第26話 昼から雨、と電視台は言っていた
話には聞いていた。だが聞くと見るとは大違いだ、とディックは思わずにはいられない。
白い、厚手の防護布の中、入り口の大きなステンドグラス扉の中に一歩入った途端、彼は思わず息を呑んだ。思わず空を降りあおいだ。
いや、空というのはやや違うのかもしれない。一応そこは屋内なのだ。
だが、その天井は、何処にも無い。見上げたディックの頭上遠くには、ぼんやりと、灰色のものが見えるような気がしたが……気だけかもしれない、と彼は思う。
円筒形のその建築物は、内側もまた、ただひたすらの空間なのである。
壁面には、斜めに連続する模様が刻まれている。それが延々、植物からやがて鉱物に形を変え、またそれが更に抽象的な模様へと変わっていく様は、何やら特別な想像をその中に入る人々に起こさせようというのだろうか。
そしてその斜めの模様は、どうやら「向こう側」からも始まっているようで、実際には、「こちら」と「向こう」の模様が、交差し、らせんを描いていると言ってもいい。
淡い色のグラデーションのらせんは、延々と高みまで続く。そしてそれは向こうでは高みではない。地面なのだ。
壁面にはまた、所々に窓が取り付けられ、そこからやがてはこのコロニーの中で「一番高い場所」までの景色を堪能するという仕組みになっているらしい。円の組み合わせをモチーフにしたその窓は、一つ一つは大きいが、決して連続してはいない。建築法則的にどうなのかディックはら判らなかったので、アトランダムに置かれているしか見えなかった。パターンも大きさも異なる窓が、ぽん、ぽん、と不意に現れるように、きっとここから上がる人々の目には映るだろう。
そして壁はあっても天井は無い。
そうなのだ。この建物には、天井というものが無い。明らかに屋内なのだが、そこには天井は無い。空を見上げた自分の見られるのは、「向こう側」の地面なのだから。
思わず彼はくらり、と眩暈がした。
「大丈夫かい」
シェドリスは彼の腕を掴む。大丈夫、と彼は体勢を立て直す。
「まあだいたい初めて来る人はそうだね」
現場監督もしょうもないな、という顔で腰に手を当てた。
「今はまだ、乗り物を取り付けていないから、ここは本当にただの塔でしかないですがね」
「計画では、いつ始動させることが可能かな?」
そうですねえ、と監督は胸ポケットの端末を取り出すと、その節くれ立った太い指でぽんぽんとキーを押した。端末がひどく彼の目には小さく見える。
「……ああ、そうですね。まあ例の式典の後に、こちらへ回ってもらって遊ぶのは無理でも、始動くらいは可能でしょうな」
「例の式典?」
「ほら、皇兄ユタ氏がプラムフィールドにいらっしゃるってあったろ?」
「ああ、あの」
「できれば、なるべく復活したこのプレィ・パァクを皇兄ユタ氏にご覧に入れたい、というのが総裁のお考えだからね」
総裁、ということは。
「じゃあ君が派遣されたのは」
「そう。このプレィ・パァクをユタ氏行幸までに仕上げること」
「無茶なことだ、と俺も反対したんですがねえ。あの総裁氏は、結構無茶を可能にしてしまうんでさ。昔っから」
「ディックあのね、この監督は、その昔、このプレィ・パァクを建設する時のスタッフの一人だったんだ。と言うか、建築家なんだけど」
へえ、とディックはうなづく。ただの現場監督ではなかったのか。
そう思ったところで、待てよ、と彼はふっと記憶をひっくり返す。
「ちょっと待ってよ、監督、まさか、あの建築家の…… えーと、ナガノ・ユヘイさん?」
「外れ。俺はミンホウ・サイドリバー」
あ、という顔になりディックは口を押さえる。それを見てサイドリバー現場監督は、がははは、と大きな声で笑った。
「まあ仕方ないよな。どっちかと言や、奴の方が有名だ」
「す、すいません……」
