第6話
翌日も秀人は登校した。
寝不足もいいところで頭がガンガンする。体は重く考えがまとまらない。
もう出席日数も何もなくなっている。休んだところで怒られることもないのに登校しているのは習慣のなせる業か。
昨日のように道中健治に会うことはなく、誰とも一言も交わさずに教室にたどり着いた。自室にいても余計なことを考えてしまいそうで早めに出たこともあり、始業にはまだかなり時間がある。
がらりとドアを開けると昨日と同じクラスメイトがそばの席に陣取っていた。
一人、秀人と目が合ったが挨拶もせず目を逸らした。秀人も無言で横を通り過ぎる。
「ちゃんと挨拶しろよ、目ぇ合ったのに無視とか……」
「無理だよ無表情だし怖ええもん!」
声量は抑えられているが秀人の耳にはしっかり届いている。それを指摘するほど大人げなくはないので聞こえないふりをしてやる。
健治がいなければこんなものだ。昨日だって健治がいたからついでに挨拶されただけ。
自分から笑顔で声をかけてみれば変わるかもしれない。そんなことを考えたこともあったが長年かけて固まった表情筋はそう都合よく動いてくれない。日頃は閑職に追いやっておいて急に大活躍しろなんて虫のいい話は通らない。
座席指定が無くなって久しいが、よく登校する人は自分の席を自分で決めている。秀人がいつも座る席には誰も座っていない。
その隣、いつも咲希がいる席に座る者もいない。
朝から一日の予定だったっけか、と昨日見た健治のデートコースを思い出しかけて、自分には関係ないことだとかぶりをふる。
秀人の勘だが、おそらく健治と咲希は付き合うことになる。
そうなれば二人であちこち出かけたりもするだろう。学校に来る時間もなくなるかもしれない。
……ならもう学校来なくてもいいか。
来たところで遠巻きにされるだけ。なんとなく授業を受けているが特別面白いとは思わない。
仮に二人がこれからも登校するにしても、幼馴染三人ではなく恋人二人と幼馴染一人になっている。秀人は確実に異物だ。
トラブルが起きたとしても今後秀人が出張ることはない。健治と咲希が二人で解決することになっていく。
もともと惰性で通っていただけの学校だ。このあたりが引き際かもしれない。
「おはよーまっつー」
ぼんやり考えていると聞き覚えのある声に馴染みのない名前で呼ばれた。
呼ばれたのは自分ではないかも、と思ったが名前に「まつ」と入るクラスメイトはいない。そして声の主は秀人の机の前まで来ていた。
とりあえず視線を上げると、ボブカットのクラスメイトと目が合った。
「おはよう、相沢。珍しいな」
声をかけてきたのは相沢佳花。咲希の友人である。
昨日、咲希と話している時に名前が出てきたな、と思い出したせいでまじまじ顔を眺めてしまう。ごくうっすらとした化粧に覆われた肌は少しの荒れもなく、髪はつやつやと光を反射している。美容に疎い秀人でも分かるほど丁寧に手入れがされている。
初めて会った時には髪の毛も伸びっぱなしで垢抜けない容姿だった。
本当に、驚くほど綺麗になった。
ひっそり感嘆する。
「珍しいって何が?」
「相沢が俺に話しかけてくるのが」
「珍しくないし。むしろクラスで言ったら咲希と健治くんの次くらいにまっつーと話してるし」
「そうだけど、話す時にはだいたい咲希がいただろ」
「……や、それにはやむをえまれぬ事情がありまして」
佳花はわざとらしく視線を宙に漂わせる。何かを誤魔化そうとしていることが誰にでも分かるほど分かりやすい。
やむをえまれぬ事情ってのは二人で話すのが怖かったってことだよな、とあたりをつける。直接本人に「暴力振るわれそうで怖かったから一対一で話すのは避けてました」とは言えないだろう。
佳花はそっぽを向いて口をもごもごさせている。会話の流れは完全に途切れている。佳花から話を再開するのは難しいだろうと思って気になったことを聞いてみる。
「ところでまっつーって何?」
言うと同時にしまったと思う。聞き方に抑揚がない。語尾が下がった。
佳花はこれまで秀人のことを「松葉くん」と呼んでいた。呼び方を変えた理由はなんだろうと会話のきっかけ程度に軽く尋ねたつもりだ。
