第7話
「よし、じゃあメッセのID交換しよ。ほら友達だから。あたしとまっつーは友達だから」
佳花が自分のスマホをいじりながら催促する。やたら友達を強調するのは照れ隠しか何かだろうか。
ID交換ってどうやったか、と久しぶりの行為に手間取りながらも無事に連絡先を交換した。登録名は『よしか』。久しぶりに増えた個人名の連絡先である。
クラスメイト達はその様子をうらやましそうに眺めていた。
世界が滅ぶまであと一年となった今も学校に来ているのは、他にやることがないか、学校に来る特別な理由があるかのどちらか。魅力的な少女とお近づきになりたいというのは、思春期としては至極まっとうで重要な理由かもしれない。
さらに言えば友人が多い咲希と違い佳花の連絡先を知っている同級生は珍しい。男子となればなおさらだ。連絡先を交換しようと誘って「スマホの充電切れちゃった」とか適当に断られた男子は数知れない。
それだけに佳花の連絡先を、それも佳花から提案されて手に入れる秀人はうらやましかった。
連絡先を交換してご満悦の佳花はリズミカルにスマホの画面をタッチする。
秀人のスマホがぺこんと鳴った。佳花からのメッセージである。
『これからよろしくね』
と、端的な一文がばっちりデコられた状態で届いていた。
余談ではあるが、この日の夜に佳花は「なんでいきなりあんな浮かれ丸出しのメッセージ送ったし」と自分にキレながら布団をかぶることになる。
口で言えばいいじゃねえかと思いながら佳花を見ると、佳花はスマホで微妙に顔を隠しながら、何かを期待するように秀人をじっと見ていた。
……メッセージに反応すればいいのか。
この距離なら絶対に口で言った方が早いよな、と思うがそこまで無粋ではない。秀人も『こちらこそよろしく」とメッセで返信する。ただし佳花と違って顔文字やキラキラした記号などは使っていない。そもそもデコり方を知らない。
今度は佳花のスマホがぺこんと鳴った。佳花は画面を見たままのにやけ面で「よろしくね」と小さな声で言ってきた。
送った文章がそっけないかと少しだけ不安だったが杞憂らしい。
「まっつーのアイコン、松の写真なんだ。登録名も松だし、シンプルすぎない?」
「なんとなく本名で登録するのに抵抗あったんだよ。でもクラスの連中とかと連絡取り合うこと考えたら分かりやすい方がいいだろ」
「クラスの人と連絡取り合ってるの!?」
佳花の声が大きくなった。それほど衝撃だったらしい。
秀人は手のひらを下に向けて『抑えて』と伝えなら静かに首を横に振った。
連絡先を知っているクラスメイトは佳花を除けば健治と咲希の二人のみ。クラスという概念が崩壊している今、クラスのグループもなく圧倒的に孤立していた。
アプリを入れた時にはクラスの連中とこれで連絡を取り合うのか、と考えていただけのこと。
あっ、とすべてを悟った佳花は『なんかごめん』とメッセをよこした。『気にするな』と返す。
「そういう相沢のアイコンは……なんだこれ、クマか」
「うん、ヒグマ。かわいーでしょ」
「かわ……?」
佳花のアイコンは歯茎をむき出しにしたヒグマの写真だった。
ものすごく好意的に解釈すればクマの笑顔と取れないこともないかもしれないが、秀人の頭の中にはマルカジリとかイタダキマスといった言葉が巡る。秀人が知る限り、ヒグマは本州で最大の肉を食べる野生動物だ。牙も露わな写真を見ても可愛いという単語とは結び付かない。
人それぞれだよな、と疑問符でいっぱいの心を誤魔化して無理やり納得する。
「それはそうと、相沢の登録名は名前そのままなんだな。俺よりシンプルじゃないか」
「っ、そ、そうなの。……まっつーもよかったら、」
「うーし待たせたなー、お前ら席につけー」
佳花が何か言いかけたところで担任が教室にやってきた。
他の生徒もだらだらと席に着き、授業を受ける準備を始める。あと一年で世界が終わるというのに学校に来て、わざわざ授業を受けようとする連中は根本的にまじめだった。
