10 台風が来る

 その日は、うっかりしていた。

 チョコレートをぬぐってあげたハンカチを洗い忘れ、いつもよりべったりとラビィに付き添っていたから、シャンプーの匂いがついていたようだ。

 次の日。

 朝ごはんを食べているのを、父さんがにらんでいる。

 じりじりと地面を焼きつけるお日様は、今日はお休みのようだ。

 ちょっとむし暑い。

 いつも通りに、森の入り口の扉を開けようとすると、ぐいっと肩をつかまれた。

 怒った顔の、父さんだった。

「こんな所で、何をしている!そこは立ち入り禁止の森だろう!」

「えと……その……」

「まったく、逃げ足のはやいやつ」

 ついに、ばれてしまう時が来た。

 去年までは、毎日がねぼう。

 今年は毎朝早起きして、朝ごはんをささっと食べて。

 いそいそと出かけていけば、気づくだろうなあとも思う。

「どういうことなのか、話してもらうぞ!さあ、帰るんだ!」

 腕が抜けそうなほどに、引っ張られる。

 どんなふうに言えばいいのか、そもそも、許してもらえるのか。

 家についたら、まずはお尻をぶつだろうなあ。

 ふと、父さんの前には、いつのまにかラビィが立っていた。

「なんだ、キミは。そこをどきなさい」

「かえって」

 いつも眠そうな目が、しっかりと開かれている。

 宝石というよりは、中に電球を入れたような、緑色の目。

 ラビィの足首の輪っかが、まぶしいほどに光りだした。

「パパのおともだちを、らんぼうにするひとは、かえりなさい!」

「うっ!」

 父さんの身体が、石のように固くなった。

 海斗の腕をつかんでいた力が、弱くなる。

「わすれて、かえりなさい!」

 ふら、と父さんが歩き出す。

 まるで海斗を、忘れてしまったかのようだ。

「父さん?」

 追いかけようとした海斗の腕をラビィがつかむと、次に目を開けた時は、いつもの地下室だった。

「おや、来たのかい。すまないが、今日は実験だから、勉強は教えてやれないよ」

 長い髪を後ろでくくった博士が、とても忙しそうに壁のコンピュータを操作している。

「あ、いいよ。実験をみてる」

 いつもの場所に座ってながめていると、スフォルツァも今日は忙しそうだ。

 ラビィは眠そうな顔に戻り、海斗の肩に頭をあずけて、ウトウトと舟をこぎだした。

「さっきのは、ラビィのチカラ?」

「……うん」

「ああいうことも、できたの?」

「……わかんない」

 気のせいか、今日のラビィはなんだか、顔色が悪い。

「博士、ラビィの部屋ってどこ?具合が悪そうだよ」

「ん?ああ。そこのドアを開けて、右に行ったら、つきあたりに部屋があるよ」

「ラビィ、部屋にいこう。今日は、2人とも忙しそうだから」

 立ち上がれないラビィをおんぶすると、海斗は地下室を後にした。

 こうやって、研究所の他の部屋に入るのは、トイレ以外では初めてだ。

 改めて、ラビィの体温の低さが気になる。

 こんなに冷たい身体を、おんぶしたことがない。

 姿は、海斗と同じ地球人なのに。

 やっぱり、ラビィは宇宙人だ。

 つきあたりの部屋の、扉を開ける。

 カーテンやベッドカバー、クッションを水色にまとめた、いかにも女の子っぽい感じの部屋だ。

 そおっと、ラビィの身体をベッドにおろす。

 はいたままの靴を脱がせて、枕を頭の下にいれてやる。

「かいとは、おこられるの、いやだといった」

「だから、オレが怒られないようにした?」

「らびぃは、かいとと、きょうもおはなしが、したかったからです」

 海斗の小指を、ラビィがぎゅっと握った。

「かいとのては、あついです」

 あの時と同じ、柔らくて冷たい手。

「かいとを、わすれたくないです」

「……」

「ぜんぶのちからをつかって、ねると、ぜんぶ、わすれるのかなって。やさしい、はかせのことも、パパのことも、わすれるのかな」

 ラビィの目から、つつうっと一粒の涙がこぼれ落ちた。

「ちからをつかうの、ほんとうは、こわいです。おきたら、みんないない」

「なにか、思い出した?」

「わからない。かいとの、おねがい、かなえたかった。だから、つかった」

 海斗は、父さんに怒られたくなかった。

 ラビィは、海斗が怒られないように協力してくれた。

 だけどチカラを使えば、全部忘れてしまって、みんながいなくなるとラビィは思っている?

