第42話 「本物の」シェドリス・Eの母親
そしてやってきた資料をモニターの上に置く。「本物の」シェドリス・Eの母親についての資料のはずだった。今となっては、何かそれもどうでもいい様な気もしなくはない。だがせっかく彼女が揃えてくれた資料ではあるし、何かにならないとは限らないので、鷹はざっと目を通した。
「あれ?」
すると、背後で声がした。どうした、と彼は首だけ振り向く。相棒はこれ、と彼の肩越しにモニターの一部分を指さした。
「何お前、この名前に」
「それ、見たことある」
え? と彼は今度は身体ごと振り向いた。読めない表情が、そこにはあった。
「何処で見たんだ?」
「ディックの日記」
「悪い奴め」
そう言って、鷹はくっと笑う。そしてくしゃ、と相棒の髪に手を差し入れる。手に髪が、絡みつく。ああ、やっぱり夢ではなかった。今更の様に、彼は実感する。そして決してそれは、悪い感触ではない。
「日記ではなくて、日誌じゃないのか?」
「似てる」
確かにそうだが。とにかくディックの最近の行動範囲にあった名前らしい。
「ディックは会ってる。そのひとに。でもディックはそのひとがシェドリスの、ってことは知らない」
「とすると? 何でディックはその女性に会ってるんだ?」
「彼女が立ち退かなかったから。地雲閣から」
ちょっと待てよ、と鷹はそこでオリイの言葉を制した。
何かが、もう少しで解けそうな気がする。
「……ディックは、地雲閣でその女性に会ったんだよな? その時、彼は一人だったか?」
オリイは黙って首を横に振る。そして付け足す。
「シェドリスと」
「何で、その女性は立ち退かなかったんだ?」
「娘を待ってるから。シェドリスはそのひとに、探すと言って連れ出した。今は現場監督の家」
よくそんなことまで覚えていたものだ、と彼は感心する。そんなことは、大して今の状況には必要であるてと思わなかったろうに。
だが、ふと今何かをあっさりと聞き逃したような気がした。
「ちょっと待ってオリイ、今、娘を待ってるって言ったな?」
相棒はうなづく。
「息子の間違いじゃないのか? アナ・Eには子供はシェドリスしかいないはずだよ? マルタそう書いてる」
オリイは首を横に振る。
「娘」
そう言ったら絶対にそうなのだろう。ちょっと待てよ…………
鷹は額に手を当て、軽く目をつぶると、幾つかの物事を、頭の中で整理し始める。数分その状態を続けたのち、ぱっと目を開く。
そして勢いよく相棒の手を取ると、彼は立ち上がった。
「行くよ」
*
幾つかの路面電車を乗り継いで、二人は高い建物と低い建物がごちゃごちゃと建ち並ぶ街へと飛び降りた。
石畳の道路を、彼等は早足で通り過ぎる。湿った風が、二人の横を通り過ぎる。通り過ぎ、そして舞い上がる。オリイは髪を押さえる。
それを見て鷹はふっと笑うと、手早く後ろでその髪を緩く編んだ。そしてその端をオリイに持たせると、こう言った。
「そこの雑貨屋で、似合う止め紐を買ってやるよ」
彼が指さす先には、赤い中華文字で「雑貨屋」標準アルファベットで「Drugstore」と書いてあった。
扉を開けると、そこにはやはり、気難しそうな顔で、ホッブスが新聞を読んでいた。入ってきた客にも、顔一つ上げない。鷹は眉を片方上げる。そしてレジスターの上にどん、と手を置いた。何だね、とホッブスはまだ新聞から目を離さない。ったく店を片手間でやってる奴は。
「リボンは無いかな」
「リボン?」
そしてやっと顔を上げ………… 次の瞬間、店主はひどく嫌そうな顔になった。
「またお前か」
「今日は客だよ。リボンとか髪紐とか綺麗なゴムって無いのかな?」
「…………また女をたぶらかしおって」
そう言いながら新聞を椅子の上に置き、よっこらしょと声を掛けて立ち上がった時、彼は目を大きく見開いた。
「どうしたの。こいつに似合う髪紐が無いかなあ?」
鷹の斜め後ろで、編んだ髪の端を前に回し持ったオリイがそこには居た。ホッブスは身体が凍り付くのを感じた。
「……お、おま、おまえ……」
「綺麗な髪でしょ? ねえ君、そう思わない?」
ぐい、と鷹はホッブスに詰め寄る。中腰だった男は、そのままよろよろと、それまで座っていた椅子に倒れ込んだ。そして鷹はレジスターに拳を叩き付けた。ふらり、と一瞬ためらうかの様に機械はその身体を震わせると、床にその身をひるがえした。
がしゃん、という音が、客のいない店内に大きく響き渡る。中のコインが、高い音を立てて、その場に広がった。
「つ、連れて来ないとお前、言っただろう……」
「嘘つきには、約束も無効になるんだよね」
「う、嘘つきだと?」
ぐい、と彼はレジの落ちたあとのカウンターの上に身を乗り出す。
「ようやく糸がつながった。まさかこんなところに端っこがあったとはね」
「……何のことだ」
「娘と息子を間違えちゃいけないよ。D伯の子供のシェドリス・Eは男じゃない。女だ」
「何故貴様それを……」
「あいにく俺は君より頭がいいんだよ」
ちら、鷹は横を見る。オリイはまだ三つ編みの端を持ったままふら、と店内を眺めている。何か考えるところがあるのだろうか?
「ひょんなことから、シェドリスの母親を見つけてね。何があったんだか、ちょっとばかり記憶のつながりがおかしくなってる。その彼女が待ってるのは、『娘』だ。息子じゃない」
オリイが言った断片をつなげ、多少の脚色を加えて彼は言った。そう間違ってはいないだろう、と彼は思う。目の前のホッブスの顔はこわばったままだ。
「シェドリス・Eはここに当初来たのか?」
店主は押し黙る。鷹は同じ言葉をもう一度繰り返した。
「…………来た。ひどく懐かしげな顔をして、わしの前にやってきた」
「無論君は、それが偽物だと知っていたな。そうだろう。同じ黒髪薄青の目でも、君の死っているシェドリスは少女だったはずだ。青年になっている筈がない。それとも性転換したとでも思ったか?」
とことこと、オリイはそう広くも狭くもない店内をあちこち歩き回る。ホッブスがそれを目で追っているのが鷹には判る。おかしい、と彼は思う。まるで何かを隠したがっているかの様だ。
「そしてディックのことを切り出したろう? 幼なじみに一度会っておくといいとか」
「いや違う、それは奴が」
言ってから、ホッブスは途中で言葉を切った。
「なるほどそれは君が言う前から、彼を知っていたという訳だね。まあいいさ。シェドリスを名乗る彼の思惑は判った。問題は、君だよホッブス」
「……だからわしが何を」
「具体的なことはよくは判らないさ。だけど、君がそんな顔をして、未だに現役の戦争屋であることは、よぉく俺にも判ったってことだよ!」
その時、店の中に、大きく風が巻き起こった。
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