EXTRA STORY それからの二匹
1.キングブラックコッコちゃんの墓参り
「ふぅ……。なんとか誰にも見られずここまで来られたな……」
キングブラックコッコちゃんの足が柔らかな地面を踏む。その黒髪を春風が優しく揺らした。
「それにしても静かな場所であるな。本当にここに『あの方』がいるのか……?」
キングブラックコッコちゃんが、コッコ族の守護聖人「麗しの魔法使い様」についての噂を聞いたのは三日前の事だった。
曰く、「麗しの魔法使い様」の眠る聖なる場所が存在するらしい。その場所がある想区の名は――。
「フォルテムの想区……か」
思い立ったが吉日とさっそくフォルテムの想区に潜入したはいいものの、それ以上具体的な情報を何も持っていなかったため、だだっ広いフォルテム学園内を三日間も隠れながら彷徨う羽目になったのだ。
ちなみに、今のキングブラックの姿はフィーマンの想区に潜入した時と同じ、黒服の魔法使いである。
「盗み聞いた生徒の話によれば、ここが墓所らしいが……。確かになんか厳かな感じがするな」
騒ぎたい盛りの生徒達が構内には多くいたはずだが、この場所には雑音と呼べる音は一切存在せずその静謐さを保っている。生き物の気配は全くせず、まるでこの場所だけが世界から隔絶されているような、流れ続ける時間に取り残されたような、そんな錯覚すら覚える。人の「残り香」とでも言うべきものがまるで感じられないにも関わらず、妙に手入れがされている事が余計にその印象を強くしていた。
「さて魔法使い様のお墓は……コケッ⁉」
その時キングブラックは気づいてしまった。
麗しの魔法使い様の名前を知らない事に。
「し、しまった……! これではどの墓が魔法使い様のものか分からないではないか! くっ、こうなれば総当たりで行くしか……否、コッコ族のキングが有象無象の墓に頭を下げるなどあってはならない!」
しかしその心配は無用の物だった。なぜなら、この墓所にあるのはたった二つの墓だけだからだ。
「ぬぅ……。ロキ、そしてカーリー……。どちらが魔法使い様の名前なのだ?」
二つの墓石の前でしばらく考え込むキングブラック。
「コケッ、そう言えば、魔法使い様の姿を借りた時にシェインの奴が何か言っていたような……」
……。
「忘れた!」
安定の鳥頭である。
「まぁ魔法使い様の隣に埋葬されるほどであるから、魔法使い様と同じくらい高名な方に違いない。それならば何の問題もなかろう!」
キングブラックはそれらを大きな葉の上に置くと、目を閉じて二つの墓に手を合わせる。
「………………ふぅ。さて、用事も終わった事だしさっさと撤退するか。魔法使い様にはもう少し話したい事もあったのだがな……。しかし今の我は侵入者。誰かに見つかって面倒な事になる前に退散するのが吉であろう」
と、弔いを終え、キングブラックが立ち上がったその時。
背後で砂利を踏む音がした。
「お前、そこで何をしている」
「っ⁉」
振り向いた先にいたのは長身の男だった。水色のつなぎをきたその男は片手にモップ、逆の手に雑巾のかかったバケツを持って立っている。一見するとただの清掃員にしか見えないが、それは外見だけの話。全てを見透かすような金色の瞳とまとった空気は、どう考えても一介の清掃員のそれではない。
「二度も言わせるな。ここは許可がなければ立ち入りを許されない場所だ。私はお前のような者に許可状を発行した覚えはないし、それ以前にお前は学園の関係者ですらない。お前は誰で、ここで一体何をしている?」
(ちっ……! まさかここまで来て見つかるとは……。まぁよい、すでに目的は果たした。ここで暴れるのは気が進まぬが、こいつを倒して逃げるぞ!)
キングブラックはかばんの中にある新・黒樫の杖に手を伸ばす。
(幸い魔法使い様の墓は我の後ろにある。全力の魔力砲を見舞っ――――!!)
