第30話
















「――――――えっ?」


 レイナが閉じていた目をゆっくりと開ける。

 最後を告げるはずのジャバウォックの一撃は、いつまでたっても訪れない。

 レイナの目を開けた先にあった光景、それは――。


「これは……! 攻撃が通らないだと⁉ 貴様、一体!」


 見えない壁に爪を突き立てるジャバウォックの姿だった。

 いや、正確に言えば見えない壁ではない。うっすらとそこに壁がある事はわかる。それはまるで、


「ガラスの壁……?」


「おいニワトリ! お前もこっちに来て手伝え!」


「あ、あぁ。しかしこれは一体……この感覚は……⁉」


 胸のざわめきはすでに止まっていた。しかし、今までに感じたことのないような倦怠感が体を包んでいる。まるで見えない手に体の中をかき回され、中身を抜き取られたかのような。


 ――ギリギリセーフだったかな――


 「誰か」がレイナに語り掛ける。


 ――いやーまったく、こっちは塔の中でゆっくりしてたってのに急に呼び出されてびっくりだよー――


「あなた、は……」


 ――もうお姫様の中に戻っているんでしょ? 「白馬の王子様」は。彼が道を開いてくれたんだ。を使ってね――


 彼女が指さすのは、レイナのポケット。そこからうっすらと光がもれている。

 それを見てレイナは思い出した。ここにいれていたのは、エクスからもらった栞だったはずだ。虚無の浮島で自分が絶望にくれた時、その手をつかみ、絶望から引き上げてくれた。その時にエクスが持っていた――彼を宿した栞。それが今、かすかに光を放っている。


「あやつ、誰かと話しているのか? 相手はよく見えないが……っておい、なにボーっとしてるんだ!」


「……まさか」


 キングブラックが小声でつぶやく。


使……⁉」


 ――それにしても、って厄介な物だよね。彼が私を呼び出したのも縁があったからだし、力を使えたのも自分に縁のある栞があったから。私だってそう。「悪い魔女」を演じるのが嫌でこんな姿になったのに、それでも、。結局、縁が私を動かしたってことなのかな――


 ピシリ、とガラスの壁にひびが入る。


 ――ありゃりゃ。まぁ正規の方法で呼び出されたんじゃないし、こんなものかな。だから……あなたがシャッキリしないとダメだよ、お姫様。魔女が出来るのは手助けだけなんだから――


「……そうね。私自身が立ち上がらないと……!」


 ふらつく足でレイナは立ち上がる。今にも倒れてしまいそうな頼りない姿ではあるものの、創造主の姿を保ったまま、杖を持ち上げる。


 ――それじゃあ、私はここまで。後は頑張ってよ、お姫様――


 陽炎のような彼女の姿がさらに薄くなり、そして消える。同時にガラスの壁が砕け散った。


「ありがとう、――。『混沌を喚ぶ者達よ……! 調律の力をもって、汝らの混沌を鎮めん!』」


 レイナの中から力が溢れ出してくる。ついさっきまで空だったはずの器に、魔力が満ちる。それは彼女が残してくれた魔法ギフトなのか。レイナはそのありったけを杖に込め、詠唱する。


