死ニ至ル戰 ③

「ど、どうして泣いているのですか? 教えてください」

 もうそろそろ退院たいいんできそうだという日、ナースが泣いていた。まるでこの世の終わりの様な泣き方をして泣いていた。どうしたものか、親でも死んだのだろうか。だとしたら俺がなぐさめてやろう。そんな気楽きらくな気持ちで聞いたのだが……返ってきた言葉は、想像を絶する絶望的なものだった。


「ド、ドイツが……ドイツが戦争に……負けたんです……」

「ま、負けた? そ、それは……それは本当なのですか?」

「ええ……」

 ナースは俺に新聞しんぶんを渡してくれた。ドイツ政府が連合国と、休戦きゅうせん協定きょうていを結んだという話。しかも……皇帝こうてい陛下へいか退位たいいされ、オランダに亡命ぼうめいしただと?

 俺はこの時、人生で最大のショックを受けた。今まで信じていた物が、一気にくずっていく。その光景をたりにしたのだから、退院しても尚、そのショックでしばら寝込ねこんでいた。あの『スペイン風邪』で戦争に負けた事を知らない内に、死んでいれば良かったとすら思った。愛する祖国が負けたのだ、敬愛けいあいする皇帝陛下が逃げたのだ。俺の心はズタボロにかれた。あの頃、よく自殺じさつしなかったな。そう思える程の出来事だった。


 そしてその後の俺は、苦難くなんの道を歩んだ。戦後のハイパーインフレで一文無いちもんなしになった。妻には浮気うわきされ、逃げられた。それでも俺は、一本の腕でコックをしながら、ずっとケーニヒスベルクから離れる事無く過ごしてきた。ああ、あの男、アドルフ・ヒトラーが頭角とうかくを現してきても、あの『ニュルンベルク法』が施行しこうされても尚!

 一九三三年、国会議事堂ライヒスタークへの放火事件があった時、友人の国防軍の軍属ぐんぞくが言ったのだがな。

「ドイツにいてはダメだ、フランスか、イギリスか、アメリカに逃げろ」

 でも逃げなかった。俺はドイツ人というアイデンティティがあったし、どうせ奴等も中央党ちゅうおうとう妥協だきょうして反ユダヤ主義を引っ込めるだろうと高をくくっていたから。だが……現実は残酷ざんこくだった。その後の顛末てんまつは…………今更語るまでも無い。こうして強制収容所きょうせいしゅうようじょ連行れんこうされ、殺されるんだ! 畜生! 俺は祖国ドイツに右腕をささげたのに、その祖国から返ってきたのは『死』だ。冗談じゃない、何故俺は祖国に殺されなければならないんだ! いっそ、戦場か、或いはスペイン風邪で死んでしまいたかった。その方が、幸福な死に方が出来ただろうに!

 アドルフ・ヒトラー、覚えていろ、覚えて……い…ろ…こ…ろ…し…て……や…………


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 一九四三年、アドルフ・アイゼンベルグ アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所にて死去 享年きょうねん四十七歳

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死ニ至ル戰 阿部善 @Zen_ABE

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