第3話
「たっだ、い、まー……」
健治は軽いステップでマンションの階段を上り、自宅のドアを開く。
そして洗濯物が干しっぱなしで電気もついていない部屋に直面する。
弾むような声は尻すぼみになり、鉄球でもつけられたような足取りで薄暗い部屋に入る。
玄関のそばにある明かりのスイッチを力なく押して自分の部屋に学生鞄を放り投げる。自分は消え替えもせずぼすりとベッドに倒れこんだ。
台無しだった。
学校が終わってから咲希と秀人と三人でタピオカミルクティーを飲みに行った。あまり反応が良くなかった咲希を誘い出してくれた秀人には感謝してもしきれない。飲み比べするのも楽しかったし、秀人が帰ってからも話をしながら商店街を歩いて回った。ほとんど咲希の食料品を見て回っただけだったが、雑貨屋にも寄って小物を眺めたりもした。時計なんて一度も見る暇はなく、気が付けば日が暮れていた。咲希が自分も持つと言っていた食料品もひったくって歩く帰り道は荷物の重さも気にならずスキップまでしそうになった。タピオカの容器を片手に米屋さんに入ったら米田さんに二度見された。
人生最良の一日だった、と言っても過言でないくらい楽しかった。
しかし自宅に帰ったとたん楽しい気分は急速にしぼんでいく。もう一年以上経つが、いまだに自分以外の気配がしない家に慣れない。帰った時に電気がついていないこともただいまに返事がないことも今に始まったことではないが、家族で住んでいた家にもう自分しかいないと突きつけられるようで喉に油を流し込まれたような気分になる。
これじゃ一人暮らしはできないな、と自嘲してみるがもとから自分一人で住むための部屋だったら気にならなかったという妙な確信があった。
「夕飯、いらないかな」
結構歩いたはずだが家に帰って急に食欲がすぼんだ。空腹ではあるが食欲が湧かない。胃袋に鉛でも流し込まれたような気分だった。タピオカミルクティーを飲んだしそれだけでカロリーは足りてるんじゃないかな、と誰にともなく言い訳する。
はあ、とため息をつくのと同時にスマホが震えた。一も二もなくスマホを取り出し画面を表示する。今の気分を誤魔化せるなら、誰からのどんなメッセージだろうといくらでも対応できるつもりでいた。
「……最悪」
メッセというあまりにもストレートな名前のメッセージアプリを開くと、そこに表示されていたのは父親からのメッセージだった。『調子はどうだ』という端的なメッセージに心がざらついた。
秀人からのメッセージなら今日のお礼と共に雑談に持ち込むつもりだった。他の同級生からのメッセージでも適当なにぎやかしにはなった。咲希からのメッセージだったら最高だ。一晩中のやりとりでも心からの笑顔で対応できる。
けれど父親はだめだ。調子はどうだなんて聞かれても、息子を放り出したやつが何を、と反感が真っ先に湧いて出る。
スマホをベッドの上に放ってため息をつく。そんなことを気にするくらいなら家にいればよかったのだ。仕事だから、と息子を放置しておきながら気遣うようなことをされても今さらだ。
「せめて事情くらい言えば納得できるかもしれないのにさ」
世界があと一年で終わるというタイミングで仕事に熱を入れる理由が健治には分からない。本当はどこかに別の家族でも作ってるんじゃないかと疑ったこともある。無口で不愛想で不器用な父親にそんな真似ができるとは思えなかったが。仮にそうだとしたら健治に連絡なんてよこさなくなるはずだ。
父の性格を考えれば、何か大切な仕事をしているのだろうと分かる。けれど理解と納得は違っていて、何も言わずに放置されたことに腹が立つ。事情を話しても分からないとガキ扱いされたとしたらむかつくし、話さなくても分かるだろうと高をくくられていたなら気分が悪いし、心底どうでもいいから話さなかったとしたら子供なんか作るんじゃねえと殴りたい。
