を反転させ道矢へ手を向ける。
「えぇぇっとぉ? 道矢ちゃん、だっけぇ? 地球でちょこまか生きてる憐れなミジンコと思ってた人間にもぉ、あなたみたいに役に立つのがいるのねン」
真紅の目が細くなり、笑みを浮かべた口がパリパリと耳まで裂けた。
それは並みの人間では到底正視出来るシロモノでは無く、顔を動かす事すらままならない道矢は思わず目を閉じた。
「あなた料理で妹を救うんだっけぇぇ? あはっ! それぇぇ、もうダメダメン。代わりにワタシを救ってぇぇぇン。今の美味ちゅわんの耳とぉぉぉっても美味しかったわぁぁん。あなたの料理を食べてたからよぉん。つまりぃ、ワタシの喰べる人型土魚の料理人になって欲しいのぉン」
目を閉じていても道矢にはわかった。
以前美味と総長が放った気の当たりに体が硬直したが、あかりのそれは比較にならない程強力だった。
背筋が凍って息が止まり、両足がガクガク震え股間が弛緩するのを感じた。
「高級バームクーヘンを喰べさせた豚ちゃんはとぉぉっても脂が甘くて美味しい豚ちゃんになるのよぉぉん? つまりぃ、人型土魚に美味しいエサを喰べさせたらぁ、とぉぉっても美味しい人型土魚になっちゃうって事? ああぁん、ヨダレ垂れるぅぅン」
大きく裂けた口から泡立つヨダレを垂らしながらあかりは腰を左右に振った。
「でぇぇぇ、めでたく人型土魚の料理人に決定しちゃった道矢ちゃぁぁん。最初の料理をお願いしちゃおっかなぁぁン」
真紅の目をカメレオンの様にギロリと動かす、その視線の先に巳茅が居た。
「そこの妹ちゃんをぉぉ、美味しく美味しくぅ、料理しちゃってぇぇぇぇん。あなたが人間を材料に料理作ったらぁ、すっごいの出来ると思うのぉン。それを人型土魚が食べたらもんの凄く美味しい美味しい美味しい美味しいぃぃぃぃぃ人型土魚が出来ちゃってハナマルゥゥゥ! てへっ」
あかりがブクブクと黒い泡が立つ自らの頭をコツンと拳で叩いた。
「ふ、ふざけるな! 鳴瀬巳茅を料理するなど……それも鳴瀬道矢に料理させるなど、断じて許さん!」
血が滴る側頭部に手を当てた美味がフラフラ立ち上がるとあかりを睨んだ。
「あれれぇぇ? 喜ぶと思ったのになぁぁン。道矢ちゃんの料理大好きなんでしょぉぉ? きっとぉ、美味しく調理してくれる筈なのになぁぁン」
「黙れ黙れ黙れ!! お前の言ってる事は全て異常で的外れだ。いい加減にしないと……」
「いい加減にしないとぉ、なぁぁぁぁに?」
耳からの出血が酷く、立っているのもやっとの美味をあかりは顎に手を当てニヤニヤと眺めた。
「くっ! ババ……母上がこんな目に遭わされたというのにお前らは何ボーっとしてるのだ! 跳ねた醤油で目を赤くした様な奴、全員で叩きのめすぞ!」
美味がマネキンの様に立っている妹達へ声を張り上げる。
総勢二十五人の妹達が互いに顔を見合わせ小さく頷いた。
そしてそれぞれ笛の様な音を口から出し始めた。
途端に鍾乳洞の壁や床から無数の土魚が顔を表す。
「あらぁぁぁン、最初に作った失敗作ねぇぇン。んもぉぉ、恥ずかしいからワタシの前に現れちゃいやいやぁぁぁン」
真紅の目を広げ、ニタっと笑ったあかりが耳まで裂けた口をパカっと開く。
それと同時に雷鳴と牛の嘶きを掛け合わせたような咆哮を発した。
怯えた響きを含むピシューッという声を放ち、土魚達が一斉に壁や地面の中へ引っ込んでしまった。
「あははははぁぁ、土魚みたいな失敗作で何をしようとしてたのぉぉぉン? まさかワタシを攻撃する気だったとかぁン? それってぇ、金魚鉢のメダカが人間に戦い挑むっていうかぁ、マジ受けるぅぅぅ」
ケラケラ笑うあかりに、総長が自分の手の平を拳で叩いた。
「それでいいんだよー! 端から下僕なんざ期待してねー、俺っち達が直接叩きのめしてやる! 姉貴そこで見ていてくだせー!」
大きく跳躍し、キックを食らわせ様とあかり目がけ急降下する。
