第22話
大広間で、二人は改めて対峙する。
四神官は、戦闘に巻き込まれないよう遠くの部屋に寝かせた。四人を運ぶので時間はかかったが、その間、女は自身の言葉を翻す事無く一歩たりとも動かなかった。
「……コネクト」
一度は言を守り、こちらを油断させてからの奇襲も考えられる。エクスは導きの栞を書に挟み、
もっとも、英雄などという呼び方をされるのを彼は望まないだろうが。
「……そうだ。ボクは英雄なんかじゃない」
エクスがコネクトしたのは、年端もいかない少年。彼は全身に金銀財宝をまとい、頭には豪奢な王冠を戴いている。しかしそれは、自らを縛るための鎖。自らを嘲笑うための飾り物。純真であるが故に、世界が赦した罪に耐えられず混沌に堕ちた勇気の象徴――カオス・ジャック。
「ふっ……、ジャックか……。我、いや、『私』と最初に戦った時も貴様はそいつの力を借りていたな……」
「やはり、お前はジャバウォックなんだな」
ジャバウォックがゆっくりと立ち上がる。
「お前は何が目的なんだ。なぜ神殿を襲う。いや、それ以前に、なぜアリスの想区から出てくる事が出来たんだ!」
「やかましい奴だ。そういくつも質問するな」
ジャバウォックがエクスの方に歩を進める。しかし、そこには一切の敵意が感じられない。
「その前に一つ、私の話を聞いてもらおうか。貴様の質問にも深く関係する話だ」
一瞬、恐ろしいほどの静けさが広間を満たす。
「何、そう長くかかる話でもない。これからするのは只の御伽噺――鏡の国のアリスの物語だ」
「なんだ。貴様は知らなかったのか」
「知らなかった、だと? ならお前はジャバウォックがどうして想区を移動できるのか知っていたというのか!」
矢を放ち、魔法弾を打ち、そして向かってくるそれらをかわしながらシェインとキングブラックは会話していた。
「まぁ我が気づいたのも昨日の事だったがな。どうしても知りたいなら教えてやっても構わんぞ!」
「いらぬ世話だ! ――コネクト!」
火球を寸前でよけ、シェインは姿を変える。額に生えた角が特徴的な和装の美女――鬼姫は短剣を片手にキングブラックに肉薄、致命の剣を振るう。
「全く素直ではない……。まず前提として、運命の書を持つ者が想区の鎖から逃れる事など出来はしない。もしそれができるとしたら、運命に反逆する者……カオステラーだけだ。それは分かるな?」
「……っ⁉」
鋭い一撃を、キングブラックは難なく受け止める。
「しかし、仮にジャバウォックがカオステラーだったなら、アリスの想区はめちゃくちゃになっているはず……。そこまで考えた時、我は思い出したのだ。この想区の事を調べた際に、カオステラーと化した三匹の子豚の情報を見た事を」
短剣を杖でさばきながら、キングブラックは魔力をためる。
「カオステラーというのは異常をきたしたストーリーテラーが主役かそれに類する人物に取り憑いた状態の事。つまり本来フィーマンの想区にカオステラーが発生する事はあり得ない……『闘士灰燼』!」
一瞬の隙をつき、地面に杖を突き立て魔力を爆発させる。しかし杖が短くなり地面と接するまでの時間がほんのわずかに長くなった事で、シェインは爆発の範囲外に逃れる事ができた。
「ではなぜカオステラーが生まれることになったと思う?」
「それはプロメテウス侵攻の際にカオステラーの因子を受けたからで……まさか」
何かに気付くシェイン。
「そう。カオステラーになる原因が必ずしもストーリーテラーの異常にあるとは限らないという事だ」
三匹の子豚だけではない。シェイン達はもっと直接的な事例を見てきていた。
豆の木の試練。カオステラーの因子をわずかに含んだ豆は、絶望に反応して使用者をカオステラーに仕立て上げる。あれも、ストーリーテラーを介さない形でのカオス化だった。
「もっとも、なんでそうなったのかは我にも分からんのだがな」
しかし、シェインの頭にはある仮説が浮かんでいた。
それは再編の魔女一行がアリスの想区を訪れた時の事。その時のジャバウォックは、プロメテウスの暗躍によって想区のほとんどの住人をその身に取り込むことに成功していた。
(それはカオステラーだった侯爵夫人も例外ではありません……)
カオステラー、つまりカオステラー因子を取り込んだ結果、一時的にだが、ジャバウォックは想区の理から外れた存在――ネオ・ジャバウォックとなった。
(いえ、しかしアリスの想区はエレナさんによって再編されました。いくらイレギュラーな存在とはいえ再編の影響を受けないなんて、そんな事があるわけが……)
だが、現実にジャバウォックは想区を抜け出す事に成功している。
(まさか……!)
