第10話 替え玉10玉目

 こうして美味対総長の大食い勝負が開幕。

 替え玉によりスープが温くなった事で二人の食べる速度は上がった。

 相対的に道矢の麺茹で作業がスピードアップする。

「五、五」

 半分呆れ顔の文乃がドンブリに投入される替え玉をカウントする。

 ハチャメチャにフォークを動かして替え玉を口の中へ流し込む総長に対し、美味は一口が多かった。

 驚く程たっぷりの麺を口へ運ぶのだ。

 マシンガン食いとバズーカ食いの戦いである。

「十八、十八」

 呆れ顔を通り越して不安顔になる文乃。

 それにお構いなく、突き出された二つのドンブリが替え玉を要求する。

「ちょ、ちょっと二人ともスープがほとんど無いよ。新しいの用意するからそれまで休んでてください」

 パニくる道矢に美味が溜息を吐く。

「へっ、姉貴、一息つけるって顔してますぜ。グゥエフ!」

 顔中びっしり汗を浮かべた総長が膨らんだ自分の腹筋を撫でる。

「その言葉、そっくりお前に返してやろうアホウが。ゲフ!」

 口元を押さえる美味は息をするのも苦しそうだ。

「二人共大丈夫ですか?」

 スープと替え玉を入れた新しいドンブリを手に道矢が声を掛ける。


「グフェ、よ、余計な口出しは無用だ……鳴瀬道矢……む?」


 道矢の背後にある棚へ目をやった美味が、あるものを見つけた。


「そ、その赤いビンを寄こしてくれないか、鳴瀬ウブッ!道矢……」

「え? ああ一味唐辛子ですか?」


 棚から小瓶を取り出し、美味の前へ置く。


「成る程、蕎麦屋で使った事のあるこれはいちみナントカというのか。ふっ、コレさえあれば……」


 一味唐辛子を数回振り掛け、麺をすする。


「ふむう! この刺激に香り。これでまた食べる気が起きたぞ」


 ギリギリと歯を食いしばり、総長がその姿を見詰める。


「替え玉だ」


 美味が余裕の顔でドンブリを突き出す。


「じゅ、十九、十八。一杯リード!」


 リードした者を示す様、文乃が美味を指差す。


「ヴヴッ! こら姉貴、それ何だよ! 寄こせっす!」


 忌々しい形相で小瓶をひったくった総長がしげしげと眺める。


「勝手に奪いおって……まあいい、許してやろう。それはな、食欲を増進する魔法の粉だ。だが扱い方が難しい。使うならその点を頭に入れて使う事だな」


 美味が薄ら笑いを浮かべた。


「ふーん、魔法の粉……かー、ふへへっ!」


 美味の顔に一瞬しかめっ面をやった後、自分のドンブリに勢い良く振り掛け始めた。


「あ! そんなにやったら」


 そんな道矢の言葉に耳も貸さず、空になるまで一味唐辛子の瓶を振った総長が得意気にニヤリとする。


「よっしゃー! 俺っち好みのハデな色になったじゃん。これで俺っちが勝っても文句言わないでくだせーよ姉貴」


 白濁スープの面影は無い真っ赤なビジュアルと化したドンブリにフォークを突っ込んだ総長が、早業で替え玉を口へ運ぶ。


「ヤバいって、それ!」

「信じらんない!」


 道矢と文乃が目を逸らす。

 そして総長に異変が起きた。


「ヴッ……!?」


 手から滑り落ちたドンブリが床で砕け、フォークが乾いた音を立て床を跳ねる。

 そして震える両手がゆっくりと喉元へ伸びた。

 飛び出しそうな眼球、カバにも負けない程大きく開かれた口。

 声は出なかった、というか出せなかった。

 空気を求め、水中でもがく様手をバタつかせる姿がそこにあった。


 それには目もくれず「替え玉だ」と美味がドンブリを突き出す。


「に、二十、十八……二杯リード、ってこれもういいんじゃない? 勝負になってないわ」


 入れられた替え玉をすする美味が総長へ顔を向ける。


「ん……そうか、おいアホウ、どうする棄権するか? ズズッ」


 だがその声はテーブルに突っ伏し悶絶している総長の耳に届いてはいない様であった。


「と言う訳だ。ジャッジを頼む」


 そう言って残りの替え玉を食べ終えた美味がドンブリをテーブルに置く。

 頷いた文乃が右手を上げる。


「二杯差で勝者!……えーっと、その、美味だっけ?」

「三ツ星美味だ」

「勝者、三ツ星美味!」


 前髪を手で払い、腕を組んだ美味が

「ふっ、私に勝ちたいならこの世の蕎麦屋を全て制覇してからにしろ、アホウが」

 と独特な表現の台詞を口にすると鼻で笑った。


「大丈夫? ほらこれ飲んで」


 道矢が牛乳を入れたコップを総長に差し出す。


「うううっ、な、何だそれは?」


 鼻をヒクヒクさせ総長が尋ねた。


「牛乳、辛いものを食べた後にいいんだって。少ししか無いから貴重なんだけど」

「ぎゅうにゅう?……うう」


 震える手でコップを受け取り、死んだ魚の様な目でそれをいっきに飲み干す。


「ぷはっ……ふー……う、うめえ……何だこりゃ?」


 口元を手で拭い、空のコップに驚きの目をやる。


「すげえ冷えてるし、何か濃くて甘え」


 それを見る美味の目が鋭くなる。