彼は思い切り恐縮する。いくら何でもこの間違いは無いだろう、と穴があったら入りたい気分だった。シェドリスもあからさまな笑顔を浮かべ、ばん、とディックの背をはたいた。
「苦労したんだよ! 彼を探して呼び寄せるのに。何せ今じゃあ、サイドリバー工業の代表取締役なんだから」
「よせやい。辺境の小さなグループだ」
「でも最近急に大きくなってますよね?ほら、設計施工だけでなく、何か化学研究所やら、鉄工所やら…… これからは辺境ですよ」
「お前は口が上手すぎる」
にやり、とサイドリバー監督は笑った。あれ、とディックはふと、サイドリバー監督の口調が変わったことに気付く。
「ま、別にそれはいいんだ。俺はもう引退したんで、まあ道楽兼ねて、こっちに来てるんだよ」
「大変なのは奥さんですよね。わざわざこっちへ引っ越して来たんでしょ」
「ああ、あれは慣れてる。昔っからそうだったからな。話が入った途端、もう荷造り初めてやがった」
そういうものだろうか、とディックは思う。少なくとも自分とサァラではまだそんな域には達していないだろう。いや、これから果たしてそういう域に達するだろうか。
「本当は、他のスタッフも集めたかったんだけどね。さすがに今の今じゃ、見付けるのはちょっと難しかったんだ。情報が散乱しているし……」
「俺も、せめてナガノくらいは居て欲しかったよな。奴は俺と違って細かいことにいちいちうるさかったからな」
「今、……行方が知れないんですか?」
「同じ名の人は居たんだけどね」
シェドリスはさらりと言う。ディックはその言葉に一瞬血が引く自分を感じる。
「で、中の改装と、機械装置に関しては、結構隠密裡にずっと進めてきたんだよ。それに、中の昇降機に関しては、それ専門のチューブ素材と乗り物は外注してあるし。貫天楼については、結構いける、と思うんだ」
「貫天楼については?」
ディックは引っかかった言葉を繰り返す。
「貫天楼はいいんだ。そもそもが、それだけの設備でしかなかったから。だけど他の四大プレィ・パァクは、結構今、人々がそこに住んでる場合が多いんだ……」
「それは……」
「無論立ち退き料や、新しい居住地の保証もしているんだけどね。時々それが上手く行かないところがあって」
「ま、同情はできるね」
「監督」
「いくらいい所を住処としてあげる、と言われたところで、そこが住処として気に入ってしまっていれば、それは理屈に過ぎないからな。結構一度住み着いてしまうと、人間ってのは動くのが嫌になるもんだ」
「あなたがそう言うとは不思議ですね」
「俺は例外だ」
確かにそうだ、とディックは思う。自分も、今あの部屋からいきなり立ち退け、と言われたら、確実にためらう。たとえもっといい場所に、と言われたとしてもだ。それはセンティメンタルな感情なのかもしれない。だが、自分も含めて、人間はその場所そのものに思いを残してしまうものではないだろうか。
「特にしぶといコミュニティがあるんだよ。後で君、一緒に行かないか?」
「しぶといって……」
「何も直接記事がどうっていう訳ではなくても、何かになるかもしれないさ」
そうだろうか? そうだろうな、と彼は少し考えてからうなづく。シェドリスはそれを見て、にっこりと笑った。
ふと、その時ディックの耳に、きめの荒い砂を勢いよく落とした時のような音が飛び込んできた。程なくして、一人の作業メカニクルがばたばたと中に飛び込んできた。
「監督」
おう、とサイドリバーは呼ぶ声に即座に返す。
「何だ?」
「雨です。雨が降ってきました」
もうそんな時間か?と監督は太い眉を寄せた。
「早いな」
「そうですか?」
「昼から雨、と電視台は言っていたが…… ずれたかな」
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