第41話 「ふられちゃったんだよ」
……彼を起こしたのは、通信の呼び出し音だった。旧式のベルの音を模したそれは、ひどく神経に響きわたり、実に目覚ましとしては効果的だ。
彼は軽く頭を振ると、のろのろと起きあがって、通信の前に立つ。
『……何って格好してるのよ』
あ? とひどく自分でも気の抜けた声が出たのに、彼はやや驚く。画面の中のマルタは顔をしかめている。
「何を今更。初めて見るものじゃないでしょ」
『私じゃなかったらどうするつもりだったのよ!』
そうは言ったところで、この場所に掛けてくるのは彼女くらいなものなのだ。鷹は仕方ないな、とつぶやきながら、服を手に取る。その時ようやく、どうしてこんな格好だったのかな、と頭が回る。
そして、服を取ろうとして、ようやく彼は、自分が何をしていたのか、気付いた。出てきたベッドの中にはまだもう一人が眠っている。
頭がやや混乱していた。一つ物事を思い出すと、鎖の様に、次々とそれに連なる行為や夢や感覚が一気に蘇る。ひどく長い夢を見ていた様な気がした。
彼は手早く服をつけると、再び通信の前に、今度は座った。
『……だいたい何であなた昨日も一昨日も出ないのよ? 戻るって言った予定から遅れたっていうの?オリイでも出るかと思ったら、あの子も出ないじゃない』
「ちょっと待ってマルタ、今日は何日?」
「何言ってるのよ…… 7日よ!」
「7日?」
彼は、思わず前髪に指を差し入れる。確か、自分の戻ってきたのは、4日だったか、5日だったか……
扉を見る。何枚もの広告が、扉の口から差し込まれている。記憶に無い。
『一体、どうしちゃったって言うの? もう明後日なのよ? ユタ氏がプラムフィールドに来るのは!』
ああ全くだ。彼は思う。どうかしている。3日も眠っていたのか俺は。
ふと、背後でざわ、と毛布が動く音がした。
鷹は画面の中のマルタに一時間後にかけ直す、と言って通信を切った。そしてゆっくりと振り向く。
腰くらいの長さになった髪の毛を体中にまとわりつかせた相棒が、じっとこちらを向いていた。彼はあれ、と思う。あの夢の中では、もっと長くなかっただろうか。
そして喉を軽く押さえると、確かめるかのように、口を開く。オリイは言った。
「おはよ、鷹……」
彼は思わず大きく目を開けていた。そしてそんな彼に相手は笑いかける。
「話せる…… のか?」
「……あなたの生気を、取り込んだ、から」
だがまだややぎこちない。単語がいまいち上手くかみ合っていない印象を受ける。
「俺の?」
「いちどでも、ほかの人間の生気を、取り込むと、喉が、ひらく」
ああなるほど、と彼はうなづく。おそらく、母親はオリイに対して、それを誰にもさせなかったのだろう。あの蛇姫の女。そして、自分と一緒に居た時に、いくら本能が知っていたとしても、この相棒ができる訳がない。
色々と聞きたいことはあった。夢の中の出来事だけでは断片的すぎる。おそらく…… いや必ずオリイは知っているのだ。母親から聞いたのか、遺伝子の記憶なのか、そのあたりははっきりとはしないが。
だが彼はまず何から聞くべきか迷った。そして目の前の、元養い子の姿に、目を細めた。
「……メシにしようか」
ようやく見付けられた言葉ときたら、それだけだった。
*
オレンジの皮を指で器用にむきながら、幾つもオリイは口に放り込む。鷹はそんな斜め横の相手を見ながら、ずいぶんと自分が空腹だったことにやっと気付いた。無理もない。三日も眠っていたのだというのだから。
それに。彼は思う。疲労と言葉にできるまでではないが、何やら奇妙な餓えの様なものが身体にはあった。いつも口にする紅茶を、やや濃いものにしたら、何やらもう、涙が出る程美味と感じてしまうほどに。
だが、生気を摂ったと言うわりには、相棒はいつもと同じ様な食事もしている。何気なく彼は訊ねた。
「お前の主食って、結局何なの?」
オリイは首をかしげる。
「俺の生気を摂ったって言ったろ?」
うん、とオリイはうなづく。
「でも、いつも要る訳じゃ、ない」
「いつもじゃない?」
「要る時に、摂る。なにも、いつも要るわけじゃない」
そういうものだろうか、と彼は思う。まあつまり、食事とは別の次元らしい、ということは鷹にもその端的すぎる言葉から想像はついた。
