第21話 その日に至るまでのいろいろなこと①
松葉秀人は相沢佳花と別れた後もまだ学校内にいた。
その足は迷いなく職員室に向いていた。
ノックをして「失礼します」と挨拶して引き戸を開けると、いくつかの視線が集まってきた。
職員室は閑散としていた。昼休みの時間だ。食べ物を買いに出ているのかもしれないが、それにしたって二人しかいないのは少ないだろう。
教師になる人間は学生時代に学校生活を楽しんだ人間であり、楽しい場所にいるのだから世界が終わると分かっても離職率は低いという話を聞いたことがあった。
それはあながち間違ってはいないのだろう。なにせ規模が縮小したと言ってもまだ学校が運営されているのだから。
一方で激務に疲れ、現実と理想のギャップに耐え切れず辞職する人が多いという話も聞いた。
そちらも事実なのだろう。まだ世界が終わると知る前、秀人が小学生の時の記憶ではあるが、職員室はもっと賑わっていた。
「えー、松葉君? どうかしたの?」
職員室にいる人間は秀人を除けば二人。どちらも秀人を見ているが探し人ではない。
ふたりのどちらかに尋ねようとしたところ、ひとりが秀人に声をかけてきた。
教師は秀人の噂の真相を知っている者が多い。小学校、中学校の担任がきちんと連絡をしてくれていたおかげである。
担任以外も、暴力事件で有名な生徒として秀人を知っていた。そして担任から話を聞いて誤解は解けている。わりと暴力的なのは誤解ではない事実なので、いまだに怖がっている教師もいるが。
「ウチの担任探してるんですけど、もう帰りましたか」
「ああ、西田先生でしたら校長室にいると思いますよ。一時間くらい借りると言っていましたから、もう来客の方も帰っている頃じゃないでしょうか
今日は授業時間が短かった。担任は来客があると言っていた。
来客が個人であれば校長室を応接室のように使用することが多い。
授業が終わったのは二時間近く前だ。もう来客が帰っていてもおかしくない。まだ対応中だったなら出直せばいいだろう。
対応してくれた教師に礼を言って職員室を後にする。
校長室は職員室のすぐ隣。職員室から直接出入りすることもできる位置にある。
「西田先生、いらっしゃいますか」
ドアをノックすると「おう」という担任の声が聞こえた。入れとも来客中だとも声は続かない。どうしたものか決めかねている間にも校長室からバタバタとあわただしい音が聞こえる。
「よし、いいぞ、入れ」
「失礼します」
許可が下りたのでドアを開けると疲れた顔の担任がいた。目の前には紙の束とタブレット、二つの湯飲みが置かれていた。
来客はもう帰ったのだろうか、と室内を見回すと一か所おかしな点があった。
カーテンである。正確にはカーテンの下だ。
靴がのぞいていた。かなり高級そうな革靴である。ちらりとスーツの裾も見えた。
校長室のカーテンは窓のサイズに不似合いなほど長いので概ね隠れている。隠れてはいるのだが、もう片側のカーテンと違い膨れているし、本来コンパクトに収まっているカーテンが無駄に大きいと目立つ。
来客の邪魔をしてしまったのかと担任を見ると、担任も秀人が気付いたことに気付いたらしく、そっと首を横に振り対面への着席を促した。
気にするな、ということらしい。
気になるが、アポなしで訪ねてきた自分のために気を遣ってくれているなら指摘するのも悪いという考えのもと、頑張って意識を外した。
「それで、どうかしたのか松葉。また喧嘩でもしたか」
「高校入ってからは喧嘩とかしてませんけど」
「そうだな。してるのは一方的な暴行だもんな」
担任は力なく笑っていた。秀人としても突かれると痛い部分なので反論せずにやり過ごす。
やがて担任は大きく息をついて、秀人に向き直った。
「今日はどうしたんだ」
「聞きたいことがあります」
「おう、なんだ。授業の質問か。それともなんかいいアイデアでも思い浮かんだか」
「隕石ってどうすれば殴りに行けますか」
冗談めかしていた担任の表情が固まった。
これまで何十人もの生徒に世界滅亡回避のアイデアを尋ねたが、まともなアイデアを持って来るものはなかった。せいぜい茶菓子狙いで談笑に来る程度で、ミサイルとか一斉にぶっ放せばー、とか考えなくても思いつくようなことを半笑いで言うだけだった。
目の前の生徒は違った。冗談みたいなことを真剣な顔で言っていた。
「どうしていきなりそんなことを聞く?」
