第4話
そういえば、とひいきにしている漫画雑誌の発売日だったことを思い出したのでコンビニで立ち読みしてから帰宅した。
習い性でただいまと言うが今日は家に両親がいない。返事はないものだと思っていたのに「おかえりー」と聞きなじみのある声がした。
「おそかったねー」
リビングには咲希がいた。
頭を抱えたくなった。この状況を健治に見つかったらどう説明したものか。
その場に膝をつきそうになる秀人とは裏腹に、咲希はソファのアームレストに頭を預けて寝っ転がっている。スカートではなくパンツをはいているので下着が見える心配はないが、他人の家にしてはあまりにもだらしない格好であった。家主の長男である秀人が帰ってきても、おかえりと言うだけで今も太ももに乗せた雑誌をめくっている。
「何しに来たんだよ……」
「ゆりちゃんに服の相談しにきたの」
咲希は今でもちょくちょく松葉家にやってくる。
実は秀人と付き合っているから――なんてことはない。秀人の妹と仲がいいからだ。二人で出かけることもあり妹の部屋で姦しくしていることもある。根掘り葉掘り聞くつもりもないし妹とはほとんど没交渉なので詳細は知らない。
そうかい、とだけ言って冷蔵庫から麦茶を取り出す。ソファ近くのテーブルにはコップがなかったので棚からふたつコップを取り出して両方に麦茶をついだ。一応来客なので咲希にも麦茶を出してやる。
ありがと、と受け取った咲希はソファの近くに来た秀人を雑誌と交互にちらちら見ている。
「あのさ、秀。実はさっき、健からデートに誘われたんだよね」
「誘われた直後に他の男がいる家に来るとかなかなか悪女だな」
「慌ててデートコーデの相談しに友達の家に行く女って考えれば可愛げあるでしょ」
「言いようだな」
実際、妹と咲希は付き合いの長い友人だ。悪女呼ばわりは冗談でもまずかったかな、と反省する。
それはそうと、デート用の服にこだわるということはすでに脈ありなのか、と意外な心地で咲希を見た。咲希は非難がましく秀人を見ていた。
「秀が健をそそのかしたんでしょ。デートに誘えって」
「さあな」
「さっき健のウチにシチュー届けに行ったって知ってるんだからね。……健から、明日のことについて何か聞いてない?」
「何かってなんだよ。とんちんかんなメッセに日程は詳しく載ってたんじゃないか」
「やっぱり知ってるし。その、日程表にあることじゃなくて、……告白、とか。するつもりなのかって」
「そりゃ本人に聞け」
「聞けるわけないでしょ」
「だろうな。ま、明日行けば分かるだろ」
「それはそうだけど……」
咲希はぐっと両腕を伸ばして体をそらす。息をついて緊張を緩め、先ほどより猫背気味のだらけた姿勢になる。
「告白なんて言葉が出てくるあたり、なんか察するものはあったんだな」
「そりゃね。あれだけ分かりやすいもの。秀だって気づいてたでしょ」
「まあな。俺には咲希が気づいてたってことが意外だ」
「えっちょっと私どれだけ鈍感だと思われてたの」
「健の様子が変わっても咲希は全然変わらなかったから、ナチュラルにスルーしてるものかと思ってた」
「スルー出来るわけないでしょあんだけ露骨で! 健が悟らせるつもりないみたいだから態度変えないように気を付けてたの!」
手近にあったクッションを投げつけられる。それを片手で受け止める。
健治の好意は、本人が隠しているつもりと聞いたら驚くくらいにオープンだ。中学以来健治は誰に対しても人当たりがいいが、咲希への態度は他に対するものと明確に違う。
咲希は幼い頃からずっと健治への対応が変わらない。だから健治から咲希への気持ちが変わったことに気付いていないのか、と戦々恐々の心地で眺めていたが、そうではなかったらしい。むしろ咲希は健治の意図まで汲み取って態度を変えずにいた。
「結構大変なんだからねー。今日だって回し飲みくらいであんなに取り乱してさ。今さら関節キスくらいどうとも思わないけど、あれだけガッチリ意識されたらこっちまで恥ずかしくなるっての」
「昔は三人で大皿の飯をつついたりしたもんなー」
まだ幼稚園の頃には子供たちを一つの家に預けて親たちの休みに充てるなんてこともあった。その時には大量の焼きそばや鍋料理をテーブルの真ん中に置いて食事することが多かった。
幼児だった三人には取り箸なんて発想はなく、それどころかそれぞれの取り皿からおかずを奪い合うようなこともあった。色の違う箸をセットで使っていることも珍しくなかった。関節キスなんて十年以上前にさんざんやっている。咲希としてはその程度の認識なのだが、あからさまに目の前で意識されるとそうもいかないらしい。