しかし今の言い方では、ナニ人を間抜けな名前で呼びやがった、くらいのニュアンスに取れてしまう。現にクラスメイトたちは顔を青くしながら佳花と秀人を見ている。
「あたしとまっつーって、よく考えたらもう十年近い付き合いじゃない? それなのに松葉くんってすっごい他人行儀かなって。……嫌だった?」
佳花に怖がった様子はなかった。言いながら秀人の机に両手の指をかけてしゃがみ込んでしまったが、これは秀人を怖がっているのではなく新しい呼び名を嫌がってないか心配しての行動だ。
怯えた様子がないことに安堵しながらもそれは表情に出さない。表情筋が凝り固まっているので出せない。特に気にしていないと分かるよういつも通りに言葉を返す。
「別にいいよ。蔑称でもないし」
「やだな、友達のこと蔑称で呼んだりしないよ」
「えっ」
「へっ?」
沈黙。
佳花はぱちぱちと瞬きを繰り返し、そっと立ち上がり、秀人の前の席の椅子を引いた。目を閉じ、眉間にしわを寄せながら横向きに座る。
佳花はふう、と息をついて顔を秀人に向け、意を決した様子で質問した。
「おっけーまっつー、まっつーにとってあたしはどういうポジションの人?」
「咲希の友達」
「遠い!」
ぺしっと佳花は秀人の机を叩いた。予想外の反応と強い言い方に驚いて秀人が少し身を引いた。二人を遠巻きにしていたクラスメイトたちも秀人が押されている様子を珍しそうに見ていた。
佳花は唇を尖らせて見るからに不満そうだった。
いやだってまともに二人で話したこともないしこれ以外ないだろう、と内心思っていたがそれを口にしたら泣かれそうな気がした。
「……遠いか」
「遠いよ。ていうか小学校の頃からの付き合いなのに友達とすら思われてなかったかー……あ、やだめっちゃショック」
「付き合い自体は長いけどあんま話したりしてないだろ」
「だってまっつー、あたしのこと避けるし」
「相沢は俺を怖がってると思ってたんだよ。違うのか」
「違うし。いったいどこでそんな誤解が……」
「初めて会った時とかめっちゃ挙動不審だったろ。前髪で目ぇ隠れてたのに下向いて絶対目が合わないようにしてたし」
「う、そうだった……でもアレだから。怖がってたのは小4までだから」
「……小4の時に何かあったっけ?」
佳花が自分のことを怖がらなくなるようなイベントは覚えがない。
小4あたりはトラブルが多かった時期だが、佳花がその場に居合わせたことはほとんどない。あっても秀人が人を殴っている現場だったはず。むしろ怯えられるようなことをしていた自覚があるだけに不思議だった。
秀人が思い出そうとしていると、それを察したのか佳花がまたぺちぺちと机を叩いた。
「思い出さなくていいから。とりあえず今、あたしはまっつーを怖いとは思っていません。おーけー?」
「おーけー。分かった」
「……で、それと、あたしとまっつーは友達ってこともおーけー?」
本人は何気ないつもりなのか、訊きながら視線をあらぬ方向に向けている。
あからさまに不自然である。ちらちら横目に秀人をうかがっているのもバレバレだ。
ちらっと「いや友達ではない」と言ってみたらどうなるかなと悪戯心が湧くも悪戯にしては悪質だなと思い直す。
思えば佳花とも長い付き合いだ。最初に会ったのは小2の頃。まだ自分の見た目に無頓着だった佳花は、咲希の紹介ですでに乱暴さが知れ渡っていた秀人と顔を合わせた(ただし目は合わなかった)。咲希を介してもまともに会話できなかった。
言われてみれば、小5の初めに佳花が髪を切ってから変わった気がする。咲希を介せばある程度会話できるようになった。
公立の中学にそのまま上がって、世界が終わるというのに揃って高校受験をして、おなじ学校に潜り込んでとなかなかの腐れ縁である。
そんな佳花を友達と呼ぶことに抵抗はなかった。
「了解。これからは普通に友達な」
佳花はそっぽを向いたまま、にまーと笑った。
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