第14話
「わぁー、おいしいね!」
綾央はふわふわとした綿菓子を頬張る。
「おいおい、口元が汚れちまうぞ」
タオはハンカチを取り出し、綾央の口元をぬぐってやる。
「えへへ、ありがと!」
綾央は無邪気に笑う。同じ年頃の蒼桐や駒若夜叉と比べて、綾央は精神的に大分幼い印象を受ける。もっとも舞う時の彼女はまるで別人のようだというし、「彼」の事を考えれば、陰陽師はどこか浮世離れした人物が多いのかもしれない。
「……」
「シェイン、どうしたんだい?」
「いえ、どこかでタオ兄が女とイチャイチャしている気配がしたので」
「き、気のせいじゃないかな……あはは……」
「ま、今は目の前の仕事に集中しますよ。帰ったら今日何をしていたかじっくり聞かせてもらいますけどね」
(なんで分かるんだろう……)
「それで、なんで今日は俺についていくなんて言い出したんだ?」
「んーとね。今日は蒼桐も駒若も朝から稽古ばっかりしていて暇なの。初芽もどこかに行っちゃうし。それで、タオさんと遊ぼうかなって」
「まぁついてくるくらいならいいんだけどな……。どこかに遊びに連れてったりとかはできないぞ?」
「それでもいいよ! タオさんと話しているだけで私は楽しいから!」
満開の笑顔でこう言われてしまえば、無下に扱うわけにもいかない。
「うし、じゃあそれ食べ終わったら、まずはアンガーホースのところに向かうぞ」
「おー!」
こうして二人は午後の一時をともに過ごすことになった。
「タオじゃないか。また手合わせするか?」
「いや、今日はそういうつもりで来たんじゃないから。とりあえず武器をしまってくれ」
タオに言われて、アンガーホースは残念そうな顔で両手杖をしまう。
「アンちゃん久しぶりー!」
「鬼祓士の白いのか。少し太ったんじゃないか?」
「ひどいよー!」
憎まれ口を叩くが、本心では綾央の来訪を嬉しく思っているはずだ。
「それで、手合わせじゃないなら何の用なんだ?」
「クロヴィスについて少し聞きたいことがある」
それだけで話は通じたようだ。
「昨日の事か。物凄い対決だったらしいが、あいにく私は見れなかった……っと、オデッサが来たみたいだな」
アンガーホースが立ち上がり、玄関までいく。ドアの向こうにいたのは、金髪の勝気そうな少女、オデッサだった。
「あら、タオさんに綾央ちゃんじゃない。珍しい組み合わせね」
「昨日の事について聞きたい事があるらしい。もっとも私たちが到着したのは決着がついてからだったから、話せることもあまりないとは思うが」
何か飲むものを持ってこようと言って、アンガーホースは中座する。
「些細な事でも構わない。クロヴィスの様子とか、相手の恰好とか、気になった事があったら何でも言ってくれ」
「そうねぇ……。私が見た時には二人とも立っていられないような状態だったから、勝負自体は結構互角だったとは思うわ。ただ相手の女の方が回復は早かったわね」
「そうか……」
この時点で、タオは三つ、仮説を立てていた。一つは旅人がクロヴィスとの勝負を一度辞退した後、毒を盛るなり呪いをかけるなりして、万全のコンディションでないクロヴィスに改めて勝負を申し込んだのではないかという説。これならば、勝負の開始が一時間ずれ込んだ事にも説明がつく。
しかし、今この仮説を立証する事は出来なさそうだ。残る二つのうち一つも、この二人に聞いて確かめることのできない類のものなので、タオは三番目の仮説の立証にかかろうとする。
が、その前にアンガーホースがトレーにカップを載せて戻ってきた。
「こんなものしかないが、よければ飲んでくれ。白いのとタオはこれでいいだろ?」
「わー! ありがとアンちゃん!」
タオと綾央には緑茶、オデッサと自分には紅茶を用意したようだ。
「それで、他に聞きたいことはある?」
「あー、少し気になる事があるんだけどよ。なんで相手の旅人がクロヴィスを神殿に連れて行くって話になったんだ? 普通そういうのって、神殿までの道を知っている町の誰かがやると思うんだが」
「最初はそうだったんだがな……。あの女がどうしても自分で連れていきたいと言い出した。そうしないと礼節を欠くとまで言われてしまえば任せるしかないだろう」
いささか不自然に思えるが、それを根拠に、人のいないところまで連れて行って誘拐したと考えるのはこじつけが過ぎるような気もする。それよりは、第三者が旅人と別れた直後に弱ったクロヴィスを襲ったと考えるのが自然だろう。
「まぁ、参考にさせてもらうぜ」
「その……クロヴィスさんに何かあったの?」
オデッサが遠慮がちに聞く。
「い、いや……。昨日俺はずっと神殿にいたからな。少し興味があっただけだ。お茶、ありがとな」
「またねー!」
綾央を連れ、アンガーホースの家を出る。
「おっと、忘れてた」
見送りにきたアンガーホースに、昨日その場に誰がいたかを聞いてみる。案の定というか、そこにフントの名前はなかった。
「はー……」
「いっぱい歩いたねー」
