第八話 マナーと夢

 夢を見ている。何度も思い出す記憶。 


 わたくしの両親はマナー講師でした。毎日毎日鬼のようなマナー訓練、そんなわたくしの心の支えは大食いアイドルでした。しかし。


「午後六時、食事の時間よタクオちゃん!」

「あ、待って今アイドルの生放送中で」

「今日はマナー訓練お箸の日です!焼き魚の食べ方が正しいか確認しますよ!」

「お願い今日だけは、今日の生放送だけは──!」

「何を言っているんだい。食事中に動画なんて当然のマナー違反じゃないか」


 わたくしはお母さんとお父さんが大好き。だから二人に怒られないようにマナーをちゃんと守ります。

 マナーは大切。マナーは重要。でも、わたくしだって──


「お母さんお父さん!あのね、お願いがあるの!」

「食事が始まる前だというのに、お喋りかい」

「あなた待って。今の椅子からの立ち上がり方マナー違反だったわ。減点ね」

「それもそうだ、早速指導だね。いいかいタクオ椅子から立ち上がる時は──」


 わかっている。こんなのはマナー違反だ。でも!


「ごめんなさい。でも聞いて!わたくし頑張ってマナーを守っています!だから、一度くらいは──アイドルの子たちと同じものを、お腹いっぱい食べてみたいの!」


 言ってしまった。だって仕方ないでしょう?あんなにも美味しそうに唐揚げやハンバーグを口いっぱいに頬張って!美味しそうで楽しそうで、私は食事であんなに笑顔になったことなんて一度もないのに──!


「「タクオ……」」

「お母さん、お父さん……!」


 その日から我が家ではスマートフォンが消えました。そしてわたくしは教育されたのです。

 大食いなんてクチャクチャ汚くて、醜くて、衆目しゅうもくに晒されるものではない。最悪のマナー違反だと。


 どれだけ美味しそうで楽しそうでマネしたくても、それはマナー違反。許されることではありません。

 

 ……ズルい、どうして私ばっかりこんな気持ちにならなくてはいけないのでしょう。それもこれも間違っている奴らが笑っているのがいけないのです。


「なるほど、だからあんたは他の奴らにも過度なマナーを要求するようになったのか」

「ピザムライ!?」

「あんたにとってのマナーは生まれた時から切り離せない呪いみたいなものだ。これからもその呪いと長いこと付き合わなくちゃならないだろうよ」


 そうだ。わかっている、そんなことは。


「じゃあわたくしは、世界でただ一人みじめな想いをしていろというのですか!?」

「いいや違うね。それよりコイツを見てくれ」


 トン、とわたくしの目の前に置かれたのは山盛りのチキンカレー。


「な……」

「ウインナーにチキンナゲット、ハンバーグにコロッケ。半熟卵を三つ乗せた上チーズをまぶして炙ってある」

「こ、こんなまっ茶色なバカ飯食べれるわけないでしょう!?わたくし一応テレビ出演も時々あるタレントなんですよ!?」

「でもここにはあんた以外いないぜ」

「どういう意味です?」

「こんな背徳的なバカ飯を食べたところで、マナーをとやかく言うやつはいないってことだよ」


 この男は何を。


「俺があんたの夢に百京号えくささいずしてきたのはコイツを出里張でりばりィするためだ。じゃあ帰るぜ」

「はい!?このバカ飯はどうするつもりです!?」

「さあ?俺はそのカレーが美味くて、あんたにも一度食べて欲しいと思ったから出里張でりばりィしただけだ。どうするかはあんた次第。……ヨダレは拭いとけよ?」


 そう言ってピザムライは消えた。私は慌てて口元をぬぐう。


「なんて身勝手な……こんなバカみたいに神炉離かろりぃまみれの食事をわたくしが取れるわけないじゃないですか。だって──」


 あの時のお母さんとお父さんの顔を思い出す。失笑、失望、失意の底。失われた心の支えは何にも変えられなくて、だから私は──


 ぐうぅぅぅ〜〜〜


 自分のお腹から鳴った派手な音に私はハッとする。


「……マナーを守ることは正義です、誰もいなくても私は自分を曲げられません。でも──」


 腹が減ってはなんとやら。正常な判断ができませんから。……それに、食品を無駄にするなんて度し難いマナー違反です、よね?

 私はおそるおそるスプーンを手に持って。


「……いただきます」


 カレーを口に運ぶのでした。



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