これから授業が始めるという状況で話し続けるのは憚られ、秀とも佳花も黒板に向かい座りなおす。
秀人は佳花が何か言いかけていたことに気付いていたが、佳花が前を向いてしまったので追及しない。気になるようなら休み時間にでもまた聞けばいい。
そういえば朝に話しかけてきた理由を聞いていなかったな、なんて考えながら授業を受ける。秀人には「友達との会話を楽しむために話しかける」という行動様式が備わっていなかった。
授業を受けるうちにそんな思考は隅に寄せられていく。
無闇に高度化した授業は余計なことを考えながら受けていたら一分で落ちこぼれる。教師も生徒も受けたい者が授業を受けるという認識になっているため集中していない生徒に対する救済措置はない。そしてその授業形式に異議がない者のみが受講する。
授業を聞き、内容を咀嚼し、忘れないようにノートにメモを取る。この工程をひたすら繰り返すことは嫌いではない。少しでも確実に自分の視野が広がっていると感じられるし、授業が終わった後には充足感がある。
あっという間に授業が終わる。いつもより時間がたつのが早いと感じたが、実際に授業時間が短かった。いつもの一コマ程度の時間しか経っていない。
担任に来客があるらしい。教師が私用で授業を早く切り上げるなんて公立校にあるまじき所業だが、咎めるものはいない。そもそも授業自体受けたところで何ら役に立たないものである。どれほど受験勉強したところでその前に世界が終わる。
授業が終わったところでやることは特にない。商店街に行って買い物をするのもアリだが、健治たちに会う可能性を考えると気が引ける。寝不足の状態で山に遊びに行くのは危ない。早々に帰宅しても暇を持て余すことになる。慌ててするような何かがあるならそもそも学校に来ていない
「ねえまっつー、この後とか、時間ある?」
「あるある。授業が早く終わるとは思ってなかった」
この後どうするかと考えていた秀人に佳花が声をかけた。
渡りに船だった。暇を持て余していることもあるし、何より幼馴染以外のクラスメイトに誘われるなんて初めてのことだ。まるで漫画の登場人物になったようで心が躍る。自分の非日常が一般にはありふれていると考えると憂鬱になりそうだったのでそこは忘れることにした。
「どこか行くのか? 荷物持ちでもなんでも付き合うぞ」
「なんでも…………?」
乗り気であることを、表情で伝えるのは難しいので言葉で伝える。
すると佳花はぽそりと呟いて黙ってしまった。
なんでもは言い過ぎだったか。それとも時間があるか聞いただけで何かに誘ったわけではないとかそういうオチなのか、と予防線を張ってみる。
佳花ははっと小さく首を振った。
「あ、や、なんていうか、どこか行こうとか考えてたわけじゃなくて、もうちょっと話したりできないかなーって。まっつーとこれまで友達と思われないくらいしか話してなかったし、急にヒマになっちゃったし、……いかがだろうか」
「願ってもない話である」
口調が変になった佳花に合わせて返してみたが、一秒後には何言ってんだ俺はと激しい後悔に襲われた。突っ込まれないうちに二の句をついだ。
「場所はどうする? どこかの店にでも行くか」
先ほどからクラスメイトがちらちらこちらを窺っている。急に空いた時間なら佳花を誘っても断られづらいと考えている連中だろう。
聞かれて困るような話をしなくても盗み聞きされるのは気分が悪い。
「んー、お昼にはまだ早いし、どこかの空き教室でも使う? だいたい空いてるし」
「その手があったか。だいたい空いてるもんな」
宣告以前と比べると生徒数は激減し、授業もクラスも減った。校舎内の部屋は半分以上が空き教室になり、今は使われていない。二人で駄弁る場所くらいいくらでも確保できる。
連れだって教室を出るが、誰もいない空き教室が見つかったのは校舎の端っこだった。同じようなことを考えている生徒がそれなりにいるらしい。