それに連動したノブナガや他の妹達も一斉にあかりへ向かって行った。
「総長ちゅわぁぁん! あなたも美味しそうだけどぉ、まだ食べ頃じゃないのン」
あかりが真っ黒な液体状に変化した。
そして全身からボコボコと黒い泡が湧き立っては割れた。
急降下する総長の頭が突如上を向き、あかりの横を通り過ぎると破片を巻き上げ地面に激突してしまった。
美味には急降下の途中、総長の全身から力が抜けてしまった様に見えた。
だが、そうなった総長だけでは無かった。
あかりに向かって行った全ての妹達が糸を切られた人形の様に倒れて行く。
黒い液体状になったあかりが元の姿に戻るとこう言った。
「暴力を振るおうだなんてワタシ悲しいわぁぁン。でもでもぉ、ざぁぁぁんねン。みぃぃぃんなワタシの体臭を嗅いだら体の自由が利かなくなっちゃう様出来てるのよぉぉン。てへっ」
またも拳で自らの頭を叩く。
万事……休す。
美味はうつろな意識でそう思った。
その時自分の体に小石でも投げられた様、何かが当たった。
当てられた何かが床に落ちる音がする。
目をやるとそれは歯であった。
とっさにミナモトへ顔をやる。
血で真っ赤になった肩を押えて横たわるミナモトがじっとこちらを見ていた。
そして口と目を動かし、何やら合図らしきものを送っている。
瞬時でその意図を理解した美味は目を広げ息を飲んだ。
確かにその手があった。だが、それを成功させるにはいくつかの問題がある。まずあかりが思った様に動いてくれるか――――
「あかりさん、ちょっといいですか」
道矢の声に美味が驚いて振り返った。
「俺は人間です。その代表としてお願いがあります」
頭の一部からボコンと黒い泡を弾かせながらあかりが道矢へ顔を向ける。
「なぁぁに? ミジンコの代表がどうしたのぉぉン」
「人間の料理を食べた事無いでしょう」
「いやぁぁン。ワタシはミジンコのエサを食べる趣味ないわよぉぉン」
「でも美味先輩大好きなんですよ。人間の料理、一度食べてみた方がいいと思いまして。あの、ほら、そこに美味先輩のお母さんが手を付けずに残した水餃子があるんですよ」
道矢が指差した先には、あかりの登場によって鍾乳石の破片が落下したにも関わらず、奇跡的に被害を受けなかった水餃子の皿が載ったテーブルがあった。
「んんぅぅ、どっしよっかなぁぁン。ところであなたぁぁ、これ食べてワタシの気が変わるとでも思ってるんじゃなぁぁい? あらまあ美味しくて目から鱗だわぁぁン。特別賞であなたと妹は地上に帰しちゃうわン、とか期待しちゃってる? っていうかしちゃってたぁぁ? あはっ」
あかりが水餃子のあるテーブルへ瞬時で移動し、腰を曲げ水餃子のニオイを嗅いだ。
そしてうんうんと頷くと片手に箸を持ち、もう一方の手で水餃子の皿を持ち上げる。
「あっはははぁぁン、いったっだきまぁぁぁぁっす」
そう言うと水餃子を一個口の中へ入れた。
「んぅぅ、えぇぇ、ふぇぇぇ」
モグモグとグロテスクな口を動かしゴクリと水餃子を飲み込む。
そして目を閉じると考え込む様宙を見上げた。
「うぅぅぅぅん」
カクっと首を元の角度に下ろしたあかりが赤い目をカッと開いた。
「味がしなぁぁぁぁい。やっぱりぃ、これミジンコのエサエサァァァァン!」
そう言ったあかりが見せつける様に水餃子を皿ごと地面に叩きつけた。
「あはははぁ! 美味しいぃぃ! とか言うの期待しちゃったぁ? ちょ、ちょ、ちょぉぉぉっとでも期待しちゃったぁ? あはははっ、マジ受けるぅぅ」
地面に散らばる水餃子を唖然と見ていた美味の目が恐る恐る道矢へ移る。
鳴瀬道矢、お前もババアを見ていたか! そしてババアの表情から意図を読み取っていたのか。だからあかりへこんな事をさせる様仕向けたのだな。し、しかし、お前がしようとしている行為は危険だぞ、余りにも!!