そんなにパパが恋しいか。いっそ連絡なんて取らずに綺麗さっぱり切り捨ててほしいのか。
ぐるぐる考えているとスマホの通知音が鳴った。
見ると、また父からメッセージが入っていた。今度も短く『夕飯は食べたか』だけ。
「なんだよもー……」
いっそ父親の連絡先を削除して連絡を取れないようにしてしまえばすっきりするかもしれない。
そう思いながらもどう返信するか考えていた。
自分から父親を切り捨てれば、と何度考えても一度も実行したことはない。結局切り捨てられることも切り捨てることもなく、なあなあのぬるい関係が続いていく。
決して嫌っているわけではない。ただ納得いかなくてイライラする。
『食べた』
『メニューは』
『なんでもいいだろ』
『本当に食べたか』
端的なやり取りがポンポンと積み重なっていく。
やり取りが面倒で嘘をついたら即座に疑われ、見透かされているようで居心地が悪い。
腕に力を入れて体を起こす。気分は乗らなかったが父親とやり取りするのも面倒だ。本気で父親が鬱陶しいだけならメッセージを無視してしまえばいいのに、それができなかった。
「……買い置きの野菜とソーセージがあったかな」
つぶやきながら冷蔵庫を開けると、ほとんど空洞になっていた。咲希の買い物に付き合うついでに自分用も買っておけばよかった、と考えても後の祭りだ。
とりあえず一食分はあったので野菜とソーセージをざっくり切って塩コショウを振り軽く炒める。その前に冷凍ご飯をレンジに突っ込むのも忘れない。
調理時間はわずかに十分。雑な夕飯が完成した。調理器具は食器と一緒に洗えばいいや、と流しに置いただけである。
雑なことがわかりにくいように、ちょっとは彩を加えようとトマトケチャップをかけてから写真を撮り『今日の夕飯』と父に送る。父からはすぐに『ならいい』とメッセージが届いた。
「それだけかよ」
火の通りがまだらな野菜をかじる。塩のかかり方もまばらで絶秒にまずい。ケチャップをべったりかけて誤魔化しながら片付ける。
野菜炒めを片付けてからご飯が残っていることに気づき、どうしようか悩んでいるうちにぺこん、とスマホが鳴った。
「また父さんじゃないだろうな」
期待しないでスマホを見ると、今度のメッセージの送り主は秀人だった。
『シチューが余ったけどいるか』
「シチューか……」
健治的にシチューはご飯のおかず感があまりない。しかし塩気のある食べ物なら白飯のアテにはなるだろう。ビーフシチューだとすっごくありがたいな、とおすそ分けをもらう身で偉そうなことを考えながら返信する。
『ほしい。今家にいるから十分くらいでそっちに行く』
『コンビニ行くからついでに行く』
「マジか」
二重にありがたかった。持つべきものは幼馴染だと神に祈りを捧げたくなった。
スナック菓子とジュースを用意してフライパンや野菜炒めの皿を片付けているとインターホンが鳴った。慌てて手を拭いてインターホンの映像を見ると、ビニール袋を二つぶら下げた秀人が写っている。エントランスの鍵を開錠するとまもなく秀人がやってきた。
「よう」
「いらっしゃい。まあ座って」
と健治が言い終わるころにはダイニングの椅子に座っている秀人である。幼い頃から何度も訪ねている家であり、最近もちょくちょくおすそ分けに来ていることもあり、まさしく勝手知ったる他人の家である。
「これがシチュー。ついでにコンビニで買ってきた肉まんとピザまん。どっち食う」
「ありがと。じゃあ肉まんもらう」
先ほどケチャップまみれの野菜炒めを食べたこともありトマト系の口ではなかった。シチューは電子レンジ対応のタッパーに入れてきてくれていたのでそのままレンジにぶち込み、遠慮なく肉まんにかぶりつく。秀人は秀人でスナック菓子をあけてジュースを飲んでいるのでお互い様である。