佳花が先だって微妙に埃っぽい教室に入り、秀人がドアを閉める。こんなところまで追いかけてくるクラスメイトがいるとは考えづらいが、めざとく佳花を見つけて話しかけてこられても困る。鍵をかけなかったのは佳花への配慮である。
空き教室では机と椅子が教室の後ろに追いやられており、黒板側の半分は何も置いていなかった。佳花は窓を開けてその下に座り込んだ。ぺしぺしと自分の隣の床を叩いている。来い、ということらしい。
逆らわず佳花の隣に向かった。座るのには抵抗があったので立ったまま柱に背中をもたれる。
佳花は秀人が座らなかったことが不満げな様子だったが、勘弁してほしい。佳花のような体育座りは似合わないし、狂犬だの暴力装置だの言われる秀人があぐらをかいたりヤンキー座りをしていたら即チンピラ認定される。すでにされている、と言われたら秀人は内心で泣く。
ふいに佳花が深呼吸を始めた。すー、と大きく息を吸うと同時に埃まで吸ってしまいげほごほとせき込んだ。
「大丈夫か」
「う、うん、大丈夫……」
背中をさすってやろうかと思ったが、今日友達と認識した女子にいきなり触れる度胸はなかった。
佳花は佳花で息を整えて、何事もなかったように口を開いた。
「今朝さ、まっつーにあたしが話しかけるの珍しいって言ってたけど、学校に来るのがまっつーだけっていうのも珍しいよね」
「ああ、なんだかんだ健治も咲希も毎日学校に来てたからな」
健治は学校に来れば咲希に会えるから。咲希はよく分からないが、二人とも学校を休むことはなかった。秀人も同じである。常に幼馴染三人で固まっていたわけではないが、学校に来るのが一人だけという状況は初めてのことだ。
「風邪ならお見舞い行こうかなって咲希にメッセ送ったんだけど、返信ないんだよね。まっつー何か知ってる?」
「あの二人ならデートしてるよ」
「でぇと!?」
秀人が答えると佳花がすっとんきょうな声をあげた。
とうとう健治が咲希を誘ったこととか秀人が言いそうに思っていなかった単語が出てきたことに驚く佳花。
一方で秀人も自然と話したことに驚いていた。今までなら健治や咲希のプライベートに関わる話なので「さあな」とか言って適当に誤魔化していたことだろう。佳花を友達だと認識したからかとあたりをつける。
「え、あの二人は今日デートしてるの?」
「昨日、健治が誘ったんだよ」
「まっつーはなぜそれを……?」
「健治が誘うメッセ打つ現場にいた」
「なるほど」
佳花も健治、秀人とは十年近い付き合いだ。三人の性格や関係性はそれなりに知っている。健治がぐだっとした決意をして秀人に相談して急かされたんだろうなーと限りなく真実に近い推測をした。
ということは、秀人は咲希がデートに誘われることをよしとしたわけで、それはつまり、と考えをまとめる。
一方で秀人も自分の考えていること、感じていることを整理していく。
「そっかー、とうとう健治くんが動いたかー……。で、まっつー的に健治くんの勝算はどんなもんなの?」
「あるんじゃないか? 健治もやると決めて行動までたどり着けば最後までやりきるし、告白するまでは確定。昨日の咲希の反応からすると、たぶん付き合い始める」
「健治くんがデートに誘った後に咲希と会ってるの」
佳花の眉間にしわが寄り、ありありと混乱する。
昨日の朝は咲希も健治も変わった様子がなかった。健治が咲希を誘ったのは昨日の正午以降。昨日は三人で連れだって学校を出ていたし、健治はメッセで咲希をデートに誘ったらしい。デートの誘いそのものは夕方ごろにされた可能性が高い。そのあとに咲希が秀人と会っているってどういう状況だこの幼馴染どもは。
学校で咲希と一番親しい女子は自分だという自負が佳花にはある。誰にでも優しくて明るいがその実けっこう内向的な性格も知っている。健治がずっと咲希を見ていたことも知っているし、秀人がただの乱暴者でないこともよく知っている。