夢の内容を、彼は頭の中で整理する。
シャンブロウ種は、どうやら生気を摂る相手を一人に決めているらしい。そしてその相手の死ぬ時に、同時に死ぬ。オリイの母親も、あの宗主の得た女もその様なことを言っていた。
「お前は」
鷹は言葉を止める。オリイは顔を上げる。何、という様に、相手は頭を軽くかしげた。彼は手を伸ばして、その顎の下に指を差し入れる。猫をあやす時の様に、指を動かす。するとひどく心地よさそうに、相手は目を細めた。
どうやらそれは、夢ではなかったらしい。
ではあの言葉も夢ではなかったのだろうか。
今の今になって、それが聞けない自分に彼は気付く。
それに気付いたのだろうか。自分をあやす手をゆっくりとその手に取って、オリイは何気なく、言った。
「大丈夫俺は、あなたが死ぬのを見届けるから」
……やっぱりまだ言葉に問題がある、と彼は思った。
*
「何も起きてはいない」
と彼はモニターの向こうのマルタに言った。嘘、と頬杖をつきながら彼女は言った。
「いや本当に。あなたの通信を切ってから、一応あちこちを当たってみたんだ。オリイの行ってた雑誌社の方にも、病欠を言わなくてすみませんというついでに祭典の様子はどうとかついでに聞いてみたんだけど、別段何も変わったことはないし」
『本当に?』
「シェドリス・Eが動く様子は無さそう……とディックは言っていた、と」
『……答えになっていないわ』
「こないだ彼と会ってね」
マルタはそれを聞くと、眉を大きく上げた。
「どうにもこうにも、彼は花園に行くつもりはないらしい。それが保護であろうが、天使種と関わっていくのはごめんだ、ということらしいよ」
『それで、ユタ氏には何の危害も加えない、って約束したとでもいうの?』
「そう言った訳じゃあないけどね」
彼にしても、正直言えば、何かが引っかかっている。だがそれが何故なのか、いまいちよく判らないのだ。
『……情けないわね』
マルタはふとつぶやいた。
「うん?」
『情けないって言ってるの。珍しい』
「そうかな?」
『そうよ。気になることがあるなら、とにかく動けば?』
彼は苦笑する。そういえばそうだ。
『何が、引っかかっているの? こちらとしては、本当にシェドリス・Eが何もしないんなら、それはそれでいいのよ。だけどそれを見極めて欲しいだけ……』
ふと、モニターの中の彼女の表情が翳った。首筋に、くすぐったいような感覚が走る。椅子の背もたれに、何か重みが加わったような気がした。
彼女は微かに眉を寄せ、目を一瞬伏せる。そして口の端を少しだけ上げた。
「……マルタ?」
『……ああ、それから、確かあなた一つ調べて欲しいって言っていたでしょ?』
「え?」
『ほら、本当のシェドリス・Eの母親のこと』
ああ、と彼は顔を上げる。
『忘れていたんじゃない?』
「いや、覚えていたよ」
『嘘つき』
彼女はそう言って、口元を上げた。目を細めた。まぶしそうにこちらを見た。
だけど、その表情は彼が見る初めてのものだった。
「……マルタ?」
『判っては、いたんだけど』
「ちょっとあなた」
『資料、送るわ。またね』
止める間もなく、彼女は通信を切った。ふと、椅子を回そうとしたが、動かない。後ろにオリイが、椅子の背に腕を乗せて、体重を掛けていた。そしてその腕を解いて、くっ、と彼の首に回す。
かろん、と音がして、資料が届いたと知らせる。
「彼女、どうしたの?」
オリイは訊ねる。ああそうだ、彼女は。鷹は気付く。
彼女が自分のことを思っていることは知っていた。
だが仕方が無いのだ。
彼女が自分のことを思っていることは知っていた。身体の関係だけでなく、それ以上も欲しがっていることも。ただいつもかわしていた。そして彼女もその彼の姿勢を知っていた。だから踏み込まなかった。
踏み込んでも、仕方ないと、そう感じていた。お互いに。それでいいと思っていた。無意識に、そうしていた。だからいつか別れると、それは判っていたのだけど。
ねえ、と相手は答えをねだる。ああ、と彼はうなづく。
「ふられちゃったんだよ」
ふぅん、とオリイは素っ気なく言った。
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