第49話

「いやあ、鈴片さんの顔は傑作だったね」


 鈴片家があるマンションの屋上で、咲希はけらけらと笑っていた。


「健治さんがいなくて、真治さんとお父さんがいたのはびっくりでした」


 咲希と小百合は最期に隕石を拝んでやろうと決めた。

 つい先日、咲希が健治と一緒に訪れた山の中の展望台も候補地には入ったのだが、小百合によって却下された。

 世界の最終日。いつどこに不審者がいるかもわからない。

 じゃあどこに行こうか、と考えて思い浮かんだのがマンションの屋上である。

 山の中に比べれば助けを呼びやすい。ついでに健治の家に顔を出して気まずい思いをさせてやろうという考えであった。

 ドアが開くなり小百合が言い放った言葉が「咲希を見捨てた馬鹿野郎に心当たりはありませんか」である。あまりに明確な敵意に隣の咲希がおののいた。

 ところが出てきたのは健治の父であった。「お、さっちゃんズか」と懐かし気に言われた小百合がパニックになった。

 完全に予想外だった。健治の家には長らく健治以外いなかった。まさか面倒を見てくれたことすらある健治の父がいるとは思わなかった。考えてみれば世界が終わる前日に自宅がいるのはおかしくもなんともない。

 一人で寂しく膝を抱えているかと思ったら、健治はどこかに飛び出していったという。あんまりな肩透かしだった。

 鍋に誘われたが、あまりの気まずさに逃げるように去ってしまった。


「あんなに慌てたさっちゃん、久しぶりに見たかも」

「仕方ないでしょう。どうせ健治さん相手と思って喧嘩腰で行ったらそのお父さんが来たんですから」

「真治さんも鈴片さんもびっくりしてたよね」


 健治の父は、いきなり走り出した二人に「どこいくの」と驚いた様子だった。

 咲希が「屋上へいきます」とだけ答えて走り去ると「気をつけてな」とだけ返してきた。


 ちなみにそのあと、鈴片家では真治が「世界が終わらないって教えに行こうか」と言ったが父に止められた。どうせもうすぐ分かるのだから、人に聞くより自分で見る方がドラマチックだろうと。

 そんなもんか、と二人は鍋をつつき始めた。具材は少しだけ脇によけた。

 まだ夜は寒い。あとで二人に差し入れでもしようと思いながら。

 それからの会話は和やかなものだった。父が買ってきた日本酒も開けて、久しぶりの会話を楽しんだ。

 肴は健治と咲希の話である。


「ゆりちゃんはどうして敬語で話すの?」


 ふと、ずっと気になっていたことを尋ねる。

 前にも同じ質問をしたことがある。いきなり敬語を使い始めた時だ。

 その時は年上の方には敬語で話すのが当然です、とこまっしゃくれた回答をされた。

 自慢げな表情が可愛くて深く突っ込まなかったが、他にも理由がある気がした。

 小百合はぴたっと動きを止めた。生焼けの肉を口にしてしまった時のような表情でうなっている。

 どうせ世界が終わるんだし、と聞こえてきそうな表情で、小百合はおずおず咲希を見る。咲希はしっかり視線を合わせて顔を覗き込む。小百合は顔を手で隠してすごい勢いで横を向いた。顔色はうかがえないが、耳が真っ赤なので想像はつく。