しかし、この幼馴染三人の関係性といえばいまだによく分からない。
今時珍しいくらい三人で行動していることが多い。かといって常にベッタリ一緒にいるわけでもない。健治は友達と一緒にいることが多いし、咲希は佳花と話している時間がそれなりに長い。秀人はひとりで本を読んだり勉強したりしているようだが、ひとりでいる時の方がリラックスしているようにも見える。
健治は秀人の弟分で、咲希と秀人は付き合っているのではないかと思った時期もあるが、咲希から笑って否定された。
考えても分からないのだから話の流れで聞いてみることにした。
「ねえ、まっつーと咲希たちってどういう関係なの」
「幼馴染だな」
「それは知ってる。記号的じゃなくてもっと個別に具体的な関係というか……まっつーって、咲希のこと、と健治くんのこと、どう思ってるのかなって」
咲希のことだけ聞きそうになって慌てて健治のことも付け足す。秀人がどんな反応をしたか緊張しながら見るも秀人はぼんやり宙を見ていた。
二人のことをどう思っているか。改めて考えたこともない命題だった。
嫌ってないのは確かだと思う。嫌いな相手の世話を焼く趣味はない。
健治と咲希と一緒にいるのはあまりにも当たり前すぎて、具体的に考えたことはほとんどなかった。
「……ああでも、咲希のことは好きっぽいな」
「え」
過去から今に至るまでざっくり思い出して、昨日にたどり着いたところで呟いた。
佳花が顔を上げて秀人を見るがそれにも気づかない。
「え、まって、え? まっつー咲希が好きなの? 健治くんを応援してたんじゃないの?」
「ビックリだよな。昨日気付いてだいぶ動揺した」
平然と言われても説得力ねえよ動揺してるのはあたしだよ。
佳花は言いたかったがなんとかこらえた。
血の気が引いたような、呼吸できているか自信が持てないような気持ちをなんとか押し込む。よく分からないなりに考える。
咲希が好きだと言う割に健治と付き合うんじゃないか、と言った時の口調は淡白だった。今の話の流れでは友人としての好きとは考えづらい。好きな人が他の誰かと付き合いそうならもっと慌てたりするものじゃないだろうか。
「今にして思えば、きっかけは一年前だな。そのくらいから好意の質がちょっとだけ変わった気がする」
「な、何かあったの?」
「何かってほどじゃないけどな」
中学三年の冬。高校の合格発表が終わった頃のことだ。
咲希が松葉家にやってきた。それは珍しいことではない。妹と咲希は仲が良く、遊びに来ることもしばしばあった。
けれど、その日は咲希の装いが違っていた。
インターホンが鳴ったので、宅配便でも来たのかと思って玄関に出た秀人を迎えたのはうっすら化粧をした咲希だった。
『……お、おう秀。おっす』
『…………咲希か』
ドアを開けた姿勢で秀人は硬直した。一瞬、目の前にいる女性が誰か分からなかった。
咲希の肌が自分や健治よりすべらかであることは知っていた。がさつな中学生男子のにきびっぽい肌とは見てわかるほど違っていたからだ。
そのことを意識して見たことはなかった。肌の見た目が違うのも、人によって髪の長さが違う程度のことだと思っていた。
意識してみればまるで違った。秀人の肌ではどれだけ丁寧にケアしても咲希ほど柔らかく、なめらかで、みずみずしくはならないだろう。自分と咲希は明確に違う性質の生き物だと本能的に察した。
今ならわかる。秀人はその時まで咲希のことを妹と同じカテゴリで認識していた。だから女性として咲希を認識した瞬間、混乱した。そして咲希は妹ではないと自然に理解し、妹とは違うカテゴリに入れた。
昨日までそのカテゴリに名前を付けていなかっただけだった。
『もうすぐ高校生だろ。だからちょっとメイクしてみていいんじゃないかって、ゆりちゃんから道具を借りてみた。……どうかな』
『あ、ああ、なんていうかこう、いつもの方が落ち着くな』
