第30話 娘を待つ女性
言い難そうにしている代表の言葉を、別の一人が引き取った。
「今と昔が混乱している?」
「そうだよ。あの女は、確かに一応、今現在の時間を生きてる、って思ってるくせに、時々、娘と居た時間に戻ってしまって、来る女の子を自分の娘と思いこんでしまうんだ」
「じゃあ、待ってるのは、その娘さんなんだ」
ディックはそこで初めて口をはさむ。
「そうだと思う。だけど、正気でない時の彼女にしてみれば、その娘は自分のそばの、その住処に居るはずなんだ。だから質が悪い。居るはずの娘が、戻ってくるのを待ってる」
確かに質が悪い、とディックは壁に背をつけ、腕を組む。
だが、シェドリスの様子を見ていると、これは彼の思う様に行きそうだ、という気もしてくる。この集団なら、確かにその元凶さえ何とかすれば。
「判りました。ではこちらから彼女の説得を致しましょう。そこで一応念を押させていただきます。彼女が納得し、移動することを了承すれば、あなた方は移住をするつもりなのですね」
「ああ。条件としては破格に良いのは判っている。だが」
「判りました。その女性を説得致します。あなた方は、彼女に気付かれない様に、移住の支度を整えておいて下さい」
代表は、言葉の最後をもぎとられた形で結論を出す「青二才」に一瞬嫌そうな目を向ける。だが無論シェドリスの表情は動かなかった。いや、むしろそんな目に対して、ふっと笑みすら見せたような気が…… ディックにはしたのだ。
代表は、その女の住むという一角に彼等を連れて行った。
そこは「地雲閣」の中でも、かなりの隅にある場所だった。かつてそこは、芝生広場に放される小動物を管理する従業員の休憩所だったらしい。小さいが、他の場所よりは、「家」らしかった。
今は小動物…… うさぎやらりすやら、鶏やら…… 放し飼いにされていたそれらは姿は無い。逃げたものもあれば、掴まえられて、食材にされたものも居る。だがそれはもう昔のことだった。
代表の男は、すき間の空いた扉をこぶしでどんどん、と音を立てて叩く。
「アナさん、居るのかい?」
誰ですか、とややかすれ気味の声が、ディックの耳に届く。
「俺だよ。ゴゼイ・Tだ。アナ・Eさんお客だよ」
「お客?」
不思議そうに、語尾を上げた声が、すき間から漏れ出る。そしてそれに次いで、細い指が、そこから見えた。
「お客様が来る予定はありませんわ?」
「そりゃまあ、あんたには無くても、こっちにはあるんだよ。ほら」
代表の男は、自分の後ろに立つ二人を親指で示す。
「……知らない方々ですこと。申し訳ございませんが、娘を待っていなくてはなりませんので、どうぞお引き取り下さい……」
ひどく丁寧な言葉遣いだ、とディックは思う。このアナ・Eという女性は、どうやら、こんな所に住んでいながらも、出は結構なものなのかもしれない。
しかし、娘のことを口にする。編まれた黒い髪の毛も、何処か、きっちり編んでいるようなのに、解けかけている。
小振りな顔は、幾つになるのか、さっぱり判らない。二十代と言えばそうも見えるし、四十代と言われれば、それもまたそれで信じてしまいそうだった。声のせいだろうか?ディックは思う。やや高めの声は、妙に歳を感じさせない。
「Eさん、五分でよろしいのです」
シェドリスがず、と歩を進めた。ふっ、とアナは彼の方を見た。
「どなた?」
「初めまして。私はLB社の者です」
「……お帰り下さい」
彼がそう名乗った所で、彼女の顔は急に険しくなる。
「何と言われようと、私はここから動く訳にはいかないのですわ」
「ええ、それは彼からも聞きました。そこで、相談にと」
「私は動きません」
「そうですね。娘さんが帰ってくるのを待たなくてはならないですよね。ですから、我々が迎えに行こうと思うのですよ」
何だって? と代表の男は弾かれたようにシェドリスを見る。
「もしかしたら、道に迷っているかもしれない。最近はこのあたりも物騒だから、もしかしたら、悪い男に引っかかっているかもしれない」
「娘はそんなふしだらではありませんわ!! それにまだあの子は小さいのよ」
「だったらなおさらだ。アナ・Eさん、悪い大人が、子供さんを拐かしているかもしれませんよ」
「……それは……」
彼女は、足下に視線を移す。
「必ず探します。約束します。ですから、あなたには、そのために協力をしていただきたいのですよ。娘さんの姿形を教えてもらいたいですから、うちの社に来てくだされば、そういったことに詳しい者も居ます。如何でしょう?」
アナは一瞬ふら、と視線を空に泳がせた。ディックはその目に悪寒のようなものが走るのを覚えたが、それは一瞬だった。
「本当に、探して連れてきてくれるのですね」
「本当に。約束します。スタッフが、そのための場所へと、あなたをお連れします。捜索の方法もお見せしましょう。如何ですか?」
「あなたも薄青の目なのね」
え? とディックはふと顔を上げる。だが彼女はその言葉の続きは言わない。ええそうなんですよ、と返すシェドリスに、ただそう、と乾いた声で答えるだけだった。
「判りましたわ。おっしゃる通りに致しましょう。でも必ず、必ずお願い致します」
彼女の語尾がかすれる。シェドリスはそれに無言でうなづいた。
*
それでは明日、とアナに手を振り、代表に移住の準備を進めるように念を押すと、シェドリスとディックは「地雲閣」の管理棟へと足を進めた。
と。
「どうした?」
急に立ち止まり、ズボンのポケットをまさぐり始めた友人に、ディックは問いかける。
「……おかしいな。さっきの場所で落としたのかな」
「何を? 俺見たかもしれない」
「……いや、コイン入れなんだけど。結構軽くて重宝するものだったから……おかしいな。ちょっと君、先に管理棟に入っていてくれないか?僕はちょっと戻ってみるから」
「ああ、判った」
シェドリスは先に行くディックの姿を確認すると、廻れ右をし、今来た道を引き返して行く。
そして、その道は途中から変わった。
ほこりの溜まったコーヒーカップの横を通り、園内列車の発着駅をすり抜け、メリーゴーラウンドの柵のところまで来た時に、彼は不意に足を止めた。
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