第12話 ディックとサァラ①
「遅くなるの?」
戸口で声がした。ディックはほんの少し驚きながらも、扉を開けようとした手をポケットの中に戻す。
「ま、ね。一応幼なじみと会うわけだし」
ふうん、と彼女は後ろで手を組みながら、気の無さそうな声で返した。
「何、まだ怒ってるのかよ、サァラ」
「別に怒ってやしないわよ」
そう言ってぷい、と彼女は横を向く。嘘付け、と彼は黙って肩をすくめる。頬が赤い。
「昔からの友達だったらはじめっからそう言えばいいのに」
「そんなこと言ったってなあ」
別に自分にとっては、昔なじみじゃないのだから。彼は内心つぶやく。
まあいい。何にしろ彼女はすねているだけなのだ。上から下までざっとその身体に視線を走らせる。短い、黒い髪が乱れている。シャツがしわだらけだ。彼は苦笑する。そして彼女に近づくと、くしゃ、と乱れた髪に指を差し入れた。それに釣られるように、彼女は目を細めて彼の顔を見上げる。
「仕事、忙しいのか?」
「ちょっとね。ううんそれはあたしのせいなんだけど…… うん、それはいいのよ。別に」
はいはい、と言いながら彼はサァラを引き寄せ、回した手で背中をぽんぽんと軽く叩く。
彼女はディックの胸に顔を埋めると、しばらく黙ったまま、目を閉じていた。彼はその間ずっと、背中を撫でたり叩いたりしている。彼は彼女がそれで安心することを知っていた。出会った頃からそうだった。そして今でもそうなのだ。
もういいかな、というタイミングを見計らうと、彼はゆっくりと掴んだ彼女の肩を外に押し出す。彼女はうつむき加減に、ごめんね、とつぶやいた。
「いいよ別に。いつものことじゃん。んでも、着替えてこいよ。もうじき、レベッカやアーミィが来るんだろ?」
「うん。そうよね。お仕事、……彼女達が、手伝えるようにはしなくちゃね。ごめん」
この同居人兼恋人は、部屋の中に小さなオフィスを持っている。同じくらいの女友達二人をスタッフにして、彼女は端末を数台置いて、電脳世界のデザイナーをしていた。
忙しくない時は、何をしていいのかさっぱり判らないくらい暇なのだが、忙しい時には、それこそ時々眩暈を起こして倒れてしまうくらい忙しい。
むらが多く、しかもいつも自分の気に入る出来になるとは限らない。そんな自分の気に入らないものでも、向こうはそれなりに評価したり、自分ではこれだ、と思った時でも向こうが気に入らなかったり……
スタッフの二人にしても、友人としてはともかく、彼女よりは腕が劣るのはディックの目から見ても確かだったので、そのあたりに彼女は時々苛立ちを覚えるらしい。
だったら別の仕事にすればいいのではないか、と彼もさすがに時々思う。
だがよくよく考えると、それはもっと難しいことに彼は気付くのだ。彼女には、その別の仕事を手に入れるための手腕はあっても、公的な身分が無いのだ。
彼女はこの街にはよく居る、戦争で身よりを無くした流れ者の一人だった。この元遊園地コロニーのルナパァクは、流れ来た者を、手を広げて迎え入れはしないが、追い出しもしない。
おまけに、やって来た当初は、どんな世界をたどってきたのか、記憶がずいぶんと混乱していた。
さすがに、最近はやって来る少し前のことも、ぼつぼつ思い出すだけの余裕ができたようだが、子供の頃のことなると未だにさっばりであるし、何故わざわざこのコロニーを選んだのかということになると、時間的には最近なのに、全く判らないのだという。
過去が、ふわふわとして掴みどころが無い。
彼女の不機嫌の理由が、自分の会う相手が「昔なじみ」であることにもあるのは彼も気付いていた。それが本物であろうが無かろうが、彼女にはそれは存在しないのだ。
それだけに、自分の腕だけで何とかつながりを作り、その実体の無い世界で……実体の無い世界だから作り出せるものに対して、愛着を持っているのかもしれない、と彼は思う時がある。
ひどく、不安定。出会った時もそうだったし、今でもそうだ。
そしてその部分が、時々ひどく愛しい。
「なるべく早く切り上げてくるよ。だからサァラも、手持ちの仕事、早く終わらせちまいな。晩メシは外に食いに行こう」
「うん。そうだね。うん最近、そういうことなかったね。そうしよ」
彼女はうなづく。そして彼はもう一度彼女を引き寄せて、軽いキスをした。
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