そう思う美味の視線を背中に受けつつ道矢が両手をパンッ!! と蚊を退治する様叩いた。
そして半開きの死んだ魚みたいな目でふらふらとあかりへ向かって歩き出した。
「あの、あのですね。手から皿が滑り落ちましたよ。おっかしーなあ、宇宙人でしょあんた。確か宇宙人ってタコみたいな格好してるから、手に吸盤あるはずでしょ。何で落とすかなー、吸盤弱ってんじゃねーの?」
「いやぁぁン、何このミジンコ。近づいちゃいやいやぁぁン」
真紅の目を大きく開き、耳まで裂けた口で邪悪な笑みを浮かべる。
それにもまるで動じる事無く道矢はふらふら近づいてゆく。
「えーっと、地球じゃ落としても三秒ルールとかで食べたりするんですけどー、あんた宇宙人だから三秒でも千秒でも関係無く食べられますよね、食べられますよねー!? 残り全部食べてくださいよねー!?」
「ミジンごォォォ!」
ボコボコと口から泡を弾き出すあかりが地面の水餃子を忌々しそうに踏みにじった。
その瞬間、終電が過ぎた駅のホームの明かりが消える様、道矢の目に残された小さな光がふっと消えた。
美味の傍らで巳茅が体をモジモジさせ吐息を吐く。
ああ、また始まっちゃう……お兄ちゃんのアレが。こんなチョー危険な場面だってのに感じちゃうよ~。
「あんた……」
緩慢な動きで人差し指が持ち上がり、あかりへ向けられた。
「落ちこぼれだろ」
目を大きく見開き耳まで裂けた大口に笑みを浮かべたまま、あかりは小さく首を傾げた。
「なぁぁぁに言ってるのかしらぁぁン」
「なーに言ってるのかしらーん、じゃねーんだよ。あんたさっき言ってたよな、宇宙を渡り歩いてる宇宙人の一人、ワタシはここを選んじゃった、ってな」
あかりが目をパチパチさせ、更に首を傾げる。
「つまりー、あんたの他にもいる訳だ。生き物いる星見つけて自分のエサ場にする仲間が。いや、仲間じゃねーな、それなら一つの星を独り占めする訳ねーもんな。同じ種族なだけで自分以外関心ねーってやつか。つまり強い奴からいい星独り占めして自分のエサ場にしちまうんだな」
首を傾げたままのあかりの口から黒い泡が浮かびパチンと弾けた。
あかりは混乱していた。
ミジンコとしか見ていないこんな人間ごときに、一族の事を言い当てられるなど心外中の心外だった。
「でー、あんた言ったよな。ワタシはここを選んじゃった、てな。それって、ここを選ばざる負えなかったって事だよな? なー!?」
「なぁぁぁに言ってるの……」
「なーに言ってるのかしらーん、でしょ? またそれですかー? もしかして図星でした? 当たっちゃったってやつですか? あんたの言葉借りればビーンゴーってやつですかー?」
首を傾いだあかりの顔半分がドロリと黒くなり、ボコボコと泡立ち始めた。
「要するにあれだろ? 種族中の落ちこぼれなんだ、あんた。種族のエリートだったら見向きもしないこの地球をエサ場にするしか選択の余地が無かったっていうか。あんたの言葉借りればマジうけるー、って感じ? わはははは!」
あかりの頭の中は真っ白になっていた。
一族が通り過ぎた宇宙を旅して数千年、こんな気持ちになったのは初めてだった。
何と言おうか、心がザワザワする感じ、こういうのを人間は何と言うのだったろうか?
