第27話

「その姿……ただのコネクトではないな。姿はそのままだが、あの男が持っていた混沌の力も備えている。貴様、一体何を、いやコネクトした……!」


「エクス・プロメテウス。という可能性の存在」


 エレナの「創造」によって、エクスの体から「おつきさま」が引き剥がされた時、一度プロメテウスという存在は終わりを迎えた。終止符が打たれた「プロメテウスの物語」は新たなる原典として世界のシステムに組み込まれ、ヒーローとしての「プロメテウス」が顕現するに至った……ここまでが既知の話である。

 

 ここで少し、カオステラーについての話をしよう。その出自からか、カオステラーは本来知っているはずのないを認識する事が出来る。それだけにとどまらず、外の世界に存在するヒーローの可能性を同じ配役うんめいの他人に投影する、「疑似コネクト」とでもいうべき能力を使えるカオステラーも数例ながら確認されているのだ。そもそも新しく生まれた命に運命の書を与えるストーリーテラーが変化した姿がカオステラーなのだから、そのような力が使えるのはさほど不自然な事ではない。

 そして、カオステラーの源流と言える存在を原典に持つヒーローのプロメテウスもまた、その「投影の力」をわずかながら使う事が出来る。

 

は、僕の中に存在する可能性エクス・プロメテウスを自分に投影する事を善しとしてくれた。だから今の僕はエクスでもあり、プロメテウスでもある」


エクスにコネクトしているプロメテウスは何も語らない。果たしてその行為がエクスのためのものなのか、それともエクスと自分の繋がりを利用しその体を奪うために、あえてエクスの魂の一部を自分に映したのか。エクスの心のうちに佇むプロメテウスの澱んだ眼からは何も読み取れない。

 だが、結果としてエクスはエクス・プロメテウスの可能性を顕す事に成功した。今のジャバウォックに対抗しうる、ストーリーテラーに匹敵する力を手に入れたのだ。


「これが僕の切り札だ……! こい、ジャバウォック!」


「望むところよ、今度こそ消し炭にしてくれるわ!」


 暴風が地をなめる。ジャバウォックがその巨体を持って飛翔したのだ。大人の男でも軽く吹き飛んでしまうほどの風が吹き荒れるが、それはジャバウォックの飛翔によって意図せず起きた自然現象、すなわち


「出でよ……!」


 ジャバウォックの真下にできた巨大な影。そこから先ほどとは比べ物にならない数の戦輪が飛び出てくる。

 それに対し、エクスは無言で黒剣を構える。大きさは彼の愛剣とさほど変わらないが、それから感じられる質量は圧倒的に「重い」。その刀身は虚無そのもの。触れたのが何者であっても虚無はそれを侵食し、一度飲みこまれれば何も残らない。その銘はギンヌンガガプ。虚無の男たるプロメテウスを象徴する黒剣である。

 カオス・ジャックの槍術を以てしても対処に苦労した戦輪の猛攻を、エクスは黒剣の一振りをもって無に帰した。斬られた戦輪が影に戻るのも見届けず、そのままエクスは飛ぶ。


「はぁっ!」


「ぐぁっ……」


 一瞬でジャバウォックと同じ高さに到達したエクスは、相手の反応を待つことなく剣を振るう。全てを凍てつかせる深海の斬撃、そして全てを燃やし尽くす餓狼の斬撃。相反する二撃が堅牢の黒鱗を打ち砕いた。


「やるな。我の鱗を砕くか。だがな……っ」


 破砕音と共に、ジャバウォックの口が。限界を超えて開口したジャバウォックの口の中には、何か――おそらくは鳥の嘴――がびっしりと並んでいた。


「「「「「―――――――――――――――!!!」」」」」


 次の瞬間、数百を超える嘴ががぱりと開き、好き勝手に雑言を吐き出し始める。その呪言を聞いた途端、体から力が抜けるような感覚に襲われた。


(まさか、あれがハーンの……いや、まさかか⁉)


 巨大な顎が視界一杯に広がる。呪言の発生源が近づくにつれエクスの力はどんどん失われ、もう指一つ動かすことが出来ない。

 エクスを口内に入れたジャバウォックは一切の躊躇なく、口を閉じた。飲みこまれたエクスは、光すら届かないジャバウォックの口内で、歪に発達した牙によってすりつぶされる。それがエクスの結末……。

 