「俺はこれまで喧嘩を売ってくるやつはとりあえず殴り倒してきました。なのに隕石に対しては無理だって決めつけて殴ろうとしなかったんですよね」
「うん、それはとっても普通のことだな」
「なので、どうにかして隕石をぶん殴ってやろうと」
「まじか」
「まじです」
担任は頭を抱えた。
馬鹿じゃねえの、と言いたい。
なにせ隕石は直径がキロメートル単位の大きさである。秀人が喧嘩に強いと知っているが、それでどうにかなる次元のサイズではないのだ。核ミサイルをぶち込んでも壊せない巨大物質を殴って壊せる人間はフィクションの中にしかいない。
担任が知る限り秀人の成績は良好だ。その程度分からないはずがないのだが、すでに『隕石を殴る』という結論ありきで方法を考えている。
担任が求めていたのは隕石を殴ろうという発想ではなく、隕石を破壊なり回避なりするアイデアだ。なんでも教えてくれと言った手前、馬鹿じゃねえのとは言い難いが、本来なら反射的に言い放っているところだ。
来客さえいなければ。
「ふふふふふ」
部屋の中に不敵な声が響いた。校長室というわりとカッチリした場所には不適でもある。
担任は頭を抱えてうなっている。よりにもよって、とつぶやいている。
当然秀人の声ではない。
となると候補はひとつしか残っていない。
秀人は膨れているカーテンの方を見た。
するとタイミングを見計らったようにカーテンが振り払われた。
「話は聞かせてもらった!」
そこにはスーツ姿の女性がいた。
黙っていれば実に仕事が出来そうな雰囲気の人だった。
黙っていない今は変なテンションのアブない人という印象だった。
秀人は関わりたくないな、と思った。
「来客中でしたかすみません出直します」
「まあ待て少年」
そっと立ち上がって校長室から出ようとすると片腕をがっちり掴まれていた。振り払うのは躊躇われ、足を止めてしまう。
助けを求めるように担任を見るが、担任は諦めろとばかりに首を振っていた。
「私はIMBの研究者の東という。君は?」
「……松葉です」
「よしじゃあかけたまえ松葉君。話をしようじゃないか」
関わりたくはないが、担任の知り合いなら秀人の名前くらいすぐに分かる。諦めて、些細な抵抗として苗字だけしか言わないでいたが、逃げられそうもなかった。
話をしようと提案口調だが、東はいつの間にか秀人の腕関節を極めていた。そして自分はさっさと座っていた。担任は何も言わず新しい湯飲みを出して三人分のお茶を淹れていた。
来客中に乱入したのは自分だし、隕石を殴るきっかけになるかもしれないし、と自分を説得しながら腰を下ろした。
「肉付きも良好、と。西田ぁ、こんな逸材を隠しておくなんてひどいじゃないか」
「そこらの高校生が天下のIMB様のお役に立つとは思ってなかったんだよ」
「それでも紹介だけでもしてくれればよかっただろう。そうすればもっと鍛えられたのに」
「連れて行く前提で話すのはやめろ。相手は高校生だぞ」
「こんな状況で高校生とか大人とか関係ないと思うがねえ」
なあ、と東は秀人を見た。
初対面の人にまっすぐ目を見られるなんて何年振りだろうか。はあ、と気の抜けた返事をしてしまう。
東は気にした様子もなくにやにや笑っていた。
担任と東の会話は途切れていた。黙っているのもおさまりが悪いのでひとつ質問をすることとした。
「IMBって、国際隕石対策委員会のIMBですか」
「そうよ、インターナショナルメテオブレイカーの東さんよ」
「正式名称そんなんだったんですね」
ぶっちゃけだせえと思った。おそらく中枢にネーミングセンスが壊滅している日本人がいるのだろうと察した。
「隕石ぶっ壊す方法を研究してたんだけど、私の担当は概ね形になったからね。今はこうして各地の研究者から保険になりそうな案を集めたり、優秀な協力者を探したりしてるってわけ」
「なるほど」
担任はいつも滅亡を回避するためのアイデアを探していた。そしてそれを専門家に伝えるとも言っていた。
これまで専門家と言ってもせいぜい大学教授程度だろうと思っていた。大学教授を侮っているわけではないが、アイデアをもらってすぐに実行に起こすだけの権力や財力を持っていないだろうと考えていた。
つまり、あまり真面目にとらえていなかった。それがまさか隕石を破壊する最前線にいる人とコネクションを持っていたとは。素直に感心する。