「おい、鳴瀬道矢。私にもそのぎゅうにゅうとやらくれないか」

「え? ちょっとこれ以上減ると人数分割っちゃうんで……」

「むう、そのアホウには飲ませて私にはダメというのか?」

「ありゃありゃ、美味かったのに残念すね、姉貴。がはははは」


 目と口の端を指で広げ、醜くも人をバカにした顔をする総長。

 それに触発された美味が勢い良く立ち上がり、早足で道矢へ向かう。


「おい! そのぎゅうにゅうを飲ませるのだ、鳴瀬道矢」

「わあ、ダメですって!」


 牛乳パックを抱えて逃げる道矢を美味が追いかける。それを喉ちんこが見える程口を開けた総長が馬鹿笑いをする。


バンッ!!


全員が動きを止め、音の出所へ顔を向けた。


「はい! そこまで!」


 キッチンのカウンターに手を置いた文乃が三人を見返す。


「まずそこのあなた! 勝負に負けたわよね」


 総長を指差した。


「ヴエッ!? いや、だってよ……そうだ、姉貴! 汚ねーぞ、あんなひでえモノ俺っちに誘導しやがって!」

「何だと、このアホウ……」

「待ちなさい!」


 面倒臭くなりそうな美味の反論を、総長に顔を向けたままの文乃が手で止める。


「誘導? あなたそれをひったくって使ったじゃない。言いがかりはよしなさい!」

「ヴエッ!? いや、だって」

「言いがかりつけるとか潔くないわよ! みっともないと思わないの?」

「ヴッ……さーせん」


 ぐうの音も出ず、デカイ図体を縮ませ意気消沈する総長。


「で、負けたあなたはどうするの」

「ヴェー……そうだなあ、母上のとこ帰って報告かなあ……飯抜きんなっちまうぜ、ちきしょーう!」


 総長が頭を掻き毟る、その顔が何かを閃いた様急に明るくなった。


「そうだ! 姉貴んとこで厄介になりゃいいんだ!」

「な!? 何を言っている、このアホウが!」

「人間の食いもんの方が人間の肉より何百倍も美味いしよ。決めた、姉貴んとこで暮らすぜ」

「勝手に決めるなアホウ! 早くあの息苦しい場所へ帰れ帰れ、しっしっ!」


 犬を追い払う様、美味が手を振る。


「いいじゃねーっすか、どうせ他の妹達もいるんでしょ」

「は? 何だそれは」

「姉貴みてーに、ふらりと居なくなって戻ってこねー妹が何人かいるんすよ」

「私が面倒見てるというのか、知らんぞそんなものは。まったくバカバカしい!」

「ふう……」


 腕を食うんだ文乃がわざとらしく大きな溜息を吐く。そして三人の注目を浴びたのを確認したところでこう切り出した。


「どう、あなた達、私の研究所に住んでみない?」


 グッドな提案をしたかの様に親指を立て、小さな笑みを浮かべる。

 それに美味の目がぐっと鋭くなった。


「歌津文乃、お前は確か土魚の研究をしているのだったな。何を企んでいる?」


 だがこの反応は想定済みだったらしく、文乃は小さな笑みを崩さなかった。


「私の研究所は文字通り鉄壁なの、ハンターはおろか変種土魚すら入る事は出来ないわ。つまり安全って訳」

「ふん、それは踏み入れたら出られない、という意味もあるのではないか?」


 これも想定済みの様で、返答する事無く文乃はこう続けた。


「それと、食事も用意するわ。人間と同様一日三度、しかも食べ放題。そうそう、三時のおやつも出るわ」


 これに総長が素早く反応した。


「あ、姉貴! このメス食糧んとこに行きましょうぜ。こんないい話断るなんてもったいなさすぎるぜ!」

「ちょっと黙ってろアホウ」


 興奮気味に肩を揺する手を払いのけ、じっと文乃を睨む美味。


「で、その見返りに私とこのアホウを研究材料にする訳か」

「当ったり! あ、でも解剖するとかそんな事はしないわよ。ま、四六時中カメラで行動は観察させて貰うけどね」


 露骨に嫌な顔をする総長、美味はといえば考え込む様文乃から視線を外した。


「このアホウの様に、私を連れ帰ろうとする者達が来るかもしれない。そこなら身を隠すのに丁度良いか」


 そう呟くと視線を戻した。


「よし、その話に乗ろう。だが私はいい様にされるのが何より許せない性質でな、もし約束を違えたなら研究所を破壊し、この歯でお前を八つ裂きにするぞ」

「え……ええ、そんな真似はしないわ」


 例の本能に訴えかける恐怖を一瞬放った美味に体を震わせた文乃が答える。


「それと、そこの研究所の出入りは自由なのだろうな」

「パスカードを渡すわ」

「ふむ……そのパスカード、そこの鳴瀬道矢にも渡すのだ」


 これには文乃も、当の道矢も驚きの声を上げた。


「ええ? 何でよ」

「いや、ホントに何で?」


 そんな文乃を美味が睨んだ。


「それが出来ないというならこの話は無しだ!」


 ビクリと文乃が体を震わせる。


「わ、わかったわよ。じゃあ早速付いて来て」


 そう言うとキッチンの出口へ歩き出した。


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