シチューはすぐに温まり甘い香りが広がる。途端に失せていた腹の虫が活性化しぐるうとうなり声をあげる。クリームシチューだったが、ご飯を入れて小麦粉とチーズをのっけてライスグラタン風にしてもよかったな、と思うが後の祭りだ。そのうちシチューを作ったらやろう、と気を取り直す。
秀人がにぎやかしにつけたテレビのバラエティを見ながらシチューとご飯を交互に口に運ぶ。なにやってんだ、とか馬鹿でー、とか笑いながらの食事は先ほどの野菜炒めと比べ物にならない。
「ふう、食べた食べた」
野菜炒めで無駄に膨れていた腹にはちょっとばかり多かったが満足感が大きい。ふう、と健治は満足げに息をついた。
とっくにピザまんを食べ終わりスナックをつまんでいた秀人はカラになった皿を見て口を開いた。
「今日はどうだった」
「んー?」
「俺が帰った後、ちゃんと米屋には行ったか」
「行った行った。米田さんにはめっちゃ二度見された」
健治も咲希も米田米店は何度も使っている。今さら制服の高校生が店に入ってくることくらい米田さんにとって珍しいことではない。しかしさすがにタピオカ片手に米を買いに来る高校生は珍しかったらしい。二度見された上にガン見されたが、もう容器がカラで品物を汚す様子もないと判断されたのか最終的には気にしていなかった。
帰り道に咲希と米田さんのリアクションについて話した、というくだりで秀人は眉一つ動かさず爆弾を投げた。
「お前、告白とかしないのか」
「はっ、こくっ……!?」
直前に口に含んだジュースを吹き出しそうになった。そんなリアクションを予期していたのか秀人はスナック菓子の袋を顔の前にさっと掲げていた。
幸い噴き出すには至らなかったが無理やり飲み込もうとした結果、気管につまってげほげほとせき込んだ。
いきなり何を言い出すんだ、と秀人を見るといったい何やってんだこいつ、と秀人に見返された。
「ごめんちょっと何言ってるかわからない。なんで僕が咲希に告白するのさ」
しらばっくれると秀人が道端でツチノコを見つけたみたいな顔をした。
「まさかあれで隠してるつもりだったのか」
「な、なんのことかな」
「お前咲希が好きだろ」
「はははなにをばかな主張する側に説明責任があるから客観的な証拠としてのエビデンスを」
「まあ落ち着け」
自分でも何言ってるのかよくわからなくなったところで秀人がジュースをついでくれた。このままじゃ会話が成立しないためタイムをかけた形である。
ジュースをあおり一度深呼吸する。
よし、ある程度落ち着いた。なんの話をしていたっけ。ああ、咲希に告白しないのかって言われて、それから咲希が好きだって筒抜けだったみたいで、
思考が現在に追いつくと、急に顔が熱くなった。全身の血が頭に集まってくるようで耳の先まで熱を持ち心音が耳の奥で鳴り響く。
そんな健治に秀人はあきれ混じりの冷ややかな視線を向けた。マジで隠してるつもりだったんだなあ、とか野郎の赤面見ても楽しくねえな、とかそんな声が聞こえてきそうだ。
「……いつから?」
「わりと最初から気づいてたと思うぞ。幼稚園くらいから兆候はあったけど、小学校高学年くらいで確信したな」
「…………きっかけとか、あった?」
「更衣室にカメラ仕掛けようとした連中をボコり倒した時。それまでお前は俺が喧嘩すると自分のことでも穏便に済ませようとしてたのに、あいつらを追い込もうとしただろ」
「まじかー……」
本当に最初からだった。
恋愛という概念を知らない乳幼児のころはともかく、幼稚園の時から「さっちゃんとけっこんするー」とか両親に口走った覚えがある。小学校に入ったころにはあまり口に出さなくなったが、意識はしていたと思う。一時期いじめを受けていた時には黙ってやり過ごそうとしたが、咲希にちょっかいをかける男子たちを見た時にははらわたが煮えくり返った。守らなきゃ、という気持ちとぜったいゆるさないという気持ちがまじりあって行動に移していた。