思い返せば最悪の返答だ。気の利いたことを言えとは言わないが、もう少し何かあっただろうと今なら思う。
咲希は『そっか。いつものが落ち着くか』と笑っていた。内心傷付いていたかもしれない。
あの時。もしも『見違えた』とか『綺麗だな』とか言っていたら、何か変わっていたのだろうか。
いくら考えても過去は変わらない。
「じゃあまっつー、咲希に告ったりしないの?」
秀人が過去を思い返していると質問が投げかけられた。
恋愛感情ではないとしたら秀人が簡単に否定できて、かつ話の流れとしておかしくない質問。
佳花の脳細胞がフル回転して出した渾身の言葉だったが、秀人は乾いた笑いを浮かべるだけだった。
「ないない。ていうか健をけしかけた俺がどの面下げて告白とかすんだよ」
「べつによくない? 咲希の目の前でけしかけたわけじゃないんならいくらでも言い訳きくし。咲希の性格的に、誰かと付き合ってるのに告白されて揺らぐってことはないだろうし、わざわざ健治くんに告白されたことを報告したりしないだろうし。びっくりされて断られて終わると思うけど」
「断られて終わるのが前提なのに告白するのか」
秀人の認識では、告白とは恋人という関係を構築するための申請である。相手が承諾すれば契約が成立する。
咲希は付き合いたての恋人がいるのに他の男に手を出したりしない、という佳花の見解に異議はない。そんな器用な人間でないことは秀人自身よく知っている。健治と付き合い始めた場合、秀人が告白しても確実にフラれる。
ならば申請するだけ無駄だ。健治と付き合い始めたところにそういう申請を出せば不信感を持たれるリスクを負うことになる。咲希が告白されたことを健治に話さなくても、咲希と秀人の間はぎくしゃくするだろう。
なんのメリットもないのにリスクを負う必要はない。そう考えていた。
「告白しなきゃ終われないでしょ」
佳花は抱えた足に顔を埋めるようにしながら言った。
「ちゃんと終われなきゃいつまでもずるずる気持ちを抱えることになるじゃん。フラれたらそこで終わりって踏ん切りがつくじゃん」
思いを告げなければ、告げることが原因で関係が悪化することはない。
しかし、目の前の誰かに向けられた思いは外に出る瞬間をいつだって待っている。
それを黙っていることは自分の感情を殺すことに他ならない。抑え込んでつぶしてなかったことにする。気持ちを押し殺すとはうまい表現だと思う。
直接顔を合わせることが無くなるならいずれは思いの亡骸も風化してどこかに消えるだろうが、咲希や健治との関係はそう簡単に切れないだろうし、切りたいと思わない。秀人が何も言わずに距離を置こうとすれば二人は距離を詰めてくるだろう。
「……そうか、そういう考え方もあるのか」
思いは表に出してやる。成就しなくても思いの残骸を抱えることはなくなる。
どうして距離を置くのか分かっていれば二人は無理に近づいてきたりしない。整理ができた頃合いにまた近付いていいか確かめればいい。二人はきっと許してくれるだろう、と希望まじりの信頼がある。
あと一年という残り時間で整理をつけることができるか分からないが、行き場のない思いを抱えずに済むのはメリットと言える。
「そーだよ。しっかり告ってしっかりフラれてきなよ。そしたらあたしが残念会を開いたげる」
秀人が佳花を見下ろした。佳花は秀人を見ていた。二人の目が合った。
いつでも都合つけるからさ、と佳花はつづけた。
残念会。失敗したことを引きずらないよう、その場ではしっかり悲しんで、飲み食いしたり愚痴ったりして立ち直れるよう気持ちを打ち上げてやるための催し。
決して楽しいだけの会ではない。なのに残り一年という短い時間を都合してくれるという。
「相沢、いいやつだな」
「今頃分かったか。惚れてもいいんだぜ」
「悪い、俺好きな子いるんだ」
「知ってら」
なんとなく目を合わせていられなくなって笑いながら目を閉じた。