「なんかきみ、枯れてるな。こうして年上のお姉さんと密着してたら何か反応するものじゃないの」
「俺、好きな子いるんで」
「はっ! いいね素晴らしい! ますます好みだわ」
「まあ落ち着け」
担任がお茶を持って正面に座った。
秀人はどことなく担任が疲れている理由を悟った。
東のテンションが無駄に高いせいだ。
会話の内容が高度で頭を使ったからという可能性もあるが、疲労の理由のひとつではあるだろう。
「改めて事情を説明しよう。松葉、こちらはIMBの研究者の東だ。頭おかしいやつと思ってるかもしれないが、それは正しいが、良い意味でも頭がおかしい」
「おい西田、それは悪い意味でも頭がおかしいって言ってないか」
「言っている」
東は唇をとがらせて担任に絡んでいた。
二人は相当気安い関係らしい。やりとりは雑な部分があれどこなれている。
「IMBってのはフカしじゃない。地球滅亡を回避するために研究するからってどさくさに紛れて入り込んだ本格派だ。身分は私が保証する」
「西田も来ればよかったのに。こんなところで高校教師なんかしちゃってさー」
「身の程はわきまえている。それに私はそっちに行くより高校教師しながら研究するほうがあっている」
「ま、そうみたいね。おかげで良い素材にも会えたし」
そう言って東は秀人を見た。戸棚に隠してあるお菓子を見つけた子供のような表情だった。
「東、こいつは松葉秀人。ウチの学校の一年生だ。見ての通り身体能力が高い」
「どうも」
「頭は?」
「悪くない。私の授業にもきっちり取り組んでいる。話を聞く限り状況判断能力も高い」
「へえ」
担任がタブレットをいじる。秀人に「成績とか見せてもいいか」と尋ねたので了承する。隠すほど悪くはない。
東は本当に読んでいるのか怪しいような速さで画面をスクロールさせていく。それなりの文量がある様子だったのに、すぐに読み終えた。
丁寧な手つきでタブレットをテーブルに置いた東が秀人に向き直った。
「それで、松葉君はどうして隕石を殴りたいと思ったの」
「むかつくからです」
理由はいろいろあった。
世界が滅ぶのは嫌だ。秀人だって死にたくないし、咲希たちが死ぬことも許容できない。今のところコレがしたいと言えるものはないが、これから生きていけば何か見つかるかもしれない。
一度は諦めてしまった。超巨大隕石が落ちてくるのではどうしようもないと心のどこかで思っていた。世界ごと全てが終わることを受け入れてしまった。
佳花と話して隕石に対する認識がほんの少しだけ変わった。
佳花は「隕石は殴りにいけないかー」と言った。
よく考えてみれば隕石はこの世に存在する物質だ。地震や台風のように明確な形を持たないエネルギーではない。
どうやって近づくとか、隕石が存在する環境に人間が生存できないとか、そういった問題を無視して考えれば物理的には殴れるのだ。
秀人の中で隕石は『抗いようのない天災』から『殴れるデカブツ』に変わった。
殴れるのならそこらのチンピラと同じだ。チンピラが自分や身内を殺そうとしていたら秀人は迷わず殴りに行く。
とはいえ隕石が強大であることに変わりはない。仮に殴れたとしても秀人は地球よりちょっとだけ早く終わりを迎えるだろう。
それでも一発殴りたかった。
ひとことで言えば、むかつくから。
即答すると東は声を上げて笑った。
理不尽な契約を求める魔女のような笑い声だった。
「私も同じよ」
ひとしきり笑って東は秀人の目を見た。
東の目は爛々と燃えていた。
「こんなところで人生終わりなんて冗談じゃない。むかつく隕石はぶっ壊す。松葉秀人、あんた、ウチに来なさい」
「隕石は殴れますか」
「あんたの努力次第よ。相応の実力があれば殴れるのは保証してあげる」
担任は額に片手を当ててため息をついていた。
秀人が校長室の外から声をかけてきた時から妙な予感がしていた。
いつもの気のない声ではなく、決然とした響きがあった。来客中だから後にしろと言おうとしたが東に止められた。東は手元の端末を見てにんまりと笑っていた。
話を聞いてみればこれだ。間違いなく秀人と東は同調する。
親御さんにどう説明するかな、と考えるだけで頭が痛む。
「行きます」
とりあえず、担任は秀人を休学扱いにする手続きを進めることにした。
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