第9話 9皿目 豚骨ラーメン

「とんこつらーめん?」

「そう、豚骨ラーメンですよ。半年前に九州の食品会社が三百食も寄付してくれたんです。学園祭の時に使おうと、しまっといたんですけどね」

 道矢がスープの素を落とした二つのどんぶりにポッドのお湯を注いだ。

「むっ、これは独特の匂いだな。だが、不思議と食欲をそそられる」

「ふぇええ~、何かスッゲエ美味そうな匂いだな、オイ」

 美味と総長がテーブルに置いたドンブリに顔を近づける。

「おっと! まだ完成じゃないですから触らないで」

 道矢が湯気を上げる底の深い鍋に沈めてあったテポという麺茹で用具の取っ手を掴んだ。

 それを引き上げると何回か湯切りをしてドンブリに麺を移した。

「さあどうぞ」

「「おおおっ」」

 顔を輝かせた二人がドンブリに手をかける。

「うえっ! 熱いぞこれ、どうやって喰うんだよ」

「熱い食べ物はアホウには扱いが難しい。どれしょうがない、食べ方を教えてやろうか。いいな特別だぞ、特別」

 そう言った美味が以前道矢に教わった息を吹きかける方法を教える。

「アホウ! 一か十の切り替えしか出来んのか。やり過ぎだ、冷めてしまうだろう!」

「なんだよ、一生懸命やったのにメンドクセーっすよ!」

 過去の自分を棚に上げた美味が総長を叱る。

「先輩もどうですか?」

 道矢が文乃に勧めた。

「え? わ、私はいいわ」

 世にも奇妙なものを見る様に二人を眺めていた文乃が慌てて手を振る。

「なんじゃこりゃあ、すげえうめーズゾグチャッ!」

 総長がフォークを激しく動かしながら麺を口の中に流し込む。

「むう、ちょっとざる蕎麦に近い見た目から味もそれかと思ったが……このコクは何だズズズーッ!」

 箸で持ち上げた麺を美味が豪快にすする。

 熱気を帯びた目はドンブリに釘付けである。

「ざる蕎麦って……食べた事あるんですか?」

「ん? ああ、小さい時から人の肉はまるでダメでな。腹が減り、初めてこちらの世界へ来た時に見つけたのがざる蕎麦だ。以来いろんな蕎麦屋でお世話になっている。いやいや、この周辺の蕎麦屋は全部制覇したと思うぞプハッ!」

 人型とはいえ土魚がお金など持っているはずが無い。

 店でざる蕎麦を食べ終わると同時に床の中へ消える美味の姿を道矢は容易に想像できた。

「それって食い逃げ制覇って事じゃない。呆れた」

 ボソっと文乃が呟く。

 当然その声は美味には聞こえているのだが、豚骨ラーメンの前ではリアクションを起こす気もない様であった。

「おいー、もっとねえのかよ」

 総長が空っぽになったドンブリを道矢に突き出した。

「あ、じゃあもう一杯作るよ」

 受け取ったドンブリをテーブルに置くとスープの素が詰まった袋を手にした。

「総長さん……だっけ? スープはみんな飲まない方がいいよ。塩分と油脂がたっ ぷりで体に悪いから」

 そんな健康を気遣う言葉も馬の耳に念仏。

「ああ? 体に悪いだあ? 俺っちの体はそんなヤワじゃねーんだよ。今飲んだ分の百倍は飲めるぜー、がははは!」

 八重歯を剥き出して笑った。

「アホウが、人間の食べ物を私達は食べているのだぞ。ここは鳴瀬道矢の言う事に耳を傾けるべきだ」

 スープに口をつけなかった美味がドンブリをテーブルに置く。

「まあこの豚骨ラーメンって替え玉前提だからスープが濃いんだけどね」

 麺を入れたテポを鍋に沈めた道也がポッドに向きを変えるとドンブリにお湯を注いだ。

「替え玉? 何だそれは」

 奇妙な顔で美味が尋ねる。

「美味先輩のドンブリ、まだスープ残ってるでしょ? もっと食べたいなって時に新しく茹でた麺をそこに入れるんですよ。それが替え玉」

「ほお、それは面白い。どれ、私に替え玉をお願い出来るか?」

「はいはい、そりゃもう。豚骨ラーメンの麺って湯で時間があっという間だから楽勝ですよ」

 もう一つのテポに麺を入れると鍋に沈めた。

 十秒程で茹で上がった麺を総長と美味のドンブリに移した。

「コラァ! オス食糧、早くトンコタラーメン寄こせ! すぐに替え玉すんだからよ!」

 総長の声に体をビクンとさせた道矢がそそくさとおかわりのドンブリを手渡す。

「うひぇあ! やっぱうめえ! 人間の肉なんかよりよっぽどうめえぜコンチクショウ!」

 喰らう、という表現がぴったりな食べっぷりで麺を口に収めた総長がドンブリを突き出した。

「オラァ、替え玉だあ!」

 それと同時に替え玉を平らげた美味もドンブリを突き出す。

「こちらもだ、鳴瀬道矢」

「二人共食べるの早すぎですよ、テレビの大食い競争じゃないんだから」

 再び麺茹で作業に入った道矢が困り顔で言う。

「……大食い?」

「競争ぉ?」

 バチッ! と美味と総長の視線がぶつかり合った。

「へっ、こりゃいい。競争といきましょうや姉貴。そんで俺っちが多く食べたら一緒に帰って貰いますぜ」

「アホウの分際で私に勝つ気でいるのか。まあいい、この勝負受けて立とう。だが負けたら一生私の使い走りだ、いいな」

「パシリってやつですか、おもしれえ。そうと決まったらどんどん替え玉作りやがれ! オス食糧!」

「ひぇい!」

 妙な成り行きに困惑しながらも素早く湯切りをした道矢が二人のドンブリに麺を流し込んだ。

「おい、そこの人間……歌津文乃、私達のジャッジをしてくれ」

 ビクリと体と胸を震わせる文乃。

「な、何で私の名前を知ってるのよ!」

「先輩、この二人異様に耳がいいの知ってるでしょ」

 背中を向けつつ次の替え玉を用意する道矢が言う。

「そ、そうだったわね。わかったわ。今の所二、二。同じ杯数ね」

「うむ、すまないが頼む、歌津文乃」

 美味が文乃に小さく頭を下げる。

「い、いいわよ別に。それよりちゃんと勝ってよね」

 それに戸惑った顔で目を逸らした。

 こうして美味対総長の大食い勝負の幕が切って落とされた。

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