黄金の蜘蛛(短編)

古田良

地獄の喪失(即興小説トレーニングより)

 変な話なんだよ。

 まず、目覚めると暗かった。何かと思ってもがいてみると、何か長方形の櫃みたいなものに閉じ込められているのがわかった。暴れること数刻、蓋が開きまぶしい光が降ってきた。

「うわあ叔母さんこの手袋動くよぉ!」

 ヒトの子どもの声だ。おれを捕まえた奴の……甥ってところだな。

「おいチビ! おれは手袋じゃあない。金のガントレットだ。ガントレットと手袋じゃ、ぜんぜん話が違うんだ」

 おれがいうと、おれをのぞき込んでいたヒトの子どもは目をぱちくりさせておののいた。

「キャア叔母さん! こいつ喋るよ! 頭に声が聞こえてくる! 気味悪い!」

 そういってチビはどこかに行ってしまった。

「騒がせてくれるな。黄金の蜘蛛」

 チビがドタバタと去ったあと、今度は渋い声がどこからか聞こえた。おれは5つの指を使って櫃から這い出ようとした。初老の女の姿がそこにあった。

「ヤアどうも叔母さん。驚かないで」とおれはひょうきんにいった。だが女はにこりともしなかった。

「アンタが喋ることは知ってる。アンタが何者かも知ってる。説明はいらない、黄金の蜘蛛」

 おれはへりに人さし指と中指で器用に立ったまま全身を伸ばした。ねこの伸びを思い浮かべてくれると近いものがあると思う。ここで態度を間違えてあっちが優勢ってことになるとあとあと困るだろう。できるだけ動揺していない、これは散歩の一場面、みたいな態度が必要だとおれは思った。だからいった。

「黄金の蜘蛛なんて呼ばれたのは久々だ! 最近はひとと喋ることもなかなかなくって。まあこうやって久々に人と喋れたんだから、あんたがおれの大事な洞窟に来て、寝しなのおれを攫ってきたことは、大目に見てやろう。それで、一体何の用があっておれを攫ったんだい」

 おれは、見ての通り黄金のガントレット。数千年前にダルコスの狂人の血と女神の涙、そして不滅の黄金数十オンスをもとに苦難の鍛冶屋が鍛えた一級品だ。作りが精巧すぎてこの通り自我を持っている。いろんな呼び名を経て人間の手から手へと渡ってきたが、ここ数百年は、浮世のアレコレに疲れ果てて洞窟で隠居をしていた。それが、この叔母さんが、おれが同居の熊と一緒に眠ろうってときに襲撃してきて、――そうだ。この女、おれの大事な熊のビドを手にかけたんだ! それをふいに思い出し、おれはふつふつと怒りがこみあげてくるのを感じた。ああおれの長年の相棒ビド。かあいそうに。早く帰って弔ってやらにゃ。

「急用を思い出した。叔母さん。おれは帰らなきゃ。用があるなら100年後にしてくれ。おれは喪に服さなくちゃ」

「馬鹿をいうな、蜘蛛ごときが」

 叔母さんの手には研ぎ澄まされた偃月刀がギラリ光っていた。このご時世に偃月刀? 今じゃどいつもこいつも毒で人を殺すっていうのに。柄頭には血がにじんでいた。おれのビドの血だ。怒りにわななくおれに、叔母さんはこんなことを言い放った。

「あんたと一緒にいた熊の死体。あれなら今食堂であたしの兄貴が鍋でグツグツ煮込んでいるよ」

「なにを!」

 おれは力を放った。小指の先から衝撃波が放たれて叔母さんを襲う。ダルコスの狂人の血はおれに驚異的な力を宿したのだ。

 だがおれの目論見通りとはいかなかった。壁に叩きつけられるはずの叔母さんは少しのけぞっただけで、ふんと鼻を鳴らしてみせた。

「おまえの力は北のドラゴンの爪を煎じた薬液で減じてあるんだ、蜘蛛」

 渋く枯れた声が淡々と述べる。北のドラゴンだと? そいつは一体何者だ。そもそもこの叔母さんは一体なんだっていうのだ。

「わかった、わかった。戦うのはよそう。おれは今怒りでいっぱいだ。あんたをぎたぎたに引き裂いてしまいたい。だが、それは無理なんだな。そのドラゴンがどこのだれだか知らないが、おれの力を封じるのには十分だってわけだ。じゃあちゃんと話を聞こう。叔母さん、あんたは何者で、おれは一体何をすればいい。どうすれば、あんたから解放されて、熊のビドの弔いをはじめられる」