 博士は言っていた。

 超能力は、人間の体力を大きく使ってしまうものだと。

 ラビィが寝たきりになるのは、イヤだと。

 おひるねが長いのも、そのせいかもしれない。

 使わせてしまった?おれが、ラビィに、守ってもらった?

 こんなにも、自分よりも小さい女の子に。

 オレは、ラビィに何をしてあげられる?

 いつの間にか、すうすうと寝息をたてて眠るラビィ。

 水色のタオルケットを掛けると、海斗はそっと部屋を出て、ドアを閉めた。

 顔を上げると、心配そうな博士が立っている。

「チカラを使おうって決めたのは、ラビィだ。海斗が気にすることないと思うよ」

「だめだ、それじゃ」

「どうしたい?」

「言うよ。森に勝手に入った事、ぜんぶ」

「あんなにも、怒られるのを怖がってたくせに」

 困ったように、博士が笑った。

「……でも、ここに初めて来た時よりは、イイ男になったじゃないか」

 自分から、怒られるために帰るのも、かなりドキドキする。

 今日の天気は曇りで、風がとても強い。

 台風が近づいているようだ。

 そして、海斗自身にも、台風は近づきつつある。

 ちゃんと言うべきこと。

 あの森は、博士の森である事。

 博士とは、友だちであるという事。

 そして、自分は。先生からいわれた事をやぶって、森に入ってしまったという事。

 さすがに、スフォルツァのことは信じてもらえないだろう。

 だけど、海斗が勝手に森へ入ったことから始まった。

 出入り自由とはいえ、毎日来ていいとは言っていない。

 お尻叩きが、何回になるのかはわからないけど。

 家のドアを、思い切って開ける。

 玄関には、靴をはこうとしていた父さんが座っていた。

「お、海斗、帰ってきたか」

「ただいま」

「今からちょっと、台風に備えて買い物をしてくる。留守番を頼んだぞ」

「父さん、あの……今日のことだけど」

 どうせお尻をぶたれるなら、柔らかいソファーの上が良いなあとか考えてしまう。

 半ズボンを、握りしめる。

「今日?なにか他に予定があったか?」

 財布をお尻のポケットに突っ込みながら、父さんが立ち上がった。

 海斗のツンツンした頭をくしゃくしゃすると、

「何もないなら、テレビでも観ていなさい」

 そういって、父さんは駐車場へと歩いていった。

 まったく予想もつかなかった事で、玄関から動けない。

 あの時、ラビィはなんて言ったっけ。

【わすれて、かえりなさい!】

 わすれた?森に行ったことを、父さんは、わすれてしまった?

 風のせいで、開けづらくなったドアをそっと開ける。

 隙間から見た駐車場から、父さんの車が出ていった。



 結局、夕ご飯のあとも、海斗は怒られることがなかった。

「お父さんったら、買いすぎでしょう」

「断水の可能性もあるらしいから、しかたないだろ。水だって、買っておくべきだ」

 母さんが玄関であきれている。

 台風に備えて買ってきた、パンパンの買い物袋が、床をうめつくしている。

 今回の台風はとくに大きいらしくて、停電するかもしれない、と母さんがため息をついた。

「そういえば、海斗は最近、よく出かけているみたいね。明日は、どこにも行ってはダメよ」

「うん……」

 母さんにクギをさされてしまった。研究所に行くのは、あさってにしよう。

 お風呂に入って、髪を乾かしたあとは、もう寝るだけ。

 実験は、うまくいったのだろうか?


 かいとは、いっしょにこないの?


