第27話

 合同学園祭の前日、健治はせわしなく動き回っていた。

 体育館のステージの点検や、各クラスの出す模擬店がルールを守っているかどうか。

 結局、参加者が増えて体育館では開会式のスペースが足りなくなった。開会式、閉会式のため校庭にも音響設備を設置したので点検箇所も増えた。

 問題への対処が済み会議室に戻った時には日が暮れていた。


「おつかれさまです」

「お、健治おつかれー」


 ドアを開けてすぐ、一足先に戻っていた実行委員から山なりに何かを投げつけられた。

 なんとか受け取るとひんやりした感触があった。

 缶飲料だった。


「報告は後でいいからまあ飲め。おれのおごりだ」

「ありが……おい、これ炭酸じゃないか。今投げただろ」

「バレたか」


 悪びれもせず笑う実行委員に抗議の視線だけ送った。

 飲み物自体はとてもありがたいのだ。缶の冷たさと結露に触れた途端に喉が渇いていたと思い出した。バタバタしていて水分補給がおろそかになっていた。

 手の温度で温まっては台無しだ。近くのテーブルに置いて実行委員長のもとに向かう。


「僕の請け負った範囲で問題はありません。明日には予定通り動けそうです」

「よっし素晴らしい。いいね、それじゃあ今日最後のお仕事、会議室の片づけを手伝ってちょうだい」


 周囲を見てみると会議室の様子は昨日とだいぶ違っていた。

 昨日までは紙の資料が散乱していた。整理する余裕がなく使い終わった資料もこれから使う資料も置き場が雑に分かれているだけだった。

 明日必要な資料は見回りのマニュアルなどのごく一部。それ以外は適当に段ボールに詰められて会議室の端に置かれていた。

 会議室は明日、実行委員会本部として警備やトラブル対応の拠点となる。資料を散乱させておけないし、散らかしたままでは不便だ。レイアウトも多少変更するらしく黒板に完成図が描いてあった。


「その辺にある資料を適当に段ボールに詰めて。明日使う資料は私の席にまとめてるから、そこ以外ね」

「来年に向けてー、とか考えなくていいから雑でいいぞ」

「あ、この段ボールもういっぱいだからそっちに運んでおいてくれる」

「はいさー」


 実行委員は全員で修羅場を乗り切ってきた仲である。大雑把な指示でそれぞれの意図を汲み取って行動できるようになっていた。

 疲れていてもこれが最後と分かれば体は動く。健治も加わると最後の片づけはすぐに終わった。自分たちの息の合いようを再確認するようで充実感すらあった。


「よし、これで明日の準備もオーケーね。明日はとうとう学園祭本番。全員、めいっぱい楽しみましょう!」

「ボスは一日ここに釘付けで楽しめそうにないけどなー」

「それね! 私が一番学園祭楽しみにしてるのに! 自分が楽しみたいから企画したのに! 実現させたのも私なのに! ね!!」


 実行委員長は涙目で叫んだ。

 自分がやりたいから企画して、賛同者を集めるところから何まで主導した彼女は、この学園祭に最も精通しているからと当日も仕事が山積みなのであった。

 人が集まり過ぎてタスクが激増しただけに留まらず当日も満足に遊べない。普通の人なら義務を放り出して逃げ出しているところである。

 実行委員長は見た目こそ浮ついて遊んでいそうだが、その実責任感の塊である。自分が主導して作った学園祭だと自負しているからこそ責務を放り出せない。


「責任者のつらさだなあ。差し入れは買ってきてやるからここで学園祭気分を味わうといいよ」

「うるせーいらねー! 隙間時間にちょいちょい出るし! 学園祭のド真ん中で学園祭気分味わうだけでいられるか! ていうか委員長の私が働きづめなのにサブのあんたがなんで学祭回るのよー!」


 吠える実行委員長を煽る副委員長を眺めて他の実行委員たちは笑っていた。

 笑いながら、誰も目を合わせずに、実行委員長に気付かれないよう小声でやりとりしていた。


「明日のシフトは分かってるな」

「当り前よ」

「あんだけ頑張ったボスが蚊帳の外なんて冗談じゃねえからな」

「むしろ蚊帳の中でさらに梱包される感じだけどね」

「うまいこと言えてねえよ」


 実行委員長を除いた実行委員の面々は、実行委員長には秘密でひとつの計画を練っていた。

 誰が言ったかローマ計画。由来はローマの休日である。

 実行委員各員連携のもと、実行委員長にまとまった休憩時間を設ける計画だ。


『学園祭を一番楽しみにしていて、学園祭のために一番頑張ったやつが、学園祭を一番満喫できないなんて嘘だろう』


 という副委員長の一言で始まったこの計画は、実行委員全員に支持された。

 実行委員のシフト調整権を握った副委員長により、実行委員長には実際よりシフトが多く書かれたスケジュールが渡っている。

 当日の半分程度は副委員長が本部に留まることになる。

 それではあなたが楽しめないのではないか、という声に対する回答が、


『もともとあいつが楽しそうだから手伝っただけだからな、学園祭回るのはそれほど重要じゃねえの。自分が回るよりあいつが回る時間を確保する方が大事。他に代役できるやつもいないだろ』


