第26話

 技術室で、岩井咲希と相沢佳花は二人でアーチ制作を行っていた。

 設計図面を見ながら木の板に色を塗ったり、アーチに貼る紙の花を作ったりと地道な作業である。

 実際の組み立てやアーチに絵を描く段になればもっと人が集まるだろうが、今は楽しい作業に向けた土台作りの段階である。

 にぎやかしの花飾りを作ったり、どの位置にどの向きで配置するものか確認するために木版を移動させる作業など、地味で面倒な作業が多い。積極的に手伝おうとするものは少ない。

 この二人が参加している作業と知れればいくらでも男手が集まるが、そうなると邪魔くさいので二人はこっそり作業していた。


「午後から健もこっちに来てくれるから、それまでに細かい作業は進めちゃおうか」


 という咲希の主張で、二人は花づくりをしていた。


「そういえば佳花と会うのも久しぶりな気がする」

「あたしも咲希も学校休みがちだったもんね」

「何かあったの」

「なんにも。この間、そういえばあたしなんで学校行ってたのかなーって考えたら、実は学校に来る理由があんまりないことに気付いた」

「受験もないし、授業だってかなり減ったからね。先生も生徒もあんまり来なくなった」

「すまんね、減った中の一人で」

「気にすることじゃないでしょ。もうすぐ世界が滅ぶんだから好きなことしてればいいんだよ。ていうか私も来ること減ったし」

「咲希は何かあったの」

「健と遊びに行ったり、ちょっと行ってみたかった場所に行ったりしてる」

「健治くんと一緒に行くんじゃないの?」

「たまには一人旅も楽しいよ」

「危なくない?」

「それね。ちょっとアテが外れちゃったんだよね。まあ、走るの得意だし、行くのは人がいるか見通しのいい場所だから。マスクつけてお腹にタオル巻いて、髪の毛ぐちゃぐちゃにしてブサ化してるから大丈夫」


 咲希は自撮り写真を見せた。

 そこに移っているのは分厚いレンズの野暮ったい眼鏡をかけ、マスクで口元を隠し、寝起きのようなぼさぼさ頭で、腹がぽっこり出ている女だった。来ている服も二千円くらいで買えそうなジャージである。咲希だと思って見なければ性別の判別も難しい。


