第9話 「貴様は、恐ろしく優秀な傭兵だった」
通されたのは、奥のまた奥の部屋だった。そういえば十年少し前に、オリイを渡されたのもここだったな、と何気なく見た壁の黄ばんだ染みに記憶を掘り起こす。
部屋の真ん中に置かれたテーブルにつくと、ホッブスは棚から酒瓶を取り出した。
「身体に良くないよ」
「うるさい。貴様もそういうなら呑め」
はいはい、と彼は言われるままに置かれたコップの一つを手に取った。
「……で、何を聞きたい。貴様は」
「全部。あれを何で君が手にしていたのか。それに邪魔だったら何で君自身の手で殺さなかったのか。そもそもあれは、何なんだ?」
確か、と鷹は当時の状況を思い出す。
「俺はあの時、偽造IDの代価を聞いたはずだ。結構な値はするだろうと思っていた。だけどそれほどの代価を支払える状況ではないことを君は知っていた」
「ああ。貴様は追われていたからな。当時は、戦争中だったら有効だった、星間平等銀行が、とうとう当局によって押さえられた」
全くあの時は、と彼は思う。
星間平等銀行。通称SPBと呼ばれるそれは、現帝都からはやや離れた星域にあった。
何処の出身の、何をしている人間であっても、金に変わりはない、という理念のもと、規定の手数料さえ支払えば、絶対とも言える依頼人の身元に関するセキュリティを約束した。彼のような傭兵稼業をして全星域を渡り歩いているような人間にとっては、無くてはならない所だった。
追われるようになってからは、特にそうだった。だから、それが存在するうちは、彼は何とか生きていくことに対しては楽観視していた。だが、それ自体を帝都の政府に握られてしまったら話は別だ。彼は本当にその日暮らしにならざるを得なかった。
無論それはそれで、不可能ではないことは知っていた。
彼の天使種の体質は、急な病気とかケガとかは無縁だったからだ。とにかく身体一つあれば、生き抜いていけることは知っていた。ただ、当座の資金が無いと、動きがとりにくくなる。ある程度のまとまった金というものは、行動の自由を約束するのだ。
「そ。だからまあ何を代価としての仕事として押しつけられても仕方ないと思ったさ。大体君は、俺がどの程度の兵士であるかをよく知ってる」
「ああ、よく知ってるさ」
ホッブスは、ぐっとコップの中の液体を空ける。
「貴様は、恐ろしく優秀な傭兵だった」
「そりゃあまあ、当然でしょ」
「反則だ、と思ったね」
「ふうん?」
「何せ貴様ときたら、我々の絶対的に恐怖する部分から、解放されている。貴様は、それこそ首を叩き落とすか、爆薬を全身にふっかけて木っ端みじんにでもしない限り、死とは無縁だ」
「まあね」
さらり、と鷹は答える。そんなこと。
軍を脱走し、傭兵稼業をし、天使種ということがばれる都度、誰からも言われたことだろう。
別に自分がそんな種族であるのは、自分のせいではないというのに。それがどうした、と言いたい気分はいつもあった。だが、言っても詮無いことにわざわざ気分をすり減らすのは、彼の趣味ではなかった。
逆に言えば、首を叩き落とされたり、全身拘束されて、爆薬を仕掛けられれば、死ぬことだってあるのだ。
方法の違いだけなのだ。彼にしても、それだけは警戒し、そうならないように立ち回っているから、生き残っているのだ。そのためなら、何でもした。それだけのことだ。
「それで? 繰り言はいいよ。オリイを君は何処からどう手に入れた? 身よりの無い子供には違いなかったろうが」
「モンスター・パァクがあるじゃろ」
ああ、と鷹はうなづく。
「あれの母親は戦争中、ふらっとこの街にやってきて、そこへ住み着いた