第25話

 鈴片健治にとって、松葉秀人はヒーローだった。


 出会ったのは三歳くらいの時だ。詳しい時期は覚えていないが兄がまだ小学生の頃らしいので、それくらいだろう。

 父も母も家にいない日のことだった。

 小学生の兄に幼児の面倒を見させるわけにもいかず、父は古い知己であった秀人の父に面倒を見るように頼んだ。

 秀人の父は快諾した。同い年、同性の友人ができればきっと一生物の親友になるだろうと考えてのことだった。もちろん友人が困っていたから力になろうという考えもあった。

 一度預けられて以来、健治はたびたび松葉家に預けられるようになった。

 物心ついた頃には自宅より松葉家の方がリラックスできるようになっていた。

 当時、真治のことを家の兄ちゃん、秀人のことを外の兄ちゃんと捉えていた。

 自分で歩いてあちこち行けるようになった健治は秀人の後をついて回った。

 秀人は健治よりずっと早く歩けるようになっていた。足も速かった。それでも健治を待ってその手を引いてくれた。


 咲希と出会ったのもこの頃だ。

 ある日、秀人の後をついていくと、秀人が近くの家のインターホンを押した。

 秀人があそぼーぜ、と言うと髪の短い同い年くらいの子が現れた。

 その子と秀人はいつだって息ぴったりで、健治が追いかける背中はひとつからふたつに増えた。

 この頃、健治が仲良くなる子はいつだって秀人経由でつながった。

 健治が初めて行く場所はいつだって秀人に案内された。

 揃って迷子になることもあったけれど、秀人はいつだって健治の手を引いていた。


 だんだん成長し、手を引かれることは減っていった。

 けれど、一人ではどうしようもなくなった時には助けてくれた。健治が二の足を踏んでしまうことも簡単にやってのけた。

 健治にとって憧れであり、目標であり、最も信頼する友人だった。


―――


 世界滅亡のタイムリミットが一年を切ってしばらく経つ。

 健治は充実した毎日を送っていた。

 学校にはほとんど毎日通っている。

 不思議なもので、過去には登校が憂鬱で仕方がない時期すらあったのに、今は自発的に登校している。

 咲希も学校に通っているのが大きいだろう。しばらく前までは咲希に会うためだけに学校に通っていたようなものだ。

 最近もほとんど変わらない。二人で学校に行って、授業を受けたり話したりしていると普通の恋人になったようでとても楽しい。

 勉強しに学校へ行っているのではなく、学生ごっこをするために学校へ行っているようなものだ。


 今年は例年より大きな学園祭が開催される。当初は咲希にすべての時間を割こうと思っていたので手伝いを断っていたが、咲希も友達と遊んだり一人で出かけたりすることがあった。

 友達に聞いてみたところ、恋人だからと常に一緒にいるものではないらしい。「恋人同士でも適度な距離感ってものがあるだろう」とは友人の談である。

 言われてみれば確かにそうだと思った。健治だって咲希が絡まない趣味はある。咲希にだって一人でやりたいことはあるだろう。ストーカーみたいに張り付いていることが愛情ではない。

 せっかくなので空いた時間に学園祭実行委員会の手伝いをすることにした。咲希も楽しみにしていると言ってくれた。

 準備は大変だがやりごたえがあった。少しずつ自分の手でイベントを作り上げていると思えば充足感がある。


「健治―、ステージに必要な物品ってどんな感じー?」


 実行委員の一人から声がかかる。

 学園祭の規模が大きくなったことで必要な資材も普段の学園祭とは違うものになった。

これまで調達していた店が今年も営業しているとは限らない。健治は各学校で学園祭の運営に携わっていた人に必要物資や仕入れ先を聞き、調達の目途を立てる仕事をしていた。


「僕の担当分はリスト化してパソコン入れてあるよ。体育館の大きさは変わらないしステージ関係は例年とあんまり変えなくていいと思う」

「ありがとな! でもやっぱりちょっと外で大規模にやったりもしたいよなー」

「仮設組んだ場合の予算もざっくりだけど作ってみたけどさ、やっぱり予算がひどいことになる」

「……どうせ最後の学園祭だし、勝手に作ったりしちゃダメかな?」

「人死にが出るリスクを背負えるんだったらいいんじゃない」

「よしやめよう! 事故でも起きたら楽しい祭りが台無しだかんな」


 本気ではなかったのだろう実行委員はげらげら笑っていた。


「ところで健治、この後何するか決まってるか?」

「アーチの準備手伝うつもり。木組みのやつ作ろうとしてるけど、女の子ばっかりで男手足りないらしいから」

「ああ……久々に学校来た連中は自分の出し物ばっかりやってるからなあ。頼むよ」

「任せて。咲希と一緒なら楽しそうだしねー」

「……そういえば岩井さんも飾りつけ手伝ってくれてるんだよな。そんでお前、岩井さんと付き合ってやがるんだよなコノヤロウ。よしちょっとおまえ仕事変われおれが手伝いに行ってくる!」

「ははははははは」


 今度は半ば本気の声音で言われ健治は全力ダッシュで引き離しにかかった。

 咲希は手伝い程度にしか学園祭の準備に携わっていない。一緒に作業する機会は貴重なのである。

 仕事としてではなく、咲希と学園祭の準備という遊びをすると思えばやる気がみなぎって仕方がない。

 その予定を思えば先ほどまでのリスト化作業も力が入った。なるべく早く合流したかったのだ。

 おかげで本来の予定よりだいぶだいぶ早く合流できる。この機会を他人に譲るつもりは毛頭ない。


 咲希たちは今頃、木組みのアーチを作っている頃だ。

 正門と同程度の横幅で作ろうとしているため、結構な大きさを見込んでいる。

 強度を確保するために厚みのある素材を使用する。手作業では時間がかかる上に組み立ての強度もあやしい。

 そのためしばらくは工具を使える技術室で作業することになる。工具を持ち出せれば手っ取り早いのだが、安全確保のため電動ドリルをはじめとした工具は基本的に持ち出し禁止なのである。パーツごとの組み立てが終わったら教師の付き添いのもと外で組み立てを行う。

 今のところ工具を扱う作業は始まっていないが、いちいち資材を技術室に移動させるのが面倒ということで、アーチ制作は初めから技術室で行われている。


 ぜえはあ言いながら技術室に駆け込んだら驚かせてしまう。

 技術室が面する廊下に差し掛かったところで歩調を緩め息を整える。

 ドアの前で深呼吸をひとつ。落ち着いた状態で、入る前にノックしようとした時だった。


「咲希は松葉くんと付き合うものだと思ってた」


 技術室の中から聞こえた声に、健治は動きを止めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る