綾央の言う通り、午後のほとんどを歩きによる聞き込み作業に費やした二人だったが、有益な情報はあまりなかった。せいぜい、勝負の様子から第一の仮説は間違っていそうだと判断できたくらいである。
「これどーぞ!」
綾央が飴玉を差し出してくる。簡素な包装のシンプルな飴玉だ。
「これは……?」
「さっき男の人からもらったの。しばらくここで商売するからごひいきにってみんなに配ってたよ」
「なるほどな」
味は悪くない。良くも悪くも普通の飴といった感じだ。
今二人がいるのは、宿場町から少し外れたところにある川辺だ。
もともとこの宿場町は滝につながる広い河の傍に造られたので、宿場町から少し下れば滝口のすぐそばに出る事ができる。また滝といっても一般に想像するように滝口から垂直におちるものではなく、いくつにも分岐し、階層状に落ちていく段瀑と分岐瀑を合わせたような構造になっている。神殿の水堀もこの河の水を使っており、宿場町がここまで発展した最大の理由とも言えるだろう。
「ねぇ、タオさん。あの話考えてくれた?」
水に足を浸しながら綾央が言う。
「……あ、あれか! そりゃもちろん……」
「ふふ。タオさんって嘘つく時分かりやすいよね。今、何か考え事してて聞いてなかったでしょ」
「それはその……すまん」
「いいよ。何度だって言ってあげる」
茜色の日に照らされた水のきらめきがそうさせるのか、綾央の表情がいつになく大人びて見えた。
「タオさん、鬼祓士に入らない? タオさんなら実力も十分だし、人柄もいい。それになにより――」
妖艶な瞳がタオをとらえる。
「そなたからは鬼との強い縁を感じる。人の世に蔓延る鬼を屠るにはそなたのような男が必要なのじゃ」
「……わりぃな。鬼退治ってのはガラじゃねぇんだ。それに……守るもんがここには多すぎる。俺はたくさんの事を同時にやれる程、器用な人間じゃないからな」
「そっかー! 残念! でも分かったよ!」
すぐに元の無邪気な綾央に戻ったかと思えば、パシャパシャと足で水面を乱し始める。
「まぁ鬼退治の旅に出るためには、まずお金を稼がないとねー」
「そう言えば、初めてこの想区に来た時からずっとタコ焼き売ってるよな」
「だいたい初芽の大福用のお金になってるの」
以前、体の三倍はある風呂敷をかついだ初芽を見かけたことがあったが、まさかあれ全部大福だったのだろうか……。
「っと、もうこんな時間か。じいさんの仕事も終わってるだろうし、そろそろ戻るぞ」
「分かった!」
まだ神殿に戻るには早い時間だが、仕事に出ていた男たちが帰ってくる関係で、夜の宿場町は少し治安が悪くなる。変なのに絡まれる前に、綾央を早めに帰そうという配慮だった。子供たちもこの時間には家に帰るため、昼と夜の狭間の今は、始終賑わっている宿場町のエアポケットとでも言うべき時間だ。
「それじゃあ――」
立ち上がろうとした瞬間、世界が回転した。地面が壁となり、見えない力がタオを壁に押さえつける。
(違う、これは……、くっ……)
それと同時に急激に眠気が襲ってくる。一瞬でも気を抜けば、あっという間に眠りの世界に引きずりこまれそうだ。
「タオさん! タオさん大丈夫……きゃあっ!」
狭くなった視界の中、駆け寄ってきた綾央が何者かに蹴り飛ばされる。
「おい、ちゃんとこいつの分にも仕込んだんだろうな」
「当然です。どっちが食べるかなんて渡した時には分かりませんでしたからね。まぁ個人差という事でしょう」
聞こえてきたのは二人分の声。そしてそのうちの一人がタオを持ち上げる。
「ふん。まだ意識を保ってるか。そこだけは褒めてやる」
「てめえは……!」
褐色の肌に紅い瞳。クロヴィスと闘ったという旅人の特徴に合致する。
反撃したいが、四肢が鉛のように重く、動かすことすらできない。
「さて、このお嬢ちゃんはどうしますかね」
「こいつと一緒に連れ帰ればいい。面白い力が吸えるかもしれんぞ」
(吸う……だと……?)
「くっ……綾央には……手を出すな……!」
「言われなくても。これ以上厄介の種を増やすのは私たちもごめんですからね」
視界に入ってきたのは黒い外套の青年。おそらくブゥ兄弟に接触したのはこの男だろう。
青年は倒れている綾央の額に手をあてる。その手に彫られた刺青が青く発光し始めた。
「何、してやがる……!」
「やかましい! 黙ってろ!」
腹に衝撃がくる。その一撃で意識が飛びそうになるところを、タオはなんとか踏みとどまった。
作業を終えた青年は綾央から手を放す。
「今日の記憶を封印しました。それほど厳重な封印ではありませんが、私たちの計画の間は持ってくれるでしょう」
「これで撤退か?」
「えぇ。座標はもう設定してあるので、あとは飛ぶだけです」
(……こいつら、ただの旅人じゃねぇ……! どうにかしてお嬢たちに伝えねぇと……)
「てめぇら……何が目的なんだ……!」
「さぁね。あなたには知る必要のないことです」
青年の酷薄な笑みが、タオが最後に見た映像だった。
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