「……いつまでも後ろを歩いてるさっちゃんじゃないぞって思われたかったんですよ」


 昔、小百合はさっちゃんと呼ばれていた。

 同じように名前の頭文字が「さ」の咲希がいたのに、小百合だけがさっちゃんと呼ばれた。

 今にして思えば、一番年下だったからだろう。

 当時はそう思えず、子供扱いされていると感じていた。子供扱いされることを不服に感じて大人ぶろうとすることこそが一番子供っぽいと気付いていなかった。

 気付いた頃には敬語が口に馴染んでいて、教師や先輩に受けが良かった。積極的に戻す理由がなく、今さら戻すのもかえって恥ずかしくて今に至る。


「くふっ」

「あ、笑った! 今笑いましたね!」

「ごめん、だって可愛くて」

「だから言いたくなかったんですよ」


 小百合はむくれたふりをする。

 本当は理由がもうひとつ。

 咲希から違う目で見られたかったのだ。

 ずっとあこがれていた。ずっと好きだった。

 だから、子供扱いされないようにこんな言葉遣いを始めた。

 せめて、あいつや健治のように咲希と対等になりたかった。

 願わくば、咲希にとっての特別になりたかった。

 これは口にする気がない思い。

 なぜならこの感情がどういう好意なのか、小百合自身理解できていないからだ。

 贈り主にすら分からないものを贈られても困るだろう。


「まあ、咲希が楽しいならいいですけど」


 咲希は笑っている。空元気や嘘の笑顔ではない。心から楽しそうに笑っている。

 いたたまれなく、恥ずかしいが、それで咲希が笑ってくれるなら悪くないと思える。

 顔を合わせていられなくて小百合は空を仰ぐ。

 隕石が月よりはるかに大きく見える。光をたなびかせ地球に迫っている。耳をすませばごうごうと恐ろしい音が聞こえてきそうな光景。

 ぼうっと空を見始めた小百合につられて咲希も空を見る。


「すごいね」

「はい。思っていたよりずっと大きいです」

「地球を粉々にするって話だからねえ」

「直径何メートルくらいあるんでしょう」

「単位はキロじゃない? 十キロとか百キロとかいろいろ出回ってた気がする」

「すっごい差がありますね」

「最近は情報が錯綜してたから。どのみち地球が終わるって思えば具体的な大きさとかどうでもよかったんじゃない?」

「確かに。実際に見てみれば実際の大きさとかどうでもよくなりますね。どうせ結果は同じですし」

「それはそうだ」


 改めて見てみると恐れより先に感心してしまう。

 世界が滅ぶと言われても「でしょうね」としか言いようがない。諦めとも少し違い、それが自然で当たり前なことだと受け入れている。


「メジャーリーガーと対戦した少年野球の子ってこんな気持ちになるのかな」

「どういう意味ですか?」

「普通の小学生じゃあメジャーリーガーに勝てるはずないでしょ。たぶん本気で対戦してボロ負けしても、悔しいとも思わないですごい人と会えたことにはしゃぐんじゃないかなって」

「ああ、こうして隕石を見て感想を言い合っているのも似たようなことかもしれませんね」


 しばらくぼんやり空を見て、それから小百合は屋上の隅を見て歩く。

 屋上の隅にはところどころゴミが溜まっている。どこから来たんだと不思議に思うようなものまである。

 手ごろな大きさの石をふたつ見つけて咲希の隣に戻る。


「投げつける石ってこんなのでいいでしょうか」

「石……あ、覚えててくれたんだ」

「昨日のことですから。隕石に石投げてやろうって言ってたことくらい覚えてますよ」


『どうせなら最後に隕石を拝んでやろうよ。みんながみんな家に引きこもって死んでやると思ったら大間違いだって石ころ投げつけてやろう』

 咲希はそう言っていた。

 隕石は拝んだ。あとは石を投げてやるだけだ。


「んー、もう少し小さいのにしておこう。この大きさだと下に人がいたらケガするかもしれない」

「これより小さいと砂利みたいなのになっちゃいますよ」

「安全第一でいこう。砂利なら下に人がいてもケガはしづらいはず」


 今度は咲希が隅っこに行く。拾ってきたのは直径二、三ミリしかなさそうな砂利。もはや砂粒と言った方がよさそうだ。

 そもそも石を投げるのは自己満足だ。投げるのが直径二十センチの石でも一ミリの砂粒でも結果は変わらない。

 なら、大切なのは言い出しっぺの咲希が満足できるかどうか。


「こんな感じかな」

「もうちょっと腕をしならせる感じで、体重をかけるといいかもしれません」


 二人は投げるフォームを確認し合う。

 きっと全く無意味なやり取りだ。

 それでいいのだと思う。最期を笑って過ごせるのなら、無意味でも価値あるやり取りだ。


「ありがとうね、ゆりちゃん。あとごめん」

「いきなりどうしたんですか」

「私と一緒にいてくれてありがとう。最期を一人で過ごすと思うとすんごくつらかったんだ。ゆりちゃんがいてくれるからこうして笑っていられる。

 それと、お父さんとお母さんから引き離してごめん。私がいなければ三人でゆっくりできたのに、私がその時間を奪っちゃった」

「謝ることなんてひとつもないですよ。わたしは咲希のことが好きですから」

「え」

「同情とか、勢いじゃないです。わたしは咲希と一緒に最期を過ごしたかったからここにいるんです。哀れみでどうでもいい人と最期まで一緒にいられるほど、人間できてないですよ」

「そっかあ」

「そうです」

「ありがと」

「どういたしまして。わたしからもありがとうございます」

「いいってことよ」

「そろそろ投げますか」

「よし、投げちゃおう。なんて言って投げる?」

「隕石のばかやろー、とか」

「いいね。それじゃあせーのでいこうか」


「「せーの」」

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