第8話 8皿目

「おいアホウ、この人間がいなくなれば私が帰ると思っているのか。いいかよく聞け、そんな事をしたら……この私が許さんぞ!」

 美味が地の底から響く様な恐ろしい声で言い放った。

 それを耳にした道矢と文乃の体がガクガクと震え出す。

 狼のひと吠えで羊が動かなくなる様に、自分は食べられる側と本能が認め、無抵抗でおののくしか無くなる、そんな声だった。

「おもしれえ、最初からこうすりゃ良かったんすよ。よっしゃあ、力尽くで姉貴を 連れてくぜ!」

 長身女子が自らのシックスパック腹筋を拳で叩く音が屋上に響き渡る。

「鳴瀬道矢、返すぞ」

 ピーナッツチョコの箱を放った美味が大きく息を吐くと、何のつもりか指で歯を叩いた。

「来いっすや、オラァ!」

「行くぞアホウが!」

 距離を取って向き合ってた美味と長身女子が同時に消えた。

 その中間点に旋風が巻き起こると二人が姿を現した。

 道矢と文乃が声にならない声を上げる。

 何故なら長身女子の腹に美味が食らいついているという異様な光景があったからだ。

「ぺっ! この私の歯で砕けないとはな、やるではないかアホウ」

 腹から口を離した美味が後方宙返りをするとコンクリートの床に穴を開けて着地す る。

「姉貴こそ一日腹筋五百回を十セットしてる俺っち自慢の腹筋に歯形をつけるなんざよ、いてえけどやるじゃねーか!」

 脂汗を浮かべた長身女子がヨダレの付いたシックスパック腹筋をゴシゴシ撫でる。

「よし! もう一度行くぞ」

「おらー! かかってきやがれっす!」

 どうやらまたも歯と腹をぶつけ合う様である。

 血潮が飛び交う凄絶な戦いを予想していた道矢にとって地味過ぎるというか理解出来ない戦いであったが、このままダンマリを決め込みたくは無かった。

 美味は自分の作ったトマトスープを美味しいと言ってくれたのだ。

 何とかこの戦いを止めたかった。

 彼の手に力が入り、ピーナッツチョコの箱が軽く潰れる。

 そこで彼の頭に妙案が浮かんだ。

 美味はといえばヨダレを垂らしながら長身女子の腹から口を離した所であった。

「ちっ、しぶといな。どれ次で決めてやるぞ!」

「おらあ、バッチこいっすー!」

 二人の足元に転がるピーナッツチョコ二つ。 

「ヴッ!?」「むっ!?」

 餌付けされた猿の様にピーナッツチョコに飛びつく美味と長身女子。

「な、何やってんすか姉貴、むぐむぐ」

「そ、そういうお前こそ何をやっている、もぐもぐ」

 美味と再び顔を合わせた時、床にこぼしたピーナッツチョコに彼女が反射的に飛びついた事を思い出した道矢がとっさに二人の間にピーナッツチョコを投げ込んだのだ。

 予想が当たって良かった……

 思いながら道矢は胸を撫で下ろした。が、それも束の間だった。

「邪魔すんじゃねーよ、オス食糧が! どうせならもっと寄こせコラァ!」

「おいアホウ! 意地汚くピーナッツチョコを拾い食いしておいてその言い草は何 だ! まったくお前が妹など恥ずかしくて死にたくなる。その気持ち悪い腹筋に アホウと落書きしたい位だ!」

「姉貴だってスゲー速さで拾い食いしてたじゃねーっすか、俺っちこそその嘘ク  セー白い歯にステイン塗ったくりてーですぜ!」

 口喧嘩が始まってしまう。

 その間に道矢が次なる妙案を思いついた。

「ちょっと、ちょっと! 美味先輩、すぐに用意出来る美味しい料理思いつきまし た!」

「何! そうか、鳴瀬道也」

「へあ? 何だよ、別なウメー料理あんのかよ」

 鼻を突き合わていた二人が道矢へ顔を向ける。

 そこへハンターコースの生徒達が屋上になだれ込んで来た。

「おーい! みんな無事かー」

「ああ! 美味先輩、その妹とかいう人と一緒にキッチンへ行っててください」

「妹? こんなアホウで拾い食いする様な妹、私にはいないぞ。鳴瀬道矢」

「いい加減にしてくださいっすよ、姉貴! それに俺っちには総長(そうちょう) って名があるんすよ!」

「何だお前、そんなおかしな名前にしたのか。で、苗字は?」

「ねーっすよ、考えんのメンド臭ーし、そんなのいらねー」

「さすがはアホウだ。しかし総長という名、おかしくないか?」

「わかってねーなー姉貴も、人間界じゃトップを張るポジションの事で漏れなく腹 筋がスゲーんすよ? 硬派ぜよ! 男ドあほう漢塾、って漫画読んだ事ないんす か?」

「ない、というかまずはそこの下僕共を帰らせろ。ハンター共が来る」

「あっと、コイツら居たの忘れてた。うぃーっす」

 総長と名乗った長身女子が背びれの群れに顔を向けた。

「おめえら、早くけえれ! チンケな武器持った食糧にやられんぞ!」

 床に消える変種土魚の群れを確認した美味が総長の腕を掴んだ。

「では先にキッチンに行ってるぞ」

 道矢に小さく手を上げた美味が足元から床の中に沈んで行く。

 それにムスッとした総長が続いた。

 二人が消えた床を見ながら文乃が溜め息を吐く。

「あれが変種土魚の人型……本当に、人間と見分けがつかないじゃない。あんなの が社会に入り込んだら誰も気づかないわ。恐ろしい……」

 そう言って自分の体を抱きしめた。そんな彼女を尻目に矢が尻を払いながら立ち上がる。

「やばいやばい、早くキッチン行って湯を作らなきゃ」

「ちょ……あんた、何馬鹿な事言ってるのよ! ハンターコースの連中に人型土魚 がキッチンへ来るって教えなさいよ!」

 キッとこちらを睨む文乃に道矢はこう返した。

「あの二人にハンターコースの連中が敵う訳ないですよ。それにここはあの美味先 輩に何とか事を治めて貰った方がいいです」

「何よ何よ! 人型土魚に何が先輩よ! バッカじゃない! あ、コラ待て、私も 行くわ」

 慌てて立ち上がった文乃が大きい胸を揺らしながら彼の後を追った。

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