第31話 空間に歪みを生じさせる名前

「……さて」


 くるり、とシェドリスは振り向く。


「君は、誰なのかな? ずっと僕達の周りをうろちょろしていた様だけど」

「仕事だからね」


 黄金のトランペットを思わせる様な声が、メリーゴーラウンドにぶつかって弾けた。ふふん、とシェドリス・Eを名乗る男は、鷹に向かって笑った。


「仕事。それは何の仕事かな? LB社がらみ?それとも僕個人に用事?」

「あなた自身ですがね、シェドリス・E? それとも、別の名前で呼べばいいですかね?」


 ふふん、とシェドリスは再び笑う。それはひどく穏やかな、春の日射しをも思わせるような笑みであったので、鷹はほんの少しだけ混乱する。


「それでは君は、僕の名前を知っているという? いや、僕の名前を呼べる?」

「呼ぼうと思えば。でもしませんよ。こんな閉じた空間が歪んでしょうもない」

「なるほど、そういうことか」


 あはは、と彼は今度は声を立てて笑った。だがそれは一瞬だった。


「それは、確かに困る」

「でしょう」


 天使種の名前は、正確に発音することで、その空間に歪みを生じさせることがある。したがって、それは天使種の禁忌事項であり、彼等の「正体」同様、外部には知られていないことだった。もっともその「発音」は同種にしかできないものだったので、「正体」と違い、他種族が知ったところで意味は無い。

 だが、同種同士がその存在を確認するには、有効だった。


「で、君は僕にどうしろと言う訳だい? 現在の僕にコンタクトを取ってくるということは。敵?それともそれ以外?」

「それはあなた次第ですね。俺は俺の現在の上司から、別にいざとなったらあなたを消しても構わないと言われている」

「ずいぶんな自信家だ」


 彼は両手を腰に当て、口の端をきゅっと上げた。


「まあいいさ。いざとなったら。なるほどその立場なら、君は帝都から来た訳じゃなさそうだ」


 それまでの穏やかな表情はあっさりと消え失せる。いや、表情自体は大して変わっている訳ではない。変わったのは、その視線だった。


「帝都から来たなら、君は僕に会うなんて手間をかけていないはずだからな。このコロニーごと吹き飛ばせば済むことだ」

「その通り」


 鷹もまた、そう返す。天使種の有効な抹殺方法の一つとしては、閉ざされた空間内での爆発というものがある。だから彼は基本的にコロニーの類は好まない。そして、もしそれが必要ならば、なるべく人間の多い所を。そこを無条件で爆発させたなら、その命令を下した人間の立場が、確実に悪くなる様な場所を。

 そうでなければ、彼はできるだけ大地に足をつけていたいと思うのだ。皮肉なものだ、と彼は思う。自分の呼び名は鳥のものなのに。


「目的は何なんだ? 単刀直入に聞こう。僕も忙しい。生死にすぐに関わる問題でなければ、今は後回しにしておきたい」


 すぐてなければ、いいのか、と鷹は思ったが、口には出さなかった。


「シェドリス・Eを名乗っているが、それは本物の籍か?」

「用意してくれた人間が、本物と言うから本物なのだろうね。ふふん。もしや君は最近出現している、反帝の同胞のための組織の人間か」

「だとしたら?」

「僕には関係ない」


 関係ない、と鷹はその言葉を繰り返す。


「そうだ、関係は無い。僕は別に帝都に住む彼等にどうこうしようという気持ちは無い。僕がシェドリス・Eである以上、向こうもこちらをどうすることも無いだろう」

「だけど俺はあなたをそうと知っている」

「……」

「帝都の奴らが、あなたを探し出さないという保証はない。奴らは執拗だ。少なくとも、俺達の場所は、現在その点では安全だ」


 嘘臭いな、と鷹は言いながら思う。いや嘘ではない。実際現在の彼等の秘密の花園は安全なのだ。ただし、それは、帝都における一つの支配から、帝都の別の支配に移っただけだということは、彼も知っていた。


「ふん」


 気付いている顔だ、と鷹は思う。何しろ敵に回しているは帝都であり、そして彼等のスポンサーもまた帝都の最高の地位にある者の一員なのだから。

 所詮は、彼等の手の中で踊っているコマに過ぎない、と鷹も判ってはいる。だがとりあえずは生きなくてはいけない。だからそのためには、まだましな方を選んでいるだけだ。最良の道など望んではいない。まだまし、を繰り返して行って、少しでも良い方向であれば、構わなかった。


「安全ね。それは一時的なものだろう?」

「かもしれない」

「君らのスポンサーが、明日いきなり君らを見放すかもしれないだろう?下手すれば、逆に君らを全て売り倒すということになるかもしれない。僕はそういうのは嫌だね」


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