第48話

 その夜、相沢佳花は真っ黒いAラインドレスに袖を通した。

 丈はロング。裾はフレア状で、足元に近付くほど広がっている。

 上半身にはレースが施されており、落ち着いた華やかさを演出する。

 クラシックのコンサートやオペラにも自信を持って行ける装い。

 高校生には不似合いなほど上等な生地で作られたドレスは仕立て屋の祖母からの贈り物である。最期にドレスを着てみたいと言ったら祖母は張り切って用意してくれた。

 どんなデザインがいいか、何色にするかと尋ねられ、黒いドレスと答えた。

 美しい服を着て最期を迎えたいが、浮かれた色のドレスを着るのは憚られた。

 装飾もシンプルなもの、とリクエストしたら祖母は打って変わって難しい顔をしていた。

 せっかく孫に仕立てるのだから、もっと華やかで着ていて楽しくなるような服が良かった。

 祖母は渋りながらも佳花に合った黒いドレスを贈った。

 悪いことしたかな、と思いながらリップをひと塗りする。

 肌の状態は万全なのでメイクは控えめに。リップはいつもより濃い赤で鮮やかに。

 鏡に映るのは理想として思い描いていた自分である。体のシルエットも顔立ちも肌の質感もすべてが整っている。


 鏡に映った自分の後ろに開けっ放しのクローゼットがある。白いドレスがちらりと見えた。

 こちらはミモレ丈のスカートで、黒いドレスに比べるといくらかカジュアルなデザインである。

 祖母が黒いドレスと一緒に贈ってきたのである。

 白い方を着てほしいという意思をひしひしと感じた。

 白いドレスは一度袖を通したきり。祖母に着ている写真を送ってやろうと着てみたのだが、それ以来クローゼットのこやしになっている。

 我ながらよく似あうとは思う。秀人にメッセしたらどんな反応するかなと妄想した。


 ただ、高校生の身ではなかなか着る機会がないのである。

 友達と遊ぶ私服としては気合が入り過ぎている。デートする相手もいない。見せたい相手はどこにいるかも分からなかった。

 もうじき世界が滅ぶのに外聞なんてどうでもいい。そう開き直って着るには目立つ服だった。佳花が綺麗で目立つ格好をして一人歩きしたら変質者が行列を作りかねない。

 祖母には悪いが、二度は着ることが出来なかった。

 最期を飾るのは黒いドレスと決めていた。


 今になって白いドレスが目について、これを着るのもアリかななんて考えているのはなぜだろう。

 ずっと黒いドレスを着て最期を迎えようと思っていた。

 一番きれいな状態で床について、ゆっくり眠って世界の終わりを待つ。

 苦しむことも怯えることもなく、気付く間もなく永遠の眠りにつく。

 それが佳花が思い描いた最期である。


「……まっつーのせいだよなあ、どう考えても」


 昨日、およそ一年ぶりに松葉秀人と会った。

 家に誘っても断られた。告白はしなかった。

 もう会う機会はない。誘いを断られた瞬間には、最期の瞬間までぎゃんぎゃん泣きわめく自分の姿を想像した。

 けれど秀人は笑っていた。

 世界が続くみたいなことを言って、残念会の約束は生きているかと尋ねてきた。


 黒いドレスは喪服だ。

 自分や家族、これまで出会った人たちみんなに対する喪服をイメージして祖母に頼んだ。

 だから最期にはこのドレスを着ると決めていたのに、そんな気分ではなくなってきている。

 今、カーテンを開ければ隕石が見える。どうあがいたってどうにもならない滅亡そのものが空にある。

 世界の終わりを疑う余地はない。

 そのはずなのに、喪服が似合わない気分になっている。

 できればもっと晴れやかな服がいい。これからに希望が持てるような、まっさらな服が良い。おめでたいパーティが似合いそうなドレスがいい。

 たとえば、クローゼットの中にあるような。


「なんてね、やめやめ。ここまで来たら初志貫徹。ここで予定を変えたら寝れなくなりそう」


 佳花はベッドに勢いよく座り込んだ。

 もう夜も更けてきた。あと三十分もしないうちに日付が変わる。

 地球最後の日。

 フィクションみたいな現実を前に、佳花はごろりと寝転がった。


『明日の夜、日付が変わるころ。空を見てみないか』


 目をつぶろうとして、そんな言葉を思い出した。

 否応なく死を想像させる隕石を見るのが嫌で、カーテンは閉めっぱなしになっている。


「まっつー、なんて言ってたっけ」


 たしかそう、「きっとびっくりすると思う」だ。

 正直、あまり気は進まない。

 けれど、秀人が進めるなら少しくらいは試してみてもいいかな、という気になる。

 いやでもしかし、と逡巡すること十数分。

 まもなく日付が変わる頃。


「ええい、ままよ」


 佳花はガッとカーテンを開いた。

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