――カオステラーの力とジャバウォックはとても相性がいいらしい――
ある意味でカオスの根源とも言えるプロメテウスの発した言葉だ。
(もし、取り込まれたカオステラー因子が、ジャバウォックの中に定着していたとするなら……‼)
荒唐無稽な話ではない。終局の世界に姿を現した時、ジャバウォックはネオの姿を取っていた。プロメテウスやアヌンチャタの手先として一行の前に立ちはだかったネオ・ジャバウォックは、カオスヒーローのようにネオ・ジャバウォックの運命を与えられた存在だと解釈することも出来る。だが、レイナの呼びかけに応えた以上、現れたのはオリジナルのジャバウォックに他ならない。再編後のジャバウォックがネオの姿を取っている道理がないのだ。
「……エクスさん」
「私は本来、鏡の国のアリスという物語には登場しない存在だ。私の存在が確認できるのはジャバウォックの詩の中だけ……。私は語られる事でしか存在できない、幽鬼のような存在なのだ。いや、実際そうなのかもしれぬ。ジャバウォックの詩の中では私はすでに死んでいるのだから……」
「そうだったな。だからお前はロキと手を組んで二つの想区を支配しようとした……」
「物語に必要とされないという点では、私は貴様ら『空白の書の持ち主』と同じなのかもしれぬな。そう考えれば、我の悲しみを理解できるという貴様の言葉は真実だったのだろう」
だが。
「貴様らと私では決定的に違う事がある。貴様らは想区を飛び立ち、好きなように飛んでいける、自分だけの物語を紡ぐことができる……!」
ジャバウォックの怒気が広間を揺らす。
「私は違う! ジャバウォックの詩に縛られ、タルジイの森から出る事すらできない! ただの文字列である詩の正しさを守るため、誰とも関わらず、何百年もの時を独りで過ごさなければならなかった! 誰にも影響されず、誰かに影響を与えることもないならば、私は何のために生まれてきたのだ!」
「……っ!!」
その慟哭は、どんな物よりも深くエクスの心を抉った。空白の書の持ち主なら一度はストーリーテラーに問いかけたくなるであろう疑問。皆が与えられた運命通りに振舞う中、自分だけは白紙の台本で人生という舞台に放り出される。それはまるで、世界から告げられた存在の否定。
「私が最初にあったのではない。ジャバウォックの詩から私は産まれたのだ……! 自身の死を謡った詩から産まれるとは、アリスの想区らしいバカげた話だ! ……答えろ。無為な人生を別の何かに強いられ、しかしその何かに頼らなければ存在する事すらできない! この絶望が貴様に分かるか!!」
今のジャバウォックには純粋な怒りの感情しかない。それは
「クロヴィスと拳を打ち合わせた時、歓喜に震えた。エイダを降した時、充足感に満ち溢れた。そしてその時に私は決めたのだ。どんな形でも構わない。私の生きている意味を見出し、それをこの世界に刻み付けてやろうと。
……この想区には、空白の書の持ち主の持ち主が多くいるのだろう? 私はこの想区を支配し、他の想区にジャバウォックの詩を広めさせる。そうして遍く想区に、恐怖の象徴、全ての悪を超えた最凶の竜王として君臨するのだ! それこそが、詩竜ジャバウォックに相応しき新しい運命よ!」
「……君の怒りは分かる。僕もそうだったから」
ジャバウォックの言葉は、過去の自分の言葉のように聞こえた。いや、自分の方がまだマシかもしれない。少なくともエクスは、周りにいる人たちの何かになる事で、自分の白紙の運命に意味を見出せた。ジャバウォックはそれすら出来なかったのだ。ただただ永い時を、一人で生きてきた。そんなジャバウォックを止める権利はエクスにはないのかもしれない。
しかし。
「僕には大切な人がいる。守りたい人達がいる。彼らを傷つけるというなら、それがどんな理由だとしても関係ない。僕は――お前を倒す!」
それを聞いたジャバウォックは高笑う。同時に、その体から爆発的なエネルギーが噴出した。
「そうだ! 『我』が聞きたかったのはその言葉だ! さぁ、決着をつけるぞ、エクス!」
ジャバウォックから流れ出した影が大広間を覆っていく。エクスはその中に、濃縮されたカオスの気配を感じ取った。
自身も影の一部と化したジャバウォックの体が、肥大化し、本来の形を取り戻していく。
「運命よ、ジャバウォックを侮る事なかれ……! 噛み砕く顎に抉り取る爪、渡り鳥はご用心……。Ⅰ、Ⅱ、Ⅰ、Ⅱ……ヴォーパルの剣は砕け散る、刻み刈り穫るは数多の亡骸……凱旋の翼は竜のために!」
そして、混沌の力を纏った竜がその真の姿を現した。
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