「勘違いなら謝るが」
「いえ、図星です。びっくりするくらい正確です」
「そうか。で、告白とかしないのか」
あくまで淡々と秀人は話を最初に戻した。
「いやそのですね、いきなり告白とかはですね、咲希もびっくりするのではないかと」
「びっくりくらいさせないと芽がないと思うぞ」
淡白な冷たい言葉はまるで刃物のようだった。言葉に切れ味があると初めて実感した。首ちょんぱされたかと思った。
「こ、こう、芽を育てるためにもうちょっと好感度を稼いでから告白してみようかと」
「育てるも何も芽が出てねえんだって。好感度は咲希にしてみたらカンストしてるんじゃないか? 恋愛枠じゃねえけど」
「つまり、このまま好感度稼いでも……?」
「恋愛には発展しないんじゃないか? 下手すりゃ女友達と同じ枠に入れられる」
「女友達……」
同性の気を許す友人と同じポジションというならそれはそれで、と考えてしまうあたり末期である。
いやしかしそれじゃ今と同じってことじゃんな、もっといろいろしたいじゃんな、と気合を入れる。
「……ていうか、なんでいきなりそんな話をすんの? 秀にそういう話を振られたことなかった気がする」
「そりゃ今朝、心残りはナシにしたいって言ってたやつがあんだけ煮え切らない態度でぐずぐずしてたからだな」
「ぐっ」
辞書のカドで頭を殴られたかと思った。言葉の重みってこういうことなのか、と変な理解をした。
「だから、告白しろと?」
「しろなんて言ってねえよ。ただこのままじゃ最後の最後までだらずるしそうだから訊いてみただけだ。……多分、仮にこのままたまに遊びに誘ってるくらいじゃ咲希から告白なんて夢のまた夢、それどころか男として認識されるかも危ういんじゃないか?」
「そこまで言う……?」
「せっかくだからな。ついでに言うと現状維持した場合、世界が滅ぶ直前になってようやく健が告白して、咲希に『そういうふうに見たことなかった』って困惑されて、結局いまひとつはっきりしないまま地球が無くなる気がする」
「どうしよう、反論できない」
反論どころかありありと想像できた。
おそらく咲希は戸惑うだろう。そしてきちんと答えを出せないうちは合わせる顔がないとか考えて健治のことを避けるようになる。
告白するのが早めならまだいい。おそらく世界が滅ぶより前に咲希は答えを出して回答してくれるだろう。もしも本当に世界が滅ぶ直前に告白なんてしようものなら、咲希は無理やりにでも答えを絞り出して気が進まないながらもこたえようとするはずだ。そんな負担をかけるのは嫌だった。
「……でもさ、告白したらこれまでの関係が崩れちゃわないかな」
「崩れるな、間違いなく。でも今とは違う関係になりたいんだったら今の関係は壊さないと無理だろ。健も咲希もひとりずつしかいないんだから」
これがゲームなら一度セーブして思わしくない結果だったらロードして、とできる。たとえば咲希が複数人いるなら一人とは今の関係を続けて一人には告白してみるということもできるだろう。
しかし健治が生きているのはセーブもロードもできない現実で、健治も咲希もそれぞれ一人の人間だ。健治が都合よく関係性を変えたり戻したりできるものではない。
「むしろ告白するなら今だと思うけどな。一年後には世界が滅ぶんだからどんだけひどい失恋をしても苦しみは一年で終わる。うまくいけば一年間遊び倒せる。保留にされても異性の幼馴染って枠には入れるんじゃないか」
冷静に話す秀人を見ているとほんのり反感が湧いた。
……なんだよ、人をただぐずってるだけみたいに言っちゃってさ。