本当に、こんないいやつが自分を嫌わないでいてくれたなら、もっと話しておけばよかった。もったいないことをしたなと心から思う。
世界が終わるまであと一年。佳花と出会ってから空費した八年ほどを取り戻すことはできない。せめてこれからはもう少しは仲良くできるだろうか。世界の終わりはもうしばらく待ってくれないかと窓の外に視線をやった。
「どうかしたの?」
「隕石が落ちるまでのリミット、もうちょいまからないかと思って」
佳花ともっと話してみたかったからとは言わず嘘ではない一部を口にする。
「さすがのまっつーも隕石は殴りにいけないかー」
佳花はころころ笑った。
秀人は喧嘩っ早い。なんでそんなに血の気が多いのかと佳花のいるところで咲希に問い詰められたことがある。
行動は迅速に、身を守るためなら過剰防衛でちょうどいいという価値観を小学生の頃の経験則で身に着けていた。
くだらない噂を流しているやつに対処するのが遅れれば後々〆たところで噂は消えない。暴力を振るわれて黙っている場面を誰かが見ていれば『こいつは殴っていい』と思われる。だから敵と判断し次第反撃する。二度と手を出そうと思わないくらい徹底的にやり返す。それは相手が多人数だろうが上級生だろうが変わらない。
たしかそんなふうに答えたはずだ。佳花は覚えていたらしい。
信条は今も変わらない。
なのに隕石相手ではぶん殴ってやろうなんて考えもしなかった。
相手は天災だ。むしろそれが普通で当たり前。
「どしたしまっつー。めっちゃ笑ってるけど。ていうかまっつーの分かりやすい笑顔とか初めて見たかも。動画撮っていい?」
「いや別に。なんでもない。あと動画はやめて」
「そっか、残念。でもその笑顔、下級生の女の子とかには向けないであげてね。たぶん殺されるって思っちゃうから」
「そこまで言うか」
「だってまっつーのカテゴリって、人間かアニマルかで言ったらアニマルだし。アニマルかビーストかって言ったらビーストだし。まっつーをよく知らない人が見たらぜったい目を逸らすと思う」
わりと意味不明なことを言われている気がするが、ニュアンスはなんとなくわかった。ひどい言われようだが、小学校の頃の不愛想さを克服し華やぐような笑顔を身に着けた佳花相手では言い返すつもりにもならない。
「善処するよ。さしあたって笑うコツとか教えてくれると嬉しいんだが」
「コツ、コツかあ。あたしは可愛いって自分に言い聞かせて恥とか自意識には黙っててもらうことくらい?」
「マジか。とはいえ俺は可愛くないからな」
「そこで張り合わなくていいから。キャラじゃないとかヘンに思われないかなって思うかもしれないけど、続けてるうちに自分も周りも慣れるから。自分でそれが普通と思える頃には周りも当たり前になるから。継続こそ力なりー」
「相沢が言うと説得力あるな」
「実体験だからね。まっつーの場合、あんまり口角あげないで穏やかに笑う方がいいかも。歯が見えると肉食獣っぽいし」
「歯茎まで見せたヒグマを可愛いというやつもいるみたいだが」
「それは個人のシュミだから」
そういうもんか、と追及はしない。何をいいと思うかは人それぞれだし、状況によって感じ方も変わる。動物園で鉄格子の向こう側に見るライオンを可愛いと思っても、サバンナで直に対面したら怖いと思う。
他愛もない雑談をしていると脱力してきて、秀人もその場に座り込んだ。
そして自然と言葉が滑り出した。
「俺も告ってみるよ」
「お、いつ告るの? 残念会の準備しとくよ?」
「あー、日はいつがいいかな。さすがに今日は予定詰まってるだろうしな……決めたら連絡する」
「ん、分かった」
そのまま正午ころまで雑談を続けた。
二人で昼食に行くのもアリかなと思ったが、それはまたの機会として佳花と別れた。
今はもっと優先して行くべき場所がある。
翌日から秀人は学校に来なくなった。
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