 である。事実、実行委員長と同程度に学園祭のことを把握しているのは副委員長だけである。実行委員長の代役は他の誰にも務まらない。

全員の副委員長に対する好感度が爆発的に上昇したのだが。


『代わりにこの計画のことはあいつに黙っていてほしい。そして前日、あいつを煽り倒してからかうことを許してほしい』


 すぐに株価が暴落した。ぎりぎり上がり幅の方が大きかったので全員が快く協力した。


「さっちゃんたすけてー!」

「残念、松葉さんはさっき帰ったぞ」

「私に挨拶くらいしてよー!」


 この上なくイキイキしている副委員長の横顔を見ながら、実行委員は全員「この人一発くらい殴られた方がいいんじゃないかな」と思った。

 そして一分後にウザ絡みがひどすぎて実行委員長からボディブローを食らった。

 誰も助け起こしたりはしなかった。


―――


「――ってことがあったんだ」

「副委員長は相変わらず変な方向にアグレッシブだね。もうちょっと穏やかにしてればもっとみんなに好かれるだろうに」

「前に似たようなこと言われてたよ。『他人に好かれるより自分が楽しい方が優先』って言い返してた」

「ブレない。ダメな方にブレない」

「そんなところも含めて慕われてはいるよ。委員長は好きと嫌いが複雑みたいだけど」

「一番助けられてて、一番からかわれてる人だから」


 隣の咲希に今日の話をしながら帰路につく。

 実行委員でない咲希は健治より早く準備が終わっていた。

 まだ日が長いとはいえ女の一人歩きは心もとない。ここ最近では健治の仕事が終わるまで待って二人で帰るようになっていた。

 健治にとっては一日で一番幸せで、一番張り切る時間である。実行委員会での出来事を面白おかしく話し、咲希が笑ってくれるだけで一日の疲れが溶けていく気がする。


「あれも愛情表現の一種なのかな」

「そうかもしれない。僕が知る限り副委員長は嫌いな人は相手にしないから」


 積極的に絡みに行くのだから、方向性はともかく実行委員長が好きではあるのだろう。


「そういう好きもあるんだ」

「あんまり参考にはしない方がいいと思う。もしあれが愛情表現だとしたら随分屈折してるというか、小学生の男子並みというか」

「ん? 小学校の頃から健はだいぶ分かりやすかったけど」

「……はい、そうでした」


 すでに健治がいつごろから咲希を好きだったのかも話している。

 話した時に「やっぱり」と驚いた様子もなく言われ、秀人が言った通り筒抜けだったのだと顔が赤くなった。


「…………」


 ふと、そんなふうに秀人の名前が頭をよぎる。

 咲希に話そうとしていた話が頭から消えて、意識が思考に沈む。

 ここしばらく――咲希と佳花の話を立ち聞きして以来、ふとした拍子に考え込んでしまう。

 もともと兆候はあった。咲希とデートしていると、特に関係を進めようとすると、秀人の顔が浮かぶのだ。

 そんなことないはずなのに、隠れてやましいことをしている気分になる。


 いつも一緒にいた秀人がいなくなったからだと思っていた。

 デートに誘った時も、デートコースを考えている時も秀人は手伝ってくれた。咲希と付き合っているのは秀人のおかげだ。

 だからこそ、親の留守を狙って恋人の家に上がり込もうとしているような罪悪感があるのだと。

 そのうち慣れると思っていた。


 違うと気付いたのは最近だ。

 実行委員会で忙しくも充実した時間を過ごしている時にも、ふとした拍子に秀人の、小学校に入る前の秀人の顔がよぎる。そして肺を締め付けられるような息苦しさを覚える。

 なぜか。

 咲希とのことと違って学園祭の実行委員になったのは健治の意思だ。秀人がいないところで、秀人に相談することなく決めたことなのに。

 しばらく疑問だったが、咲希と一緒に帰るようになって、パズルのピースがはまるように分かった。

 それは――


「健、健? どしたの?」

「っ」


 心配そうに健治の顔を覗き込む咲希が目の前にいた。

 考えごとに没頭していた。ぼんやり歩く健治の前に回った咲希が声をかけていなかったらそのままぶつかっていたかもしれない。

 いけない、と首を横に振る。

 せっかく帰る時間を合わせてくれているのに無視するなんて失礼だし、もったいない。


「ごめん、ぼーっとしてた。疲れてるのかな――って言い訳か。ごめん」

「大変そうだったもんね。無理しないで。明日も忙しいんでしょ、今日は早く休みなね」

「うん、そうする」


 疲れているのは間違いない。毎日のように走り回って、帰る時間は遅いのだ。

 早く帰ってすぐに寝よう。学園祭が終わったら今度は咲希と一緒に何かしよう。日帰りの小旅行なんかいいかもしれない。

 そう考える健治は気付いていない。

 健治が思うより咲希が健治を見ていることに。

 ぼんやりするのは数秒程度といえど、一日に一度以上という頻度であることに。

 これまでにない様子を見せ、相談もしてこない健治に、咲希が不安を感じていることに。

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