「10年」と叔母さんがいった。「あんたを探し求めた。あるときはビズラクの滝の裏へ、あるときはクラカーリヌの幻の谷底へ……そしてついに見つけた。黄金の蜘蛛。あたしの右手になるがいい」

 叔母さんがおれに手を伸ばす。おれは思わずのけぞり、櫃の中にぽとりと落ちた。叔母さんの体が櫃に覆いかぶさる。「逃げるな。お前を鍛冶屋の手に渡し、ばらばらにしてしまうこともできるんだ」

 ばらばらになったっておれは死なないよ! 経験済みだ。一度叩き直されていくつかの指輪になったことだってあるんだ。あのときはおれは集合知になって対抗し――いや今はそれどころじゃあない。おれはもしものときにとっておいたまじないを使うことにした。おれの中指にはピカピカ光る銀の指輪が嵌められている。ガントレットの上に指輪っていうのもおかしいが、まあおしゃれは自由だからな。その指輪は、すべての悪、すべての地獄の主たる淑女ゴードムを呼び出すことのできる指輪なのだ。なんでもお見通しみたいな顔をして、叔母さんは黒魔術への造詣が浅いらしい。この指輪を外さずにおいたなんてな。

 おれがぴょんと跳んで、空中にいるあいだに親指と小指をぱぱっと2回合わせて、頭の中でまじないを唱えると、とたんに黒ずんだ霧が櫃を取り巻き、櫃の底からムクムクと淑女ゴードムがその姿を現した。

 淑女ゴードムは肥った男の太ももくらいの太さ、ヒトの身長の二倍くらいの長さの節くれだったヘビだ。見た目は倒れてる黒くて長い古樹の幹みたいだ。もちろん先端が頭で、淑女らしく真っ白なつば広帽を斜めにかぶっている。蛇の目は冷徹で、のぞくと白い霧がうごめいているみたいに見える。

「あら。愛しのダルコスの形見。わたしを喚んだのはアナタ?」

 甲高い声がたずねてくるので、おれは言葉に気を付けてこう応えた。

「そうですよ淑女ゴードム。さっそくですがこのおれを助けちゃくれませんか。いま、このヒト一体にひどい目にあわされそうで」

「ヒト? どれどれ……あら」

 そして霧の瞳が叔母さんを見た。おれは、ああよかった助かったと思った。ゴードムに勝てるヒトはいないと、地獄の誰でも知っている。おれは地獄の住人じゃないけど、そのくらいは知ってるのさ。

 叔母さんも淑女ゴードムを見た。

 数刻経った。

 さらに数刻経った。

 何も起こらない。それどころか、淑女と叔母さんは食い入るように互いを見詰めて動かないのだ。さすがにおれもおかしいと思い始めた。そしてそれが起こった。

「なんだ。なんだっていうんだ」

 といいながら、おれは理解していた。

 叔母さんと淑女ゴードムが互いに歩み寄り、叔母さんが頭を垂れて両腕でゴードムを抱いた(なんだって?)。淑女のほうは真っ黒な長い舌をチラチラと出して、叔母さんの額を舐めはじめた。

「うそだろう。これは結びの儀式じゃないか……」

 それは運命をともにする同士が行う、結びの儀式だった。運命というのはいつどこでいたずらを仕掛けるか分かったものではない。まさか叔母さんも淑女も、けさがた起きたときにはこんなふうにきょう運命の相手と相まみえるとは思ってもみなかったろう……それはともかく、二人は互いに夢中だ。おれは我に返ると、これ幸いとそろりそろりと櫃を飛び出して、長屋じみた建物の廊下へ出た。結びの儀式は長いんだ。いまのうちに、かあいそうな熊のビドの骨を拾いに行こう。数刻後、食堂は焼け落ち(おれは中指の炎の魔法を使ったのだ。ビドへの弔いだ。火は怖いから、弱ってたって建物一つ、なんてことはない)、おれは薬指の指図の魔法でビドの骨をふよふよと動かしながら――これも力が減ぜられているせいで不安定だったが、なんとかなった――、ホテホテと洞窟へ帰って行った。洞窟でビドの墓を作って弔った後、追手が怖くて西へ西へと逃げた。西のドラゴンに幾人か知り合いがいるから、なんとか匿ってもらうのだ。ということでおれは今某所にいる。叔母さんと淑女がどうなったかは知らないが、たぶんつがいになったことだろう。おれを狙ってないといいけど。ひとまず、叔母さんが死ぬにはあと40年くらいかかるだろうから、そのくらいはジッとしてるよ。宣言通り変な話だったわけだけど、ヒマつぶしにはなったかい。

 

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