「今日の様子を見てもまだ先かなーって思ってたらいきなりデートに誘われるし。告白されたらどうしようとか考える時間はもうちょっとほしかった」
「なるほど。でも明日告白されるって決まったわけでもないだろ」
健治のヘタレっぷりは一番近くでずっと見ていた。仮に今、必ず明日告白しようと強く決心していても、当日にトラブルでも起きればどうなるか分からない。
「それなのよー。もし考えてない状態で告られたらパニくっちゃうだろうし、がっちり考えて行って告白されなかったらすんごい自意識過剰みたいで恥ずかしいし」
不意打ちで告白されたら慌てる。しかし準備万端で臨んで肩透かしも恥ずかしい。乙女心は複雑らしい。とりあえず保留にすればいいかと考えないあたり優しいのかもしれない。
それにしても言ってることは「どう断ろう」「断ったらどうなるか」ではない。女は恋愛対象として見ていない男はばっさり切り捨てると聞いたことがあったが、そう考えると明日うまくいくこともあり得そうに思える。
「ねえ秀、秀は告られたことある?」
「ないわそんなもん。俺がどういう扱いされてるのか知ってるだろ」
「知らないなー、切れやすくてマッハで暴力沙汰を起こす猛犬扱いされてるなんて全然知らない」
咲希はけらけらと笑った。
まったく、と秀人も近くの一人掛けのソファに腰を下ろした。
秀人の評判はほとんど咲希が言った通りである。高校に上がってから暴力沙汰は起こしていないが、小学校中学校での暴れっぷりは広く知れ渡っている。
上級生を泣かせたとか十人返り討ちにしたとか戦果をあげていれば、尾鰭のついた噂話が飛び回って遠巻きにされる。秀人にどんな事情があったかなんてわざわざ調べたり考えたりしない。その行為自体が地雷かもしれないのにわざわざ関わろうとするのは少数派だ。
「なんでまたそんなことを聞くんだ。仮に告られたことがあったとしても彼女がいた時期がないことは知ってるだろ。断りの参考にでもするのか」
「違うし。断るにしてもオッケーするにしても自分でちゃんと考えるし。……ぶっちゃけ私、レンアイとかよくわかんないんだよね」
「かなり告白されてたし慣れてるもんかと思ってたけど、違うのか」
「ほとんど顔と名前しか知らない相手に告られても取り合おうとは思わないよ。『気持ちは嬉しいけど』って定型文でおしまい」
ずっと近くに幼馴染の男友達がいた。
付き合いが長いだけに相手のいいところも悪いところも知っていて、相手も自分を知ってくれている。
彼氏なんて作らなくても男友達と遊びたいなら二人で事足りる。単純に二人以上に仲の良い、仲良くなりたい相手がいなかったこともあって、告白されても現在彼氏は募集していませんと断っていた。
二人以上に自分を理解してくれる男はいなかった。相互理解を深めたいと思う男もいなかった。だからいらないと断れた。
「ぶっちゃけ向こうも私の顔と名前しか知らないだろうに、よく告白してきたものだって思ったよ。どんなところが好きかって聞いても顔をちらちら見るだけだったり、心が綺麗とか言ってきたり。あんたの前で心が綺麗なところなんて見せたことないっつーの」
「まあ、顔が良いってのは異性に興味を持つ理由としちゃ強いわな」
咲希の外見は非常に整っている。小さな顔に薄い唇、目は大きく黒目がちで、後ろに結った髪はさらさらと風に揺れる。少なくとも秀人は咲希並みに容姿の整った人間は他に一人しか知らない。そしてその一人は女だ。
「なんていうかさ、見た目で相手を好きになるってフツーのことだと思うし、別にいいんだけどさ。告白するならもっと会話して相手に自分のことを伝えてからとか、相手と同じくらい見た目を整えてからとか考えない? ほとんど話したことがなくて見た目も雑なままで告白してくる根性が分からない」
「……『実は咲希が自分の目立たないけど優しいところを見ていて、それに惹かれていた』とか期待してるんじゃないか」
「ンな都合のいい話があるかっ!」
咲希はぐいっと麦茶を飲みほしてやや乱暴にテーブルに戻した。ガンと意外に大きな音がして、割れてないよねとおっかなびっくりテーブルとコップを見る。
「咲希にしてみれば手抜きに感じるかもな。一方的に見た目に惹かれただけのくせに自分の見た目は普通のまんま、会話とか仲良くなるステップを全部省いて、咲希が自分の美点を見抜いて好きになっててくれってことになるもんな」
「そうそれっ! 秀いいこと言った! まさにそれよ。あいつら手抜きなのよ。私がどれだけ猫かぶってるかも知らないでさ」
咲希は見た目も性格も活発で外交的な人間だ。
しかし開けっ広げではない。相手によって踏み込ませるラインを決めていて、そのラインまでなら許しているだけのこと。
