第24話

「小百合ちゃん、ちょっと話せない?」


 飲み物を持って戻ろうとした小百合に、健治はそう言った。

 健治に思うところはあるが、嫌ってはいない。頼まれたら少しくらいの時間は融通する。

 自動販売機のそばには中庭があり、ベンチが設置されている。二人はそこに腰を下ろした。

 さて、どんな話かと身構えた小百合。

 健治はなかなか話し始めなかった。


「あの、何か話があるのでは」

「そ、そう、そうなんだけどどう切り出そうかなって」

「実行委員長を待たせているので手短にお願いします」


 嫌ってなくても思うところはあるのだ。態度はややつっけんどんになる。

 そこまで促されてようやく健治は口を割った。


「小百合ちゃん、秀がどこにいるか知らない?」


 またか、と思った。

 小百合が秀人の妹であることを知っている人は少ない。

 この地域で松葉姓はそう珍しくない。学年に一人はいるくらいだ。

 秀人はあちこちで喧嘩をした。恨みも買っている。

 それゆえ一人っ子かのように振る舞っている。自宅に小百合の友人が遊びに来る時は必ず席を外していた。

 だが、そこらの高校生が隠したところで限度がある。小百合と秀人がきょうだいだと知っている人はいる。

 知っている人たちの多くは小百合に秀人の居場所を聞いてきた。

 実行委員長もその一人である。「あいつが協力してくれれば警備体制も万全なのになあ」とつぶやいていた。


「知りません。どこか旅に出たらしいですよ」

「今どこにいるかとか、どんなルートで行くのかとか、聞いてない?」

「聞いてませんよ。あいつがいなくなるまでそんなことを考えてることにも気付いていませんでした」


 旅に出たと聞いた時には寝耳に水だった。

 小百合と秀人は没交渉だ。旅のルートを秀人から話す理由はなかっただろうし、仮に相談されていても小百合は邪険に扱っただろう。


 それにしても唐突だった。

 旅に出ようと思えばそれなりの準備が必要になる。

 旅行代理店が十全に機能しているのであれば、手ぶらで旅行なんてことも可能だったかもしれない。

 今では治安が悪い地域も多く、交通機関の運行が不安定な地域もある。国外はもちろん、国内でもそんな傾向にある。

 旅に出ようと思えばそれなりの備えが必要だ。


 秀人が旅行の準備をしている気配を感じなかった。

 同じ家に住んでいるのだから、没交渉であっても姿は目に入る。

 秀人には、小百合に旅程を相談する理由がないのと同じくらい、小百合の目を盗んで旅行の準備をする必要もない。

 旅行の準備をしていれば目につくはずである。

 仮に目につかなかったとしても、秀人がいなくなるまで両親が旅行の話題を出さなかったのは不自然である。

 何の準備もなしに旅に出たと考えるとそれはそれで不自然だ。小百合は秀人がそこまで迂闊ではないと思っている。

 両親に挨拶したらしいので拉致や誘拐という可能性はない。


 つまり、よく分からないのだ。

 本当に旅に出たのかすらも定かではない。


 そっか、と健治はうなずいた。


「聞きたいことってそれだけですか」

「あ、あとひとつだけ。秀は家で僕のこと、何か言ってなかった? 最近でも最近じゃなくてもいいんだ。どんなことでもいい。何か知ってたら教えてくれない」


 上げかけた腰をベンチに戻し、目をつぶって記憶を探る。

 ここ数年はまともに会話していないので、兄と会話した記憶はなかなか思い出せない。

 両親と兄が話している場面はたまに見る。

 小百合相手に限らず秀人が健治のことを話していた場面は。


「四年前が最後です。確か健治さんたちと動物園に行ったって」

「ああ……」


 健治にとっては印象深い記憶だ。

 四年前、母と兄がほぼ同時期に家を出た。どちらも似たようなことを健治に言い放った。

 それがひどくつらかった。捨てられた子だのといじめられても言い返す気力もないほど憔悴していた。

 見かねた咲希と秀人が遊びに連れ出してくれたのだ。

 三人で電車に乗って、大きな動物園に行った。

 それまでテレビでしか見たことのないような動物がたくさんいた。動物の赤ちゃんと記念撮影できるコーナーでは、ライオンの赤ちゃんを膝に抱いて困りきった秀人が印象深かった。

 その時の写真は咲希と健治のスマホにずっと残っている。


「他にはあまり思い浮かばないですね。昔に健治さんたちとどこそこで遊んだ、みたいな話をしていたくらいです。ここ最近は家族で食事することも減りましたし」

「そっか」


 健治はほっと息をついた。

 安堵が半分、落胆がもう半分。

 ありえないような話だが、もしも秀人が健治の陰口を言っていたとしても小百合は隠したりしないだろう。

 秀人の交友範囲は狭い。不満を漏らす相手は咲希か家族くらいしかない。

 秀人が咲希に健治の悪口を言うことはない。

 自宅で日常的に健治に対する不満を漏らしていたなら小百合の耳にも届いていることだろう。

 小百合が知らないなら秀人が健治への不満を抱えきれなくなっているということはない。


 一方で秀人のことがなにひとつ分からなかった。

 幼馴染なんて言っても別の人間だ。言葉にされなければ気持ちなんて分からない。

 健治自身に直接言われたこと以外はまったく不明なままだ。


「健治さん、わたしからもひとつ訊いてもいいですか」

「あ、いいよ。どんなこと」


 思索を巡らせていた健治は快諾する。

 思えば小百合と一対一で話すことなんてほとんどなかった。

 健治の質問に答えるために貴重な時間を割いてくれた。何か聞きたいことがあるなら可能な限り応えたい。


「咲希は一緒じゃないんですか」

「うん。今頃うちの高校で準備してるんじゃないかな」

「せっかく咲希と恋人になれたのに、もっと咲希と過ごさなくていいんですか」


 言葉は質問だったが、口調は詰問だった。

 小百合は他人の人付き合いに口出ししない。当人たちの勝手だと思っている。

 だが、咲希のパートナーという地位は、小百合がどれだけ願っても手に入らなかったものだ。

 それを手に入れた健治が咲希をぞんざいに扱っているとしたら腹に据えかねるものがある。

 恋人らしいことをしていても嫌だが、咲希を最優先に扱わないのも腹が立つ。


「恋人っていっても四六時中一緒にいればいいってものじゃないでしょ。咲希は咲希でしたいことがあるみたいだから、僕はそれを尊重する。かといってひとりでボンヤリしてるのも退屈だから学園祭の準備を手伝ってるんだ。咲希も楽しみにしているからね」


 健治は苦笑いしながら返答した。

 付き合い始めた当初はずっと咲希と一緒にいるものだと思っていた。

 すぐにそれが間違いだと気付いた。

 恋人といっても二人で一人の人間になるわけじゃない。一人でやりたいこともある。

 ずっと一緒にいたらサプライズで咲希を驚かせる準備もできないのだ。

 二人とも学校に行くときには一緒に登校する。学校で一緒にいることもあるし、帰り道にデートすることもある。休日は相談してどうするか決める。

 それくらいが適度な距離感だった。


「そうですか。答えてくれてありがとうございます」

「ん。こちらこそだよ。学園祭の準備でこれからも会うと思うけど、よろしくね」

「はい。よろしくお願いします」


 健治の回答を聞いた小百合は立ち上がり、小さく頭を下げた。

 実行委員長のもとに戻る小百合を、健治は片手を胸元まであげて見送った。

 小百合の両手に収まった飲み物はぬるくなっていた。

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