不愉快。
そう、不愉快だ。
このミジンコにも劣る人間はワタシを不愉快な気持ちにさせている。
だからこんなに体が震えているのか。
だからこんなに何かを滅茶苦茶叩き潰したい衝動に駆られているのか。ワタシが人間ごときに―――――
あかりの全身が泡を噴き出す真っ黒な液体と化した。
それは辛うじて人型を保っていた。
だが、次の瞬簡胸から下腹部にかけ大きな裂け目が出来た。
裂け目は大きな口となり、乱雑に並ぶギザギザの歯がはっきり見える様大きく開かれ、今にも道矢をその中へ飲み込もうとしていた。
「鳴瀬道矢!」
その場で笑い声を上げている道矢を美味が両手で抱えると、その場から大きく跳躍した。
「え?……え? 何? あ、美味先輩」
「ふっ、鳴瀬道矢。お前という奴はまったく……」
着地すると地面に彼を立たせた。
「ババアの顔から策を見抜いたな、鳴瀬道矢」
「は、はい、これしかもう手は無いと思って美味先輩とお母さんの方を見てたら……そ、それより美味先輩、耳は大丈夫なんですか!?」
美味が千切り取られた側の側頭部を見せる。
血が半乾きになった傷口から小さな耳が生えていた。
「私らは腕や足を失っても再生する能力があってな。ご覧の通りだ」
「ほっ……良かった」
安堵の表情で溜息を吐く道矢に美味が呆れた顔になる。
「まったく、本当に死んでしまう事をお前はしていたのだぞ。私の耳なぞ心配してどうする」
そう言った所でくすりと笑う。
「まあそこがお前らしいといえばお前らしいがな、鳴瀬道矢」
「美味ちゅヴぁぁぁン。そのミジンご、取っちゃいやいやン」
胴体に女性器を思わせる縦長の巨大な口を持った人型の黒い液体、その頭部にあかりの顔が現れた。
「そのミジンごだけは、生きたままじっグりねっドり噛み砕いて殺してやらダいと気がすまダいのぉぉぉン」
そう言った縦長の口が大きく開き、ボコボコと黒い泡の飛沫を吐き出す。
美味は液状になったあかりへ人差し指を向けると力強くこう言った。
「私は鳴瀬道矢から料理を山程教わらなければならない! という訳でお前などにやれるか! 代わりにこれでも喰らうのだな」
次の瞬間、あかりは自分の巨大な口の奥に何かが当たるのを感じた。
それは途方も無い勢いだったので反射的に飲み込んでしまった。
驚いたあかりが飛んできた方角へ顔を向ける。
「よ、よくもワテクシの大事な娘達を……喰ったざんすね……」
横たわるミナモトが口からゲロを垂らし、忌々しそうにあかりを睨んでいた。
「ミナモトちゃん、な、何でゲロをワタシに飲ませダのぉぉぉン? 何でゲロ、なぁぁぁぁんでゲロォォォォ!?」
あかりが自らの巨大な口に手を突っ込み掻き回しだした。
「ふう、これで四つの成分全てがあかりの体内に揃ったな。ところで四つ合わさるととんでもない効果があるそうだが、一体どうなるのだ」
「それはですね――――
『それで肝心の効果っていうのがね、息を吐き出せなくなる、つまり息を吸い続ける事しか出来なくなるのよ。は? しょれってどういう事でしゅか? じゃない! いい? 相手は人型土魚のボスよ。私の見立てではこの世界にある毒物なんかに効果があるとは思えないわ。それなら呼吸を狙うしかない。いい? 呼吸をしない生物はこの世に存在しないのよ。まず〝息を吸う事が出来なくなる〟は切ったわ。総長をモニタリングしたら肺活量が二万ミリリットルあったの。息を三十分以上楽勝で止められる数値よ。これじゃ効果で出ても死ぬまでの三十分こちらに襲い掛かって来るわ。で、私が選んだのは〝息を際限なく吸い続け、吐き出せなくなる〟よ。これなら効果が出てすぐ行動不能になるわ。あ、道矢、上手く飲ませる事出来たらこの特殊カメラで録画してきてくれない?』