そしてほとんどの相手に許しているラインはかなり浅い部分までである。興味を引くことが多いだけに攻撃されることも多い咲希は、傷ついて困るところまで他人を踏み込ませない。例外はごく少数である。
「咲希も大変だよな」
ごく少数の例外である秀人はしみじみ呟いた。
大変だった事例のほぼ全てに関わっているので実感がこもっている。
「その節はお世話になりました。で、秀は好きな子とかいないの?」
「すげえ方向転換したな今。聞いてどうするよ」
「えー、だってこういう話する機会とかなかったしー、友達とすると秀や健のこと聞かれるばっかりでつまんないしー、コイバナしようよコイバナー」
「そう言われてもな、そもそも関わりのある女子がほぼいないんだよ」
「ゼロじゃないでしょー。佳花とか超可愛いくない?」
「あー、随分綺麗になったよな。でも俺あいつに怖がられてるぞ」
「そうかな?」
「そうだよ」
ひとりの同級生の顔が思い浮かぶ。秀人が知る限り唯一咲希と並ぶ容姿の持ち主だが、思い出せるのは不安げだったりおどおどしていたりと固い表情ばかり。最近も顔を合わせた時にはうつむいていることが多いので、実は間近で正面から顔を見た覚えがない。小学校の頃から怯えられている自覚はあったので、むやみに話しかけず二人だけになるような状況を秀人からも避けていた。おかげで間に咲希を挟まず話したことがほとんどない。
そのたった一人を除けばまともに会話する同級生は幼馴染の二人だけ。他は怖がるか無関心かのどちらかで、会話をしないという結論は同じ。秀人の方から話しかけることもない。
我ながら枯れた青春だと思う。もっとも、今さら愛想よく周囲と仲良くする自分は想像できないし、喧嘩を売ったり買ったりしたことにも後悔はないのだが。
傍らの咲希はつまらなそうに唇を尖らせている。あまりよくない流れを感じて秀人は話題を変えた。
「そういえば小百合はどうしたんだ」
「わ、露骨に逃げた。……服取ってくるって言ってたけど、遅いね」
「部屋戻りがてら呼んでくる。つーか服を選ぶなら小百合の部屋に行けば良かったんじゃないか」
「そうかも」
へへ、と咲希は笑った。
秀人は二人分のコップを流しでざっと片付けて二階の自室に向かう。
ダイニングから出て階段に差し掛かったところで妹と目が合った。
妹は階段の下から四段目に数着の服を持って座っていた。階下の秀人を睨む目は不機嫌丸出しの冷ややかなものだった。
どうやら秀人と咲希が話していたので階段で待っていたらしい。妹は聞こえよがしに舌打ちをして立ち上がった。
視線と態度で『どけ』と言われ、秀人はおとなしく道を開けた。妹は一瞥もくれずその横を通り過ぎる。まもなくリビングから「ごめん、おまたせしました」と先ほどの視線の主とは思えない朗らかな声が聞こえた。
そりゃまあ、ずいぶん話し込んでたけどさ。
ひっそりとため息をつき秀人は音を立てないよう二階の自室に向かった。
数年ほど妹とまともに会話していない。ここ一年は特にひどい。
数少ない肉親くらい仲良くしていたいところだが、あれほど嫌われる覚えがない。昔から運動する時には家を出ているし、隣室の妹に聞こえるほど自室で音を立てることはない。服装は流行りものではないが無難なものを選んでいる。きょうだいとして恥ずかしいほど成績が悪いわけではない。当然妹の前でR18の動画を鑑賞したこともない。
しいて言えば過去の喧嘩沙汰だが、それにしても妹に火の粉がかからないように気を遣っていた。このあたりでは松葉という苗字はさほど珍しくない。妹が家に友達を連れてきた時には一切部屋から出ないか家を出るようにしていたので、秀人の妹であると知っていた人は少ないはずだ。
一度、不満があるなら言ってくれと迫ったことがある。
妹はゴキブリを見つけたような目で無視をした。待てと手首を掴んだらもう片方の手で顔を引っかかれた。「さわんなキモい」とこれ以上なく明確に拒絶されてから、秀人から近づくこともなくなった。
原因が分からなければ対処しようがない。自分で考えても分からず本人に聞いても教えてくれない。心当たりがないだけに阿(おもね)るつもりにもなれなかった。
反抗期かもしれないし、とごくありきたりで雑な結論に行きついた。もしかすると仲良くしようという態度そのものが気に入らないかもしれない。
以来、妹との関係は改善しないものの悪化もしていない。没交渉となり改善の余地も悪化の余地もなかっただけとも言える。
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