「……それを、私に向ける気かね?」
瞬間、墓所の空気が凍り付いた。絶対零度という表現ですら生ぬるい冷気が辺りに満ち、キングブラックを閉じ込める。冷気によってほんの少しも動かせなくなった手から、杖が転がり落ちた。
「…………っ」
息ができない。体の中まで凍てついてしまったかのようだ。
次にきたのは重圧。見えない手によって全身が押さえつけられる。たまらず崩れ落ちる。再び立ち上がる事などできない。それどころか少しでも気を抜けば地面に這いつくばる事になるだろう。
男は一歩も動かず、その様子を「観察」している。男を見上げ、キングブラックは理解した。
――この男は次元が違う――。
感覚としてはレイナと相対した時と似ている。「創造主」を名乗ったあの時の彼女も神々しく、そして対峙した者を竦ませる威厳があった。
しかし、レイナを雛鳥に例えるならこの男は猛禽だ。同じステージに存在しはするものの、両者の間には明確な差が存在する。
そう、男はここにいたるまで何もしていない。何か能力を使ったわけでもなければ、相手を威圧したわけでもない。ただ、哀れな雛鳥がその威容に慄き、勝手にひれ伏していただけなのだ。
「……ふむ」
十秒ほどだろうか。キングブラックにはまるで永遠にも感じられた時間の後、不意に男は背を向けた。それと同時にキングブラックを縛っていた絶零の空気が穏やかな春のそれに戻る。
「なっ、お、おい……」
「彼らを悼む気持ちがある者に危害を加えるつもりはない。気のすむまでそこにいるといい。
それと……次に来る時は正門から堂々と入ってこい。茶ぐらいは出してやろう。ヨハネ……いや、オスカーの名を出せば通じるはずだ」
それだけ言うと、男――オスカーは後ろを振り向くことなく、スタスタと元来た道を戻っていく。
「……許された……のか?」
その姿を呆然と見送るキングブラックだった。
「まぁ……そういう事なら、もうしばらくここにいさせてもらおうか」
キングブラックは改めて座りなおす。
「まだまだ語りたい事はいくらでもあるのだ。何せあれから百数十年経っているのだからな。……長くなると思いますが、付き合っていただけますかな?」
「麗しの魔法使い」様――。
「…………」
翌朝、改めて墓所の清掃にきたオスカーは目を細めた。彼の視線の先にあったのは、朝露に濡れた木の実や果物、そして二つの青磁のコップに注がれた水。先刻までいた誰かが慌ててコップを置いたのか、まだ少し揺れる水面を見ながら、オスカーは呟く。
「――――――」
2. ジャバウォックのナンセンスな一日
「……暇だ」
目覚めたばかりのジャバウォックは唸る。
今に始まった事ではない。悠久の時を生きてきたジャバウォックは、常にこの感情と共にあったはずだった。それも最近では違っていたのだが……。
「ニワトリの奴も墓参りだかなんだかでしばらく来ないと言っていたな……。もう一度寝るか」
ここ最近はコッコ族移住の件でキングブラックとよく会っていたからか、余計に孤独が堪えるようだ。ジャバウォックは目を閉じ、無心になった。
厳密な意味での生き物ではないジャバウォックには本来睡眠は必要ないが、目を閉じれば意識は深くに沈み、時計の針はいくらか先に進む。
そうやって、ジャバウォックは永い時を生きてきた。詩の、そして死の矛盾を抱えた竜は、タルジイの森の奥でただ眠る。アリスにも、女王達にも、誰とも関わらずに――。
「ん……?」
コツンと、何か小さな物が顔に当たった気がした。何度も、何度も。
「いよっしゃ100点目! これで俺が得点トップだぜ!」
「えー⁉ ハッタすごすぎるよー! どうやったらそんなに正確に当てられるのー?」
「ふっふっふっ。気になるなら教えてやろう、ハッタ様の精密機械投法をな!」
「むにゃむにゃ……。どんなに正確に投げられても、そんな気持ちの悪い投げ方はしたくないわ……zzz」
しかも複数の声が聞こえてくる。
(夢か?)
夢ではない。明るくなった視界に、こちらに何かを投げている三人の人間の姿が映る。
(こいつら……、まさかマッドティークラブか⁉)
女が呼んだ「ハッタ」という名前には聞き覚えがある。アリスの想区どころか世界屈指の迷惑集団マッドティークラブ。その会長を務めているのが帽子屋ハッタ、だったはずだ。かつてジャバウォックはハッタに化けて不思議の国の想区に潜伏していたわけだが、あの時の強烈な記憶は忘れようとしても忘れられるものではない。
不思議の国と鏡の国が統合された際、それぞれの想区にいた「ハッタ」と「三月ウサギ」がどうなったのかは定かではないが、目の前にいる彼らは「不思議の国」の側面を強く持ったハッタ達だと断言できる。なぜなら、
「貴様ら……何をやっている……!」
眠っている竜に石を投げ、あまつさえ当てた石の場所によって順位を競う大馬鹿者など
「ど、どうするのハッタ。起きちゃったよ⁉」
「そうかそうか。それなら第一ゲームは俺の勝ちって事でいいな。というわけでそのまま第二ゲーム開始だ! やーいうすのろオオトカゲ―! お前はなんでそんなに鈍いんだー!」
「そうだー! このネボスケさんめー!」
あまりに理解を超えた出来事がおこると思考が停止するのは人間だけではないらしい。
「えー、えっとボンクラ、アホ、マヌケ!」
「この骨なしチキン! 悔しかったらこっちにこいお尻ペンペーン!」
「……みみず……zzz……」
ジャバウォックの血管が切れる音がした。
「誰がミミズだぁ‼ 上等だ貴様ら全員すり潰してくれるわ!」
「よし、第二ゲームは眠りネズミの勝ち。第三ゲームは追いかけっこだ! マッドティークラブ撤退!」
「ほら眠りネズミもいくよ!」
「……zzz」
一目散に逃げだしたマッドティークラブの後ろから、木々をなぎ倒し猛然とジャバウォックが追ってくる。
「ねぇハッタこれどこまで逃げるの⁉」
「タルジイの森を抜けたところがゴールだ! そこまで走れ三月ウサギ!」
「りょうかーい‼」
ジャバウォックの爪がハッタのすぐ後ろに迫る。
「貴様らが森から出れると思うなぁ‼」
「ひゃ――⁉」
これは、昔の話。
「そう。君は一度、調律の巫女と呼ばれる存在に敗北している。覚えてはいないだろうがね。そしてこの想区にこようとしているのは調律の巫女の意思を継ぐ者達……。今からの戦いはリベンジマッチ。そう言ってもいいかもしれない」
「……貴様が言う事が本当なら、その時の調律によって、この世界のどこかにかつての私の運命を持った者が生まれたという事になるのか?」
「そうだ。それがどうかしたか?」
「少し羨ましくなっただけだ。その『私』には役割がある。たとえそれが悪役だとしても、誰かにとっての何かにはなれる。無為の運命に縛られた私とは違ってな。
……今の言葉は忘れろ。少し、頭を冷やしてくる」
その場を立ち去ろうとするジャバウォックに対し、プロメテウスが呟く。
「この世界は無数の想区によって成り立っている。そして今も、新しい物語を原典として新しい想区が次々と生み出されている。この世界は昔から、少しずつ広がり続けているのだ。ならば君に聞きたい。ストーリーテラー……アルケテラーは、どこから新しい物語を見つけてくるのだろうか」
「何をいまさら。貴様がカオステラーを生み出し、調律や再編で区切りがついた物語が新たな原典となる。貴様が言っていたことだろう」
「では僕”たち”が生まれる前は? はっきりと覚えているわけではないが、僕”たち”も最初から存在したわけではない。カオステラーの自然発生は極稀に起こる程度。新しい想区の種にするには数が足りなくなるはずだ」
「……空白の書の持ち主たちはどうだ? 奴らが本来の筋書きに介入することで物語が書き換わり、それが新たな原典になる」
「それでも足りないんだ。空白の書の持ち主はいるほうが珍しい。しかも彼らが必ず物語の筋書きを書き換えてくれるとも限らない。システムとしては極めて不合理だ」
ジャバウォックは答えの見えない問いに付き合うのが得意ではない。答える声が徐々に険を含みだす。
「なら何が新しい物語を創り出しているというのだ! 回りくどい方法ではなく、言いたいことがあるなら……!」
「縁だ。この想区はもともと、アリスという主役を共有する地続きの想区だった。穿った見方をすればアリスという縁によって強固に結ばれていたからこそ、地続きになっていたとも言える。そしてそれは想区に限った話ではない。
「ある登場人物の心の変化が、別の想区にいる同じ役に伝播する事もある。人と人の間をつなぐ何かがあるという証拠だ。
これは僕の推測だが……。この世の全ては縁によって結び付けられている。人も、想区も、沈黙の霧という不定形なものの中に浮かんでいるからこそ、確かな縁によって引き付けられる。
「ならば、いくつもの縁の糸に動かされ、想区の……物語自身がその姿を変えてゆくこともあるのかもしれない。空白の書の持ち主たちはそのきっかけだ。彼らが最初に既存の物語を書き換え、あるいは自身が原典となり新たな想区が生み出される。そうして人と人を、想区と想区をつなぐ縁の糸が増えていけば、縁の引力によって物語は形を変えて動き出す。そしてその過程が新しい原典となり、想区になる。そうやって世界は少しずつ広がってきた……そういう考えはどうだろうか」
「ナンセンスだな。本当に縁とやらにそんな力があるとでも?」
「そう信じたいんだ。彼らがいなくても、たとえ今は望まぬ運命でも、いつかはハッピーエンドにたどり着けるような、そんな世界をアルケテラーは作ってくれたはずだと。……縁に引かれ、この想区も変わっていくはずだ。詩竜ジャバウォックが詩に出てくる存在ではなく、アリスと共に鏡の国を冒険する。そんな物語に変わる事もあるかもしれない。それこそが君への救済なのかも……」
「その話し方……貴様はまさか……」
「……どうした? 僕”たち”が何かを言ったのかい?」
「……? い、いや、気のせいだ。なんでもない」
そうか。そう短く返しプロメテウスは背を向ける。
「再編の魔女一行がこの想区に到着したようだ。僕”たち”もそろそろ動くとしよう。君の役目は分かっているね」
「あぁ。分かっているとも――」
(ふん。これが救済とでも言うつもりか? 全く、もしそうなら、ずいぶんふざけた話だな……)
「消え去れ!
放たれた火炎がマッドティークラブを飲みこむ。
「あーれー‼」
「ハッタ―⁉」
「……なーんてな。まだまだハッタ様は元気いっぱいだぜ!」
「さすがハッタ!」
「このまま逃げ切るぞ!」
「おー!」
「むにゃむにゃ……」
チェイスはまだ終わらない。爆炎に包まれても平然としている三人はすたこらさっさと駆けていく。
「なんてしぶとい……! ゴキブリかこいつらは!」
(ただ……)
それを追いかけるジャバウォックの口元に笑みが浮かんだ。
(こんなナンセンスな結末もありなのかもな……)
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