「なっ……! コケェッ⁉」


 キングブラックの周りの虚空から茨が現れ、球体を形成し始める。球体に飲みこまれたキングブラックがもがくが、幾重にも積み重なった茨が脱出を許さない。


「このっ、ニワトリを放せ!」


「あなたもよ!」


 ジャバウォックがレイナにつかみかかるが、球体から飛び出した茨がジャバウォックにも巻き付き、球体に縛り付ける。


「ぐぐぐ……! レイナァァァァァァァ‼」


「みんなの力、返してもらうわ!」


 茨の球体が燃え上がり、杖を通してブレーメン、そしてタオ達の力がレイナに流れ込んでくる。

 それに伴い球体が縮む。力を失い、小さくなってくジャバウォック達に合わせて小さくなっているのだ。


「これで終わりよ! 『エンド・オブ・フローリック』‼」


 仕上げと言わんばかりに、レイナが杖を大きく振る。その動きに合わせ、球体がゆっくりと動き出した。


「レイナァァァァァァ‼」


「コケェェェェェェェ‼」


 二匹を捕えたまま、球体は空を飛んで行く。やがては想区を飛び出て、二匹に最も縁のある想区へとたどり着くだろう。


「…………今はこれが精一杯……ね」


 はるか遠くに見える霧の中に球体が消えたのを見届け、レイナは倒れこむ。

 地面に背中が付いた時にはすでに、レイナは深い眠りについていた。








「……ここは?」


 キングブラックがゆっくりと目を開ける。


「タルジイの森だな。すぐに分かる。ここで何百年と暮らしていたのだからな」


 すでに目を覚ましていたのか、体を丸めたジャバウォックが答えた。


「戻ってきたのか」


「あぁ。振り出しだ」


 いや、振り出しですないかもな……。そう言って、ジャバウォックはボロボロになった手のひらを見つめる。


「お前、まさか……」


「どうやら、もう我はこの想区から出られないらしい。想区を出るために必要だったカオス因子はエクスに取られたのだから当然と言えば当然なのだがな」


 ジャバウォックはさして興味もなさそうに目を閉じる。しかし、それはただの意地だろう。キングブラックの前で弱みを見せたくないという、彼なりの意地。

 だからこそ、キングブラックは今、この事を言わないといけない。


「あ、あのな……」


「なんだ。もう我とお前の同盟関係は終わった。どこへでも好きなところに行くといい」


そっけなく言い、顔を背けるジャバウォック。キングブラックは構わず喋る。


「実は今、コッコ族の里は過密状態なのだ。知っての通り我らコッコ族は想区を自由に旅することができるが、どこでも過ごせるわけではない。……見たところ、このタルジイの森は食料も豊富にあり自然も多く、そして何より人が近づかない場所だ。そこで……、もしお前さえよければ、ここを新たなコッコ族の里にしたいと思うのだがどうであろうか!」


「……なんだと?」


 ジャバウォックの頭がピクリと動く。


「もしお前が承諾してくれるなら、すぐにでも移住を開始したいと思う。無論、お前の邪魔にならないような場所に家を作らせるつもりだ。お前が望むなら身の回りの世話も全てコッコたちにさせるし、必要なら食料も調達しよう。……それに、今里にいる若者は元気のいい奴らばかりだ。あやつらがいれば、お前も寂しくはないだろう」


 それを聞いて、ジャバウォックが慌てて顔をこちらに向ける。


「……⁉ まさか……お前、エクスとの話を聞いていたのか……?」


「いや、聞いたわけではないがな。分かりやすいのだ、お前は」


「――――!」


 赤くなったかと思えば青くなったりと目まぐるしく顔色を変えるジャバウォック。


「もちろん我も時々はここを訪れるつもりだ。だから――」


「……はぁ、もういい。どちらにせよこの森は我には広い。好きに使え! それと、もしお前の事を疎ましく思っている輩がいるのなら連れてこい。、そいつに恐怖を与えてやろう」


 今度はキングブラックが面食らう番だった。


「お前は寝言が大きすぎる! 夜ごとに同じ内容を大声で聞かされていれば嫌でも気づくわ! 

 ……あの『調律の巫女』をあと一歩の所まで追い詰めたのだぞ? お前はもう立派な王だ。それに納得しない輩がいるなら、我の姿を見せてやれ。『詩竜を従える王』なら、称号としては申し分ないだろうからな。元同盟のよしみだ、その程度の恥辱なら我慢してやる」


 あくまでそういう事にするのだな。そう思い、キングブラックは軽く笑う。


「それでは……交渉成立という事でいいか?」


「あぁ。残念だがもう少しお前とは付き合う事になりそうだ」


 キングブラックが元のサイズに戻った羽を突き出す。

 それを数秒眺めていたジャバウォックも、その意図を理解すると口角を上げ、腕を持ち上げる。


「「これからもよろしくな。我が『友』よ――」」


 



 振り出しに戻ったようで、後退したようで、けれども確かに新しい未来に歩みだした。これは、そんな彼らの物語。


           <了>


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