「秀は僕が咲希に告っていいの」
「は?」
何言ってんだコイツ、と言いたげな顔をされた。
「僕と咲希の関係が変わったら、もう幼馴染三人じゃなくなるかもしれない。それでもいいのかって聞いてるんだ」
健治が告白しなかった理由はさきほど秀人に話したものだけではない。
健治と咲希と秀人は幼馴染として三人一セットみたいな扱いを受けてきた。昔はしっかりものの秀人、好奇心旺盛な咲希、おまけの健治として。最近では中心の咲希、猛獣の秀人、ブレーキの健治として。
きっとこのままいても三人の立ち位置や役どころは変わっていくだろう。けれど『幼馴染三人』として扱われる。
もしも健治が告白した場合、うまくいけば恋人二人と幼馴染一人になる。失敗すれば健治と咲希は距離を置き、どちらとも仲がいい秀人との接触も避けるようになるかもしれない。これまでの密接にかかわってきただけに秀人を巻き込み関係が破綻することだってありうる。
秀人にはさんざん助けられてきた自覚があるだけに秀人を含む人間関係に大きな影響を与えることは消極的になる。
「よくなきゃこんなこと言わねえよ」
対する秀人は馬鹿じゃねえの、と続けそうなほどあっさり言い放った。
それは、幼馴染って言ってもどうでもいいってことか、と一拍置いて先ほどとは比べ物にならないほどの反感が湧きあがった。
価値観なんて人それぞれで、何を大事にするかなんて人それぞれ。頭では理解していても、自分が大切に思っていて、無意識に相手もそう思っていると考えていたものをないがしろにするようなことを言われて冷静ではいられなかった。
反感のまま健治が口を開く前に秀人は言葉をつづけた。
「健と咲希の関係はお前ら二人のもんだ。でも俺と健、俺と咲希の関係は俺との共有だ。お前らが距離を置こうとしても俺が勝手に詰める」
だから健治と咲希の関係は二人で好きに決めろよ、とまでは言わなかった。言わなくても伝わっていると分かったからだ。
明らかに怒っているのに泣きそうだった健治の表情が一瞬あっけにとられたような間抜け面をさらし、それからそっとテーブルに突っ伏した。
秀人は幼馴染のつながりをどうでもいいなんて思っていなかった。
健治や咲希が切ろうとしても自分が切らせないと言った。
だから健治と咲希は好きにしろと。俺を介して繋がってるわけじゃないんだから、一個の人間として、一対一で決めろと。そう言っているだけだった。
かなわないなあ、と思うのは何度目だろう。秀人は健治ががんじがらめになる問題に直面してもシンプルに解決する。暗中模索していると、暗くちゃよくわからんだろう、とランタンを持ってきてくれる。
「そっか。……よし、じゃあ明日。明日学校でデートに誘ってみる。それで告白してみる」
「遅い。今誘え」
「今!?」
わりと一大決心して明日誘って告白すると決意表明したのに遅いの一言で一蹴された。
「どうせお前のことだから理想のデートコース的なデータ作ってスマホに入れてるだろ」
「なぜそれを。ていうか人の決心を一言で切り捨てるとかどういう了見だよ」
「俺が何回女子の好きそうな店に付き合わされたと思ってる。行くたびにこっそりメモとったりしてたし、そのための店探ししてたんだろ。そんで切り捨てたのはお前との付き合いが長いからだ」
「な、なんだとう」
「予言しよう。今この場で行動しなかった場合、健は結局咲希を誘うことができなくなると。教室じゃほかの人の目が気になるとか言い出してかといってヨソに連れ出して誘うのも露骨だよねとかぐねぐねうだうだ言って結局誘わずに終わると!」
「うぐっ」
ぺしんと机を叩いて言い切った秀人。あまりにも的確な想像にうなることしかできない。
「だから今誘え、ほら誘え、すぐ誘え」
