第13話 ルナパァクの気風
ポケットから手を出して、彼は空をふりあおいだ。とりあえずは仕事だった。
彼の住む、こまごまとした箱が重なりあったような、元々は安ホテルの集合体だったアパートメント地帯から一歩外に出ると、更に雑多な空間が広がる。
顔馴染みのホッブスの店もそうだったが、この街には、公用アルファベットと中華文字が同じ位の比率で空間を埋めている。看板、ネオンチューブ、ポスター……そのほとんど全てが、この二つを同居させていた。
とは言え、話す言葉はやはり公用語が中心だった。流れ来た住民が話す言葉はとりどりだったので、その多様な言語をとりまとめるものは、と言えば、やはり公用語でしかなかったのである。そして中華文字は、このルナパァクの、戦争前の遺物でもあった。
原色の強調された、決して流れない文字が、そこには在る。
ウェストウェスト星域には、公用語を使う文化圏の人間が多かったのだが、このルナパァクに関してはそうではなかった。いや、公用語を使う文化圏の中でははじき出された、別の文化圏の人間が仕事を得るには良い所だったのかもしれない。それが現在も、入るも自由、出るも自由という気風を作り出している。
彼はそんな雑多な街に、いつものように、足を踏み出す。仕事の時間なのだ。
十階には満たないビル達が、灰色のコンクリートの肌を剥き出しにして、僅かな背の差を比べるようにして並んでいる。彼はその一つに入った。
曇りガラスの入った重い扉を開ける。ガラスには、やや植物的な曲線で「Dear People」と書かれている。
それが彼の勤める会社の名であり、そこから出している雑誌の名前だった。無茶苦茶に部数の多い雑誌でもないし、決して全星域にどうの、という類ではない。このルナパァクに基盤を置き、ルナパァクに住む人々のために出している総合誌と言ってもいい。
「お早うございますーっ」
声を張り上げる。すると中でデスクワークをしている数名の同僚が、ふっと顔を上げ、おはよう、と彼にあいさつを返した。彼はそのまま自分の席につき……そして何かいつもと違うのに、気付いた。
「あれ、ドーソンさん……」
彼は自分の前のデスクのドーソン「女史」に語尾をぼかして、親指を立て、ちら、と視線を動かした。
「そうなのよ」
彼女もまた声をひそめる。そして斜め横に視線を移す。いつもだったら空きっぱなしで、物置と化しているデスクに、見慣れない顔があった。
よくよく俺は黒髪に縁があるな、とディックは思う。その見慣れない顔の人物は、背中くらいの黒い長い髪を、緩い三つ編みにしていた。
そしてディックは手にしていたボールペンで軽く、参考書類の山の上を叩く。金色の髪をふわりと後ろに流した女史は眼鏡の位置を軽く直した。
「……あのさ女史…… どっちだと思う?」
「どっちって?」
「男か女か」
「……え? あ、あら私、女の子だと思っていたけど……」
「いや俺も、ちとばかりそのへんが怪しくてさ。賭けない?」
「よしてよ。君のカンに私が勝てる訳がないでしょ。……ボスが来たら聞くのが一番ね……」
ひらひらと手を振る女史に、そうだね、と彼はうなづいた。
とは言え、ちらりと見るその新顔は、確かにどちらとも言い難い雰囲気を持っていた。
長い黒い髪だけではない。大きな、ややきついとも言える目にしても、その顔立ちも、女の子と言えば女の子にも見えるし、女顔の男と言おうと思えば言える。身長は割とありそうだ。まあ自分よりは低いだろうが、サァラに比べればずいぶんと高いだろう。
やがて彼等のボスである、この「Dear People」の編集長が入ってきた。そしてお、という表情をすると、ぺこんと無言で頭を下げる新顔に対して、君が彼からの紹介のアルバイト君か、とか声をかける。
ディックはその様子を、耳をそばだてて聞いていたが、どうやらその必要はなかったようである。ボスは低い声を張り上げた。
「ちょっと聞いてくれ」
デスクに向かっていた総勢六人のスタッフは、一斉にボスの方を向いた。
「今日からしばらく情報整理のために来てくれるオリイ君だ。よろしく頼む」
そしてその言葉につられるように、オリイ「君」はぺこん、と頭を下げた。言葉は無い。
「……で、彼はちょっと喉に障りがあって、口が効けないので、承知しておいてくれ。耳は関係無いので、ただ、彼からの話は筆談になるが……」
スタッフ達はうんうん、とうなづいてみせる。そういうのはこの流れ者の多い街では、決して珍しいことではないのだ。
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