2年戦争
@achi1025
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初めにあらかじめ書いておくと、この記録を残している僕は新型ウイルスの専門家ではない。ただの絵や小説をこよなく愛する一般人の息苦しさを記録に交えている。誰かのためでもなく自分のために記している。この記録は誰かに強制されたわけではない。こうして記録をとりストレスを発散することが目的なのかもしれない。
このパンデミックによる資料は僕の予想としては、100年後に国単位の歴史の記録として客観的な数値を伴うデータが教科書に載っていることだろう。僕はそうしたわかりきっている情報はこのノートに載せるつもりはないのである。ただの一般人の世界に対しての記録を残し、一般人のパンデミックに関する感情の移り変わりを知ってほしいと思い、紙媒体で記録している。このノートは僕の偏見が詰まっているかもしれないので、資料として使いにくい可能性は高いかもしれないが死ぬまでは残すつもりだ。電子媒体であるならば、今ならSNSを見れば問題なくわかるかもしれないが、SNS自体がこの先どうなるかわからないと考えている。
人からもらって使っていなかったモレスキンのノートに、僕が意識すれば残り続けるであろうと記憶と感情と情報を記している。歴史の教科書でご存じかと思うが、現在にはかつての優れた政治家やトップの人たちの素晴らしい勝利の歴史や負けて無残な歴史は残っている。ただ、歴史書を見ても一般大衆はどう考えていたのか、もしくは何も考えていなかったのかはわからない。僕は僕のような一般大衆の感情を残すという行為は尊いものであると確信しているため、慣れない文章を書くことにしている。例えば、太宰治の小説を読むと、今の自分の悩みに通じていて親近感がわくように、僕の記している時代から未来の人がこの記録を読むことで親近感がわいてくれたら本望である。ただ、それは期待しすぎているとは思うが。パンデミックはかつて歴史上ではたくさん起きた。有名なものであればペストが30年、スペイン風邪は2年ならば、新型コロナウイルスは1年から2年でパンデミックが終息できるのではないかと楽観したい。
………パンデミックとカオスな世界の記録。
もう、インターネットは機能しなくなってしまった。こうした混沌とした文字列を見るためにSNSを開いていたわけではない。混沌とした世界だからこそ、素敵な文章や写真を見たかったのに、素敵な人たちは鳴りを潜めてしまった。誰かがデマを煽る。誰かが国の記す公の記録を読まずに一部の仕事をしている政治家に対して、仕事をしていないとインターネット上で感情を振りまいて怒鳴り散らす。二つの主張は感情が増大している。お互いの意見は正しい部分もありつつも、一部は間違っている主張でSNS上で傷つけあいを行うことを正義としてぶつかり合っている(それこそ、両者ともにより添えるように客観的に情報を公式のページから収集すればもめる必要もないだろうに、デマに踊らされている人が多い)。それがまた表現のいいものと合わさると汚い色のマーブルになってしまう。SNSを離れてゆっくりと情報を信用している新聞社以外遮断したいと思いつつも、いいものを削ることもまた恐怖となり、結果として今の汚いものを我慢しながら見ている。ここでブロックやミュートの機能を使わないのは、この言論の流れこそが歴史の方角を示す一部分なのではないかという浅い願望からだ。
『○○県の○○代の人がこんな新型ウイルスの蔓延時に休日の繁華街に買い出しに行ったようだ!感染しやがって!』
『国がこうして自粛を要請しているのに出歩く人たちの自己責任でしょう。』
ウイルスへの感染は自分でコントロールすることができる代物ではない。都心における感染経路不明の状態は JAPANESE 満員列車 の抱えた業の深さの象徴であろう。そんなわからない…わからなくてみんなが怖がっている新型ウイルスに感染したただけで、おもちゃのように言葉で叩き壊そうとしてくる感染者を知らない人たちが見える。こうした叩き方は田舎でありがちという話を聞いたことがあるが、全国の知らない人たちが言論で暴力をふるい続けている。国がもう全国レベルで村社会に陥る状態になっているのであろう。村社会は監視のもとのかりそめの平和を保つことで、かりそめの安寧にしがみつく。こうして監視社会が誕生していく。
『なぜNYから帰ってきたんだ。伝染病をばらまくな!』
『あいつがウイルスをばらまいているんだ。非国民めが』
パンデミックになるとは思っていなくて、海外から母国に帰ってきた人たちに対しての扱いはA級戦犯。不可抗力は誰かが責められるものではない。誰かのせいであると思いたい気持ちはわかるが、こうした自然の成り行きで発生したものは誰のせいでもない。誰もが自分を守りたい気持ちがあって当然だし、責めることで自分自身は安全であると安心したい気持ちもわからなくもない。ただそこに解決策はない。人を傷つけることしかできないし、争いの種を生み出してしまうだけだ。
『外国籍のやつがなぜ母国に帰らないんだ』
『あいつらがウイルスをばらまいているのだろう』
これは先ほどの例を考えるととても興味深い話であるが、外国籍の人は帰ることができないのではないだろうか。祖国に帰ればウイルスをばらまく人間だと偏見を持たれたり、今の日本のように戦犯あつかいをされる可能性は大いにある。どちらをとったとしても地獄の状態で彼らも必死で帰る手段(もしくは感染症への対策など)を探しているだろうに、現在は誰でもいいから自分とは違う立場の弱者を攻撃しないと安心できない状態が、主語が大きいが一部の民衆にはびこっているように感じる。それこそつい数か月前の平和だったころは外国籍の人を雇ったり、観光で呼び込まなければ日本は大変なことになると一時期ムーヴメントが起きていたはずである。しかし、こうした排他的な環境になっている状態ではどんどんと悪い方向に進むのではないかと僕は経済学者でもないのに危惧している。
世界は伝染病に侵されていき、哺乳類が新型ウイルスに感染して一部の感染者は死亡していく。生きることに絶望してはならないと決意した僕は、ジョヴァンニ・ボッカッチョの執筆したデカメロンを読むことにした。歴史から学び、過ちを犯さないことが今行うべき最善であると信じることしかできない。季節の移り変わりで例年はただの風邪の症状を気をつけましょうと声がかかる程度であるのに、今はただの風邪の患者が新型ウイルスの患者だと勘違いされやすいことも後々には気づかない視点かもしれないのでこちらに記しておこう。
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「ふう…」
本を片手に持ちながら、外出自粛で引きこもっている部屋の換気しようと窓を開くと、雌ののら猫の発情している悲鳴が聞こえてきた。今日も夜はまだまだ長い。四月上旬になったというのに、今年は寒い春を迎えることになった。季節の変わり目の風邪と新型ウイルスの差がわかりにくくて内科へ不安で診察をして陰性だったのに、近くにいた陽性患者からもらって広がるなんてことがある可能性も否定できない。こんな微妙な時期にこうした伝染病が流行るなんて誰が思っていただろう。数か月前にあった平和は一気に過去のものとなってしまい、世界は戦時中のような暗い中を突き進んでいく不安でいっぱいに見えてしまう。ただそれは、言葉を知らないから起きている状況であると考える。だから、今は少しでも過去に学ぶことができるものを知らなければ…
これは遠くて近い、僕らの二年戦争の記録。
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