「わ、分かった。あのさ、迷惑ついでにメッセージの添削してもらっていい?」
「それくらい自分で考えろよ……」
「文章は自分で考えるよ! でもあんまり変な文章を送ったらと思うと……」
「……早くしろよ」
秀人はこっそりため息をついた。秀人自身、恋愛強者ということはない。一切ない。それどころか大概の女子には、男子にも遠巻きにされている。コミュニケーション能力に偏差値があれば比較にならないレベルで健治が圧勝していると思っている。それなのにいったい何を添削しろというのか。
まあ、遊びに誘う文章なんて数分もあれば書き終わるだろう――そうタカをくくっていたのだが、健治から声がかかったのはたっぷり三十分後だった。
「こんな具合でどうだろう」
「遅えよ。どれどれ……。え……んん…………?」
えらく長文を打ったもんだ、と思って差し出されたスマホを見る。
パッと見で眉間にしわが寄った。この時点で嫌な予感がした。読み進めるほどにしわが深くなり、最終的にはひどい頭痛をこらえるような表情になっていた。事実頭痛がしそうな出来であった。
「秀、どうだった?」
「どうもこうもねえわひどすぎる! 何をどう考えればそんな自信作を披露するみたいな表情ができるんだ。なんだこれは、小学校の学級通信か」
「そこまで言う!?」
スマホをオーバースローで投げ返そうとして、精密機器にそれはいけないと思い直して、それでもむかつきが収まらずにサイドスロー気味にやんわり投げ返した。
健治が作った文章は以下の通りであった。
『デートのお誘い
日差しも心地よい春がやってまいりました。咲希はいかがお過ごしでしょうか。
今日の放課後はタピオカミルクティーにお付き合いいただきありがとうございました。
突然ではありますが、デートのお誘いをしたくメッセージをお送りしました。
(日時・日程が箇条書きされているため中略)
・お誘いさせていただくので食事代等は僕が用意します。咲希は手ぶらでOK!
・歩きやすい靴でお越しください
ほかにご不明な点がありましたらお問い合わせください』
「学級通信じゃねえなら自治会の回覧板か。いや、昨今回覧板でもこんな気やすいんだか砕けてるんだかわからねえ文章は見ないぞ。お前これ文書作成ソフトで作ってたらタイトルを太字のアーチにしたり虹色入れたり大昔前のテンプレみたいなことしただろ。小学校の担任が古いソフトで頑張って作ったプリントにそっくりだ。少なくとも幼馴染を遊びに誘う文面としては零点、いや採点対象外だ」
「じゃあ秀ならどんなふうに誘うか言ってみろよ!」
「フツーに『明日遊びに行こうぜ』でいいだろうが」
「……天才…………?」
「…………お前に比べりゃそうかもしれん」
コミュニケーションに長けたはずの幼馴染の残念な一面を新発見した秀人は深いため息をついた。
デートに誘うなんて秀人自身したことはないが、これがひどいことは分かる。事務連絡を無理やり砕けた調子にしたような不協和音感はギャグでやってるならまだいい。しかし大真面目に考えてこれかと思うと残ってやってよかったと思わず安堵する。
とりあえず明日遊びに行こうって誘って、どこそこ行ってみないかって話して、咲希の行きたい場所をメインに日程組み立てれば、などと話していると健治はメモ帳とボールペンをとってきて真剣に聞いてはがりがり書き込んでいた。そんなたいそうな話か、と言いたかったが健治の気のすむようにやらせることにした。ついでに自分のスマホで小学校の学級通信のテンプレを検索して健治に見せてみた。
「これを踏まえて自分の書いた文面を見直してみろ」
「……これはないわ!」
「ご理解いただけたようで何よりだ」
「いやほんと秀に見てもらってよかった! こんなの送ってたら絶対引かれてたよ。じゃあこれは削除して明日遊びにいかないって――あっ」