――――という効果が出るんですよ……って、あー、カメラで録画しなきゃ!」
カメラの入ったバッグを探す為、辺りを見回す道矢の目がある一点で止まる。
泡立つ黒い、あかりの液状の体が膨張を始めていた。
「いぎゃぁぁぁん、いぎゃ………あ……ぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
あかりの胴体に付いている縦長の大口が、離陸直前のジェット機の様な音を立て空気を吸い込み出した。
「ちっきしょー、思いっきりケツから地面に落ちたぜー! あいててて」
「おぞましいですわね。あれが私達の片親だなんて」
体の自由を取り戻した総長とノブナガが尻や肩に手をやりつつ美味の所へ集まって来る。
「おいあかり、さっきは私の耳を千切り取ったり散々ふざけた事をやってくれたな。私はいい様にされるのが何より許せない性質なのだ、きっちり仕返しさせて貰うぞ」
ギョロリとあかりの目が三人に向いた。
そして膨れる体に穴を開け空気を抜こうというのか、自らの脇腹へ向け必死に両手を伸ばし始めた。
「ふん、させるか! おいアホウ」
「合点っす、姉貴」
美味と総長があかりへ走り出す。
「とう!」
美味が高くジャンプ、そのままあかりの腕目がけ自慢の歯を剥き出し急降下をする。
それと同時に総長があかりの腕に下から抱きつきシックスパック腹筋を密着させた。
さながら大根をまな板と包丁で切断する様、すっぱり切り取られたあかりの腕があらぬ方向へ飛んでゆく。
「もう一丁だ!」
「合点!」
同じ様残った腕を切断されたあかりにもはや為す術は無く、ただ真紅の目をクルクル回しながらベコボコと黒い液状の体を膨らますしかなかった。
「これでこいつは只の風船ガムだな。さあて、破裂する前にここをおさらばするか。おい、お前らも早く逃げるのだぞ!」
自分の妹達にそう言った美味が道矢に顔を向けた。
「どれ、地上へ着くまでまた私の口の中へ入るのだ。鳴瀬道矢」
「は、はい、お願いします。美味先輩」
そこで道矢は傍に座り込んでいる巳茅と目が合った。
「あ! 巳茅は?」
「アホウ、鳴瀬巳茅を頼む」
「おいーっす」
「うえ~、またこの中入らなきゃならないの~? 臭くて息苦しいんだよな~」
「んだとコラ、いいから入りやがれ! ……くそっ、ホントは道矢を入れたかったのによー」
洗濯機も飲み込めそうに口を広げた美味が何か思い出した様に口から手を放した。
「ノブナガ、お前はババアを頼む」
「はい、美味お姉様。責任を持ってここからお連れしますわ」
そう言ってノブナガがクスリと笑った。
「その前に美味お姉様と私達の新しい門出を祝う祝砲をお見舞いしてきますわ」
黒いスパッツの中からタブレットケースを取り出し、カプセルを飲み込む。
「成程、盛大に頼むぞ」
「お任せを」
ノブナガが疾風の様にミナモトの元へ行き、彼女を背負うとそのまま膨れるあかりの真上を飛び越える形でジャンプした。
「さあ、祝砲ですわよー!」
スパッツをずり下げたノブナガの尻からこれまでのほら貝の様の音とは違う、トランペットのファンファーレの様な屁が盛大に放たれた。
猛烈な勢い且つ多量の屁は小さなブラックホールと化したあかりの口へ全て吸い込まれて行く。
余りにも壮絶な悪臭なのか、あかりの切断され短くなった腕が進塁を促すコーチャーの様にクルクル回る。
「あらいけませんわ、ちょっと中身が出てしまいました……おほほほ、ごめんあそばせー」
道矢を口に収めた美味、巳茅を口に収めた総長に続き、ミナモトを背負ったノブナガが鍾乳石の天井へ吸い込まれていった。
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