第14話 オリイを受け止める明るい茶色の髪の男
だがその喋らない新入りは瞬く間に、彼の仕事場では人気者になった。何せ無駄なことは言わないでよく働くし、端末を扱う指は早いし、間違いも少ない。
そして話しかければ、その綺麗な顔でにっこりとしてみせる。話しかけた相手が気持ちよくならない訳がない。
「それにしてもあの子よく働くわね」
ドーソン女史までも、そう評した。彼女は滅多にこういうアルバイトの端末使いを誉めることはないので、さすがにディックも驚いたくらいである。
「情報の選び方も上手いし…… 君、確か今詰まってるんじゃなかったっけ? チューブの件」
「あああああああ…… それを言わないで下さいよ~」
ディックはこの小さな会社が出している雑誌の中では、なかなか長期展望にあたる記事を任されていた。彼のマシンとメモの中では、それは「LB社の発展」もしくは「MA電気軌道の展開」という仮タイトルがつけられている。
ここに住み、登録されている人々の姓が全てアルファベットで呼ばれるように、その会社もまた、そのように名がつけられていた。
「何が一体厄介なの? 君こういう関係の記事は好きでしょうに?」
「そらまあそうですがね」
彼はやや口元を歪める。だが現実にそこにある会社について……しかも現在のこの星域において力を持っている会社について書くのは難しい。
以前に住んでいた所では、まだその加減を知らずにキーを叩きまくり、あちこちに睨まれ、とうとう居ることさえできなくなった。ペンは剣より強し、という遠い昔のことわざがあったらしいが、それは嘘だ、と彼は思ったものである。
とはいえ、無論、相手の動静を頭に入れた上の「ペン」には効果があることは彼も知っていた。だからこうやって、流れ来たこの地でも、「ペン」から離れられない。
「まあいいけどね。でも時間はいつまでもある訳じゃあないから、がんばんなさいよ」
へいへい、と彼はドーソン女史の言葉にうなづいた。
*
ボスが時計を見て、もういいよ、とオリイの肩を叩いた。弾かれたように彼はボスを見上げた。そしてにっこり笑うと、ぺこんと頭を下げた。
もうそんな時間か、とディックもまた時計を見た。そして彼は上着を取り上げる。
「あらもう今日は切り上げ?」
「うん、ちょっと今日は人と会うんだ」
「ああディック、出るならちょっと彼を外の停車場まで送ってやってくれないか」
「へ?」
編集長の言葉に彼は思わず問い返す。
「そうよね、送ってあげなさいよ」
「迷っちゃいけないし」
デスクの女性達も面白そうに口々に言う。ディックは肩をすくめつつも、ちら、とオリイの方を見た。すると端末の電源を落としながら彼はまたにこ、と笑った。
ビルから出て、三分ほど歩いたところに停車場がある。そこから路面電車が走っている。この街の、近場の足である。
だがその三分にしても、正直言って、ディックはどうしたものか戸惑っていた。男にしろ女にしろ、普通に会話が続く訳ではない。すると当然のように、彼はあたりさわりの無いことを独り言のように言いながら、歩き続けることになる。
だがふと、その隣を歩いていた相手の足が止まった。そして手を振る。何だろう、と前に視線を飛ばすと、停車場の壁に、細身の男がもたれかかっていた。
何処かで見たことがある、と彼は思った。ぺこん、と頭を下げて、オリイはその男のほうへ駆けていく。ゆるく編んだ三つ編みが駆け出す足取りに合わせて揺れた。
明るい茶色の髪の男は、駆け寄ってほとんど抱きつく勢いのオリイを受け止めると、ぽんぽん、と背中を叩く。その光景にディックは今朝がたの自分達の姿を思い出した。そういう関係なんだろうか、とふと彼は思った。
ふっとその男が、彼の方を向いた。
「ああ、また会いましたね」
え、と彼はその張りのある声に、それが先日ホッブスの店の前で見た男であることに気付いた。
「あんたは……」
「先日はどーも。あれ?もしかして、こいつのアルバイト先の人なんだ?」
「え? ええまあ。……ってことは、あんた」
「いや、先日はおかげさまでホッブスさんと久しぶりに語らえましたよ」
「あ、じゃあホッブスさんが言ってた客はあんたなんだ。……えっと、オリイ君…… とは、友達?」
「って言うか、同居人」
ああ、とディックはうなづいた。どうとでもとれる言葉だが、どうとでも取ってもいいような気がした。自分とサァラも一応「同居人」である。
それではまた明日、とオリイの連れはオリイとは比べ者にならないくらい露骨な笑みを浮かべると、手をひらひらと振った。
はて、とディックは何となく、光と闇がそこに一度に置かれたような錯覚を起こした。だがそれは何ってよく似合っていたことだろう。
*
ギ、と音を立てて、上半分しかないような扉を彼は押した。煙草のにおいやグラスを合わせる音、皿を集める音、笑い声がその中に詰め込まれている。
既に夕刻も過ぎ、カバンを持つ仕事帰りの勤め人、起き抜けのような目をしたこれから仕事に出ようとする人々、顔は既に脂が浮いているのに、これからが遊ぶ本番だとばかりに満面の笑みを浮かべている女性達。
彼はこんな時間は好きだった。もっとも、いつもはこの時間は、あくまでもまだ仕事の途中なのだが。
レ・カの映像の記憶を頼りに、彼はあちこちのテーブルに視線を飛ばす。黒髪黒髪……
そしてそんな彼の様子に気付いたのか、一つのテーブルから、黒髪の男が立ち上がった。あああれだ、と彼は焦点を合わせる。
「やあ」
相手は低い声を立てた。
「突然呼び出してしまって悪かったね、ディック」
「いや、……それはいいんだ」
「予定は大丈夫? 何だったら手短かに済ませるから」
「あ、それは…… うん、今日は食事を約束しているから、ここでは軽く、ということでいいかな?」
「もちろん。無理にとは言わないよ」
ディックはそう言われてようやくほっとして、相手の姿をまじまじと見た。幼なじみというくらいだから、自分と大して変わらない歳のはずだが、そのわりには、ずいぶんと若々しい印象を受ける。黒い髪はやや長めで、ざっと後ろでくくっている。穏やかな笑みを浮かべた顔には、薄い青の瞳。へえ、と彼は今更のように驚いた。彼女と同じ色合いだ。
それが彼に、何なし安心感を抱かせた。
「とりあえず、呑もうか。久しぶりの再会に」
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