「すげえなこれ」

「でしょ。結構頑張った」


 佳花は驚嘆した。

 スマホに映っているのはさながら不摂生な生活をしている干物女。

 楽し気にスマホを差し出す咲希と同一人物とは思い難い写真だった。


「ここまでするくらいなら健治くん連れてけばいいのに」

「私がちょっと興味あるだけだから。健に頼んだらすんごい段どってくれそうだけど、そんなに気合入れて行きたいわけでもないんだよね」

「健治くんとうまくいってないの?」

「そんなことは、ないと思う。ちょこちょこデートしてるし。……進展はないけど」


 後半は佳花に聞かせるつもりはなく、極めて小さい声だった。

 健治と咲希はいまだにキスさえしていなかった。

 どちらも興味がないならよいだろうが、健治は意識している様子が見て取れる。デートの最後に恋人たちが集まって肩を寄せ合うような場所へ案内されたこともあった。

 周りがしているとなれば咲希だって意識する。相手が健治だと思えば抵抗はなかった。

 どんなタイミングで来るのかと思って横目に窺うと、健治は笑いながらも胃に何かつかえたような表情をしているのだ。

 明らかにそういう雰囲気の場所へ連れてきたのだから、そういう意図がないとは思えない。

 なのにここぞという時には気が進まないように見える。

 表情の曇りは些細なもので、健治も表に出ていると気付いていないのだろう。

 長い付き合いがあり、外から見ている咲希だからこそ気付ける躊躇い。

 分かってしまうから咲希から誘うつもりも膨らまない。


 うまくいっていないと言われたら、そうなのかもしれない。

 そんな自覚が明快な断言を避けさせた。


「あたしさ、咲希は松葉くんと付き合うものだと思ってた」


 咲希の言葉を全て聞き取っていた佳花が、手元の造花に目を向けたまま言った。

 はじけるように咲希は佳花を見る。

 二人の目は合わない。


「そういえば佳花、前に私と秀が付き合ってるんじゃないかって聞いてきたよね」

「うん。お互いすごく……なんだろ、気安い? 信頼してる? 一緒にいることが自然に見えたから」


 佳花と咲希が出会ったのは小学校一年生の時だ。

 相沢佳花と岩井咲希。二人は苗字が近く席が前後だった。

 当時、佳花は雑な格好で伏し目がちだった。

 もともと人見知りな性格で、友達ができるのか、いじめられたりしないか、と小学校に入ることが不安で仕方なかった。

 一方で咲希は当時からすでに明るく、女の佳花から見ても可愛らしかった。


 席が近かったことで何度か会話した。

 佳花にとって、咲希と話すことは楽しいことだった。友達になれたらいいなと思った。

 一方で無理だろうとも考えていた。

 たとえば休み時間。一人で授業の準備をして過ごす佳花と、他の人が寄ってくる咲希。

 たとえば給食の時間。話したくても会話の邪魔になったらどうしようと思い黙ってしまう佳花と、違う班の人からも話しかけられる咲希。

 同じクラスのはずなのに別世界にいるように見えていた。


 周囲に人が寄ってくる咲希だったが、咲希から積極的に近付く相手はたったひとりだった。

 松葉秀人。隣のクラスの男子児童。幼馴染できょうだい同然に育ってきたという。

 入学してから半年経って、席が離れたのになぜだか今も佳花に話しかけてくる咲希からそう聞いた。

 明るく笑い、同級生から頼られる少年。

 咲希と同じ世界に住む、佳花とは別世界の人。

 彼と一緒にいる時、咲希は他の人たちに囲まれている時とはまったく違う表情を浮かべていた。

 優しいというか、ゆるいというか。

 安心しているような表情だった。

 秀人もそんな咲希を妹のように扱っていた。


 余談だが、咲希から健治に近付かなかったのは、健治が近付く方が早かったからである。


「さっきアテが外れたって言ってたけど、アテにしてたのって松葉くんじゃないの?」


 佳花が視線を咲希にやるが、今度は咲希が目を伏せていた。


「……あたり」


 しばし沈黙が続いた。二人とも黙々と紙を折り花を作る。


「秀が旅に出たっていうのは、別に意外でもなかったんだよね」


 咲希はぽつぽつと語り始めた。


「秀、旅番組とか結構好きだし。たまに本屋で旅行ガイド立ち読みしたりしてたし。だから世界が終わる前に行きたい所を回ってみるって言いだす気はしてたんだ」


 秀人は高校生として標準的な小遣いをもらっていた。

 たまに電車を乗り継いで日帰りできる範囲で遊びに行っていた。

 海外旅行には手が出なかったようだが、貯金を切り崩せば一度くらいは行けるだろう。

 秀人なら船や飛行機で海外に行って、徒歩や自転車であちこち回っていても不思議はない。それが可能なだけの体力がある。


「ちょっとびっくりしたのは、行くって声をかけてくれなかったこと。そしたらボディガードありであちこち回れたのにさ」


 咲希の両親は旅行好きだ。

 今も二人で遠い海外を旅行していることだろう。

 咲希と両親は不仲ではない。

 ただ、両親の仲がものすごく良いのだ。

 二人とも娘の咲希が世界で二番目に大事だと公言してはばからない。

 父にとっての一番は母であり、母にとっての一番は父である。覆ることは決してない。

 そのことを不満に思ったことはない。家族仲が良いに越したことはない。

 さすがに今から弟や妹が生まれたらちょっとキツイが。


 咲希も旅行は好きだ。何回か両親と行ったことがある。

 秀人もそのことは知っているのに、誘いはおろか一声もなかった。

 失踪した、と言い換えられるくらい唐突に姿を消した。


「フツー、彼氏がいる女を旅行には誘わないんじゃ」

「………………そりゃそうだ!」


 目を真ん丸にして納得した咲希と、それを本気で分かってなかったのかコイツという目で見る佳花。ようやく二人の目が合った。

 秀人と咲希の付き合いは長い。秀人が旅行に行くと言えば咲希は付いて来ようとする、と予想できるほど気心知れている。

 彼氏が出来たばかりの咲希を誘わないのは当たり前だった。


「い、いやでもアレですよ。健と三人で行くっていう選択肢も」

「幼馴染だからって恋人二人のお守りをさせる気なのあんた」

「……せめて旅立つ前の日に言っておいてくれれば」


 秀人の両親に聞いたところ、秀人は健治が咲希に告白した日に旅に出た。

 その前日の夜に咲希と秀人は会っていた。

 あの時に教えてくれてもよかったじゃないか、と思ってしまう。


「言ってくれてたら、健治くんとは付き合わないで松葉くんに付いていったの?」

「それは……」


 どうだろうか。

 もしもあの夜に誘われていたら。

 健治とデートする約束がすでに入っていた。

 なんとなく、告白されるだろうなと予想していた。

 たとえばの話、あの日の帰り道で、別れ際に、手を掴まれて旅行に誘われていたら。

 健治の告白に対する答えは、変わっていたのだろうか。


 告白された時、健治の表情をいいなと思った。

 咲希が分からないことを一緒に分かろうと言ってくれたことが嬉しかった。

 気心知れた友人だけに信頼感があった。

 だから恋人になった。

 妥協や打算で付き合い始めたわけではない。


 今は違ってきている。

 分からないことを一緒に分かっていくどころか、ちぐはぐになった健治の行動原理が分からない。

 長く関わってきた相手が変わっていくようで、足元がぐらつくような不安定さがある。


 もしも今、秀人が目の前に現れて、一緒に行こうと誘われたら。

 私はどう答えるだろうか。


「……わかんない」

「そっか」


 仮定もしも仮定だったらを重ねた話。

 話を振られたからと言えど、こんなことを考えるだけで健治に対する裏切りのように思える。

 きっと、秀人と一緒に旅に出たとしても、うまくいかない時期はあっただろう。その時には逆に、健治と付き合っていればと考えていたに違いない。

 どうするのが一番良かったかなんて分からない。


「ま、早く来た倦怠期かもしれないもんね。変なこと言ってごめん。それより松葉くんからメッセの返事とか来る? こないださ――」


 霧の中に迷い込んだような話題をすっぱり佳花が転換した。

 午後になって健治が来るまでの間、二人は雑談と共に作業した。

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