 なんとなくさみしそうなラビィの顔を思い出す。

 出来るなら、一緒にいてあげたいけれど。


 チカラをつかうの、こわいです


 ラビィの笑顔より先に、涙を見てしまった。

(オレは、笑った顔を見たいだけなのに)

 あの子が何が好きなのか、何をすればうれしいのか。

 結局、わからない。

 コンコン……

 部屋の窓を、軽く叩く音がした。

 海からの強い風が、色んなものを吹き飛ばしている。

『海斗くん、ちょっとあけてくれないか』

「スフォルツァ?」

 そっと、窓を開ける。プラモデルのスフォルツァが、浮かんでいた。

『エンジンの稼働実験が終了して、明日、ここを発つことにしたんだ』

「こんな、急に?」

『こういう時だからだよ。明日なら、誰にも気づかれないうちに出発が出来る』

「……そう、なんだ」

 せめて、最後にさよならくらいは言いたかった。

 大きいスフォルツァが、空を飛ぶところを見てみたかった。

 ラビィが笑う顔を見たかった。

『いままで、秘密にしていてくれてありがとう。もう、キミを悩ませるものはなくなる』

「まあ、うん……」

『明日は、来られるのかい?』

 海斗は、首を横に振った。

「台風の日は、外に出ちゃダメなんだ。子どもでも、大人でも一緒」

『そうかあ……お別れが出来ないままか』

「ラビィは、これからどうなるの?」

『宇宙警察機構を通じて、まずは病院に入院かな。記憶が戻っていないからね』

 また、ラビィは一人ぼっちになってしまうのだろうか。

 オレに出来ることは、何もないのだろうか?

「郵便屋さんって、宇宙にはある?」

『ゆうびん?』

「ラビィに、手紙を書きたい。メールでもいいけど」

『うーん、そういうシステムがあったかなあ』

「じゃあ、せめてこれ、もっていって」

 海斗はリュックサックからノートを取り出して、ページを一枚やぶった。

 大きく、でも読みやすく。えんぴつでお別れの言葉を書く。

【こまったときは、ちきゅうにこい。おれがまもるから  かいと】

 今は、まだ小さい子供だけども。

 次に会った時は、ラビィだけのガードマンになってやる。

 小さく折りたたむと、スフォルツァに渡す。

「これ、ラビィに渡して。もしも返事が出せそうなら、おれはいつでも地球で待ってるって」

 要するに、これはラブレターっていうものなんだろう。

 でも、チカラも何もない海斗には、これしか思いつかない。

 海斗から渡された手紙をふしぎそうに見ていたスフォルツァが、口を開く。

『そうだ、海斗くんが良かったらの話だけど』

「なに?」

『大人になったら、うちで働く気はない?キミが会ってみたい宇宙警察ロボに会えるし、もしかしたら、大きくなったラビィに会えるかもしれないよ』

「人間は、警備ロボにはなれないよ」

『ロボでなくても、警備はできるよ。そりゃあ、楽な仕事ってわけじゃないけど』

 警備っていう仕事が大変なのは、海斗も知っている。

 それが宇宙だったなら、もっとずうっと、大変だろう。

『返事は今すぐでなくてもいい。ラビィを宇宙警察に預けたら、ボクはまた地球にくるよ。ゆうびんっていうシステムはないけど、ラビィの返事を持ってくることは出来るかもしれない』

 返事をしようとした後ろで、トントンと階段をのぼる音がする。

 海斗が寝たのかを、母さんが確かめにきたのだ。

 あわてて、海斗は窓とカーテンを閉める。

「まだ電気ついてる。海斗、早く寝なさいね。夏休みだからって、夜更かしは怒りますからね」

 腰に手を当てて、ドアの所に立つ母さんが、ため息をついた。

「今、寝ようとしたところ。わかってるよ」

 多分、もうスフォルツァは帰ってしまっただろう。

 母さんから見えないところで、海斗はぎゅっと手を握りしめた。

「ならいいけど。そういえば、海斗は最近、お昼ご飯を自分で作ってるそうね?」

「父さんが、そうめんのゆで方を教えてくれた」

「いつまでも、小さい子じゃないのね。おそうめんもいいけど、お野菜も食べなさい。サラダは用意しておくから」

「うん。わかった」

「電気消すわよ。おやすみ」

「おやすみなさい」

 真っ暗になる部屋。

 スフォルツァたちが地球に来てから、こんなにも朝になるのが楽しみになったことはない。

 だけど、明日は来てほしくない。

 台風は、どんどん近づいていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る