「あっ?」
スマホをいじる健治が間抜けな声を出した。
誤字でも見つけたのか、と思って健治を見ると油が切れた機械人形みたいなぎこちなさで健治が秀人に顔を向ける。額から脂汗が浮いて涙目になっていた。
「どうしよう、今のメッセ送っちゃった」
「マジか」
「マジです」
あのいにしえの学級通信というほかない、丁寧なんだか砕けてるんだかよくわからない謎文章をか、と言いたかったがこらえた。
健治はどうしようと軽いパニック状態に陥っていて具体的な行動を何も起こせていない。
気持ちは分かる。何せ幼馴染にたった今酷評され、自分でもひどい文章と認識した直後のことだ。そんな誘いを思い人に送ってしまったと思えば慌てもするだろう。
「まあとりあえず深呼吸しろ。落ち着け。うかつに動けば恥の上塗りになるぞ。はい吸ってー、吐いてー」
「すー、はー」
慌てたところでなんの解決にもならないのでとりあえず落ち着かせる。今の健治を放置したらさっきのメッセージは違くて、とか何が違うのかわからないしっちゃかめっちゃかなメッセージを送ることだろう。なんなら誤タップを繰り返して放送禁止用語を送信するとかそんなファンタジーなこともあり得そうだった。
秀人が深呼吸を促すと素直に従った。何度か繰り返し深呼吸すると、いくらかマシな状態になった。
「よし、落ち着いたな。そんなに慌てるような事態じゃねえからこれ。さっき送ったメッセを削除すればいいだけだから。咲希もそんなすぐに読んでないだろ」
「その手があったか!」
「むしろこの手しかないな」
嬉々として画面に視線を戻す健治。この様子じゃ普通に誘うのも慌ててうまくいかないんじゃないかと心配になるが、そこまで気にしてやる義理はない。むしろ今でも干渉しすぎな気がしている。
削除削除、とスマホをいじっていた健治の手が止まった。「きどく?」とつぶやいたのとほぼ同時にスマホが振動し始めた。
電話の着信であった。発信者は咲希だった。
「どっどどどどうしよう!?」
「落ち着け! もう読まれたもんはどうしようもない。一回深呼吸して、それから電話出ろ」
「いっそ出ないほうがいいんじゃ!? ちゃんと落ち着いてから……」
「メッセ送った直後に着信無視するほうが不自然だろ。そして健に折り返す度胸はない。あ、出るにしても後にかけるにしても俺がいたことは話すなよ」
「わわわわかった」
すーはーと雑に深呼吸し、それから通話ボタンをタップする。
『あ、健治? 今メッセくれたよね?』
「うん、ごめんちょっと変なの送っちゃって」
『え、変―? なんか昔の学校のプリントみたいでちょっと面白かったよ』
健治がスピーカーモードで通話に出たため会話が聞こえるが、当初の謎文章がまさかのヒットであった。健治自身も目をむいていた。
『それで明日なんだけどさ、朝からってなってるけど学校さぼっちゃう?』
おっ、と秀人は健治を見た。健治も驚いた様子で秀人を見返している。
健治が送った日程は健治的理想のデートコースであり、朝十時集合となっていた。平日の明日は学校とまるかぶりの日程である。
朝からだけど学校さぼっちゃう? とはつまりデートに行くことが前提の反応だ。謎文章はヒットどころかホームランだった。
「こう、一回くらい学校さぼるのもいい経験かなって」
『私たちずっと真面目に学校通ってるもんねー』
咲希の笑った声が響く。
ここから先はもう秀人の出る幕はない。まとまるにしてもまとまらないにしても二人が決めることだ。
武運を祈る、と親指を立てて物音を立てないよう部屋を出る秀人の背中に、健治はびしっと敬礼しながら咲希と話していた。
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