「『オルタナティブ・サーガ』」


「がぁぁぁぁぁぁっ⁉」


 ジャバウォックの背後に生じた異空間の穴。そこから現れた光の波がジャバウォックを切り裂く。

 たまらず開いた口から、小さな影が飛び出した。それに続いて切り落とされた嘴が雨のように降り注ぐ。


「モウドウニデモナレ……ッ」


「ヤッテラレルカヨクソッタレ!」


「○○○ガ××デサイコウダゼッ!」


「△△セロー!」


「年中発情しているやけっぱちの鳥……やはりジャブジャブ鳥か。まさかレイナから聞いた話がこんなところで役立つとはね」


 宙に浮いたまま表情を変えないエクスの眼前で制御を失ったジャバウォックの巨体が落下、視界を埋めるほどの砂埃が巻き上がった。


「ぐ、ぐぅぅ……」


 痛みはない。エーゼルの力を得たこの体ならどんな高さから落ちても痛みを感じる事はないだろう。

 しかし、心はその限りではない。自身の爪にも満たない存在に撃墜された。ジャバウォックはその屈辱に呻き、高みにいるエクスを見上げる。


「GRAAAAAAAAAAAAAAA!!」


「くっ……」


 ジャバウォックの咆哮。エクスの一閃によってかなりの数のジャブジャブ鳥の嘴が切り落とされたが、嘴を全て失ったわけではない。加えて吐き出された息が直撃することで、エクスの体勢が崩れる。


「隙を見せたな!」


 その機を逃さず、ジャバウォックは再び飛翔。そのあぎとを開き、エクスに迫る。


「……!」


 即座に体勢を立て直したエクスは剣を構え斬撃をジャバウォックの口内に見舞おうとする。しかし。


「ふんっ!」


 それは疑似餌フェイク。ジャバウォックが身を引くと同時、高速で飛来したジャバウォックの尾が背後からエクスを吹き飛ばした。

 自分の何倍もの太さの、筋肉の塊である尾の直撃。全身がバラバラになるのは避けられないような衝撃をまともに受けたはずのエクスはしかし、剣を交錯させて尾の一撃を受け止め、依然空中にとどまり続けていた。


「なるほど、それが貴様のというわけか……!」


 得心したようにジャバウォックが笑う。一本は先ほどから使っている第一の翼ギンヌンガガプ。そしてもう一本、黒いローブの中から姿を現したのが第二の翼メルヒェン・フリューゲル。ギンヌンガガプにそっくりな――正確に言えば、メルヒェン・フリューゲルを元にしてギンヌンガガプが生み出されたのだが――その剣は、未来を切り開くための剣。そして、空征く渡り鳥の携える翼。

 ギンヌンガガプの二撃でジャバウォックの鱗を砕くのと同時に、メルヒェン・フリューゲルで異空間内に光の大斬撃を隠しておく。それが、全身の力を奪われながらもジャバウォックの口内から脱出できたからくりだろう。


「くらえっ」


 エクスはギンヌンガガプを逆手に持ち替え、投擲する。放たれた漆黒の剣は流星のように黒の軌跡を描き、ジャバウォックの肩口に深く突き刺さった。


「これは……!」


 ジャバウォックの中の「カオス」がギンヌンガガプに集まっていくのを感じる。今まで経験したことのないような反応に、ジャブジャブ鳥達が一斉にわめきだした。


「ええい、やかましい! くそっ、どういう事だこれは!」


「お前のカオスの力を吸収させてもらう。それがこの剣に備わった力……だっ」


 ギンヌンガガプに続いて急降下したエクスがその柄をしっかりと握る。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 そしてそのまま、ジャバウォックの体を一気に駆け降りる。堅牢を誇るはずのジャバウォックの鱗が次々と砕け散り、胴体を横切るように深い傷跡が刻まれる。エクスの駆けた後から、真紅の血が噴き出す。


「ぐ、ぐぐぐぐ……っ。く、はは……」


 永劫に近い時を過ごしたジャバウォックだが、このような事は初めてだ。いや、。何度も調律の巫女と再編の魔女と戦い、傷を負い、敗北してきた。

 

「改めて考えてみれば……貴様らと戦っている時のみが、我が唯一自分を存在を確かめられる時間だった。その時の我にとって、貴様らは我が野望を阻止する邪魔者だったかもしれない。だが同時に、我は貴様らに憧れていたのかもな……。我が喉から手が出るほど欲している自由を生まれながらにして持っている者達……。くくっ、詩竜ジャバウォックが自分を卑下するとは……我も落ちたものよ」


 ジャバウォックが立ち上がる血の噴き出る胴体を隠そうともせず、むしろ誇示するかのように立ち上がる。


「だからこそ、今! 我は! 憧れだった貴様らと同じように、自由に動き、そして貴様らに我という存在を刻み込むことができるのだから! さぁ、その程度ではないだろう? まだ勝負は終わらぬぞ!」


「くっ……!」


 エクスは二本の剣を構え、巨竜の前に立つ。もしこの瞬間を絵画にするなら、きっと人々はこのようなタイトルをつけるだろう。

 ――悪の竜に立ち向かう英雄――。














「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


「ぐぐぐ……!」


 どのくらい時間が過ぎただろうか。

 だらりと開けられたジャバウォックの口から、最後のジャブジャブ鳥の嘴が零れ落ちた。地面に落ちた嘴は弱弱しい声で悪態をつき、口を閉じる。

 それと時を同じくして、エクスの顔の半分を覆っていた仮面が剥がれ落ちる。現れた右目は流れる血によって赤く染められていた。

 数百の斬撃によって切り裂かれたジャバウォックの体からはとめどなく血が流れだし、砕かれた棘の破片が辺りを黄金色に輝かせる。途中まで見せていた余裕はどこにもない。今のジャバウォックは疲労を隠そうともせず、大きく息を吐いて意識が飛ばぬよう何とか持ちこたえている。

 そしてそれはエクスも同じだった。虚無プロメテウスを象徴するギンヌンガガプと自由エクスを象徴するメルヒェン・フリューゲル。二対の剣はひびの一つ、刃こぼれの一つもしていないが、それをふるうエクスの肉体はとうに限界を迎えている。

 ともにボロボロのエクスとジャバウォックだったが、追い詰められているのはエクスの方だった。ギンヌンガガプによってジャバウォックに定着したカオス因子を全て吸収したのにも関わらず、ジャバウォックはどのような猛攻にさらされても決して倒れなかったからだ。

 カオステラーは「運命に抗う意思」に比例しその力を高める。それはすなわち、追い込まれれば追い込まれるほど、窮地に立たされれば立たされるほど、その力を強めていくという事である。

 エクスは最初、ジャバウォックの底なしの体力をカオス因子による強化が原因だと考えていた。

 しかし、カオス因子を吸収した後も変わらず、いやそれ以上にジャバウォックの力は増している。


「グッ……!」


 ジャバウォックがその手をエクスの方へ伸ばす。最初に比べれば、笑ってしまうほど緩慢な動きだ。だが、エクスとてもはやその動きに即座に反応できるほどの力は残っていない。迫りくる手から寸前でエクスは逃れ。


「なっ……」



 エクスを掴む。

 ジャバウォックの手が、ではない。ゆっくり迫ってくる手から飛び出してきた白い毛と細い角を持つ獣の首が、エクスの胴体に食らいつく。


(バンダー……スナッチ……!?)


 レイナから話は聞いていた。バンダースナッチはとてもすばしこく、そして狩りの際には首を伸ばして獲物を捕らえるのだと。だが、今考えるべきはそこではない。なぜ、バンダースナッチがジャバウォックの中にいる?


「く、この……はなせっ!」


 ジャブジャブ鳥の嘴といい、突然現れたバンダースナッチといい、このジャバウォックは


「捕まえたぞ……渡り鳥ぃ……ごふっ!」


 ジャバウォックの口から溢れた血が、エクスに雨のようにふりかかる。


「くくっ……、くははははは」


 さらに血の雨が降る。


「やはり貴様は素晴らしいな……。その矮小な身で、我を相手にここまで立ち回るか。何がそれを可能にしている? 仲間を、自分の居場所を守りたいという想いか? だがな……我にはそれ以上の想いがある。誰かの言葉によってではなく……自分で自分の存在を確立させたいという想い、そして、自分の運命をつかみ取りたいという想いが! 『今』の我だけではない、過去の我の想いも我が内に確かに存在している! その志を遂げるまで、我は負けるわけにはいかぬのだ!」


「……っ⁉」


 瞬間、エクスにある仮説が浮かんだ。それはとても突拍子もない説。

 詩竜ジャバウォックは「鏡の国のアリス」に登場するジャバウォックの詩の中だけに出てくる存在だ。言い換えれば、物語自体にその姿を現すことはない。一見すると明確な名前を持たない数多の群衆モブと同じ立ち位置のように思えるが、彼らとジャバウォックには明確に違う点がある。群衆は、言うなれば世界の構成物質であり、彼らがいなければそもそも主役のいる世界はなりたたない。物語において群衆の存在が明言されていなくても彼らは物語の外、あるいは場面と場面の間で確かに主役と関わっており、ストーリーテラーはその描かれていない幕間を補完し主役との間に繋がりを作る事で、時に数千万を超える想区の人々に「意味」を与えているのだ。

 しかし、ジャバウォックは違う。詩に唄われる竜との邂逅が幕間の内に起こる事などありえない。鏡の国に詩が広がっている以上、例えアリスと接触しなかったとしてもジャバウォックの出現の報は必ずやアリスや主要な登場人物の耳に入り、物語の進行に異常をきたすだろう。既存の物語をなぞりながらループする構造をとる物語において、ジャバウォックは不要の存在なのだ。

 なのに、それなのに、エクス達が訪れたアリスに関連する多くの想区にジャバウォックはいた。中にはジャバウォック自身が物語の中に登場する想区もあったが、それはアリスの物語から派生した外伝的ストーリ―。全体のほんの一部だ。

 もし、ジャバウォックの存在に理由があるとしたら。もし、……!


「まさか……お前は……!」


「渡り鳥よ。貴様に敬意を表し、方法でこの戦いを終わらせてやろう……」


 ジャバウォックの口内で炎が揺らめく。


「油断などせぬ。貴様がしているうちはな……!」


 ジャバウォックの腕がゆっくり持ち上がる。エクスの目に映ったのは、炎揺らめく巨大な洞。


「終わりだ。エクス」






 それが戦いの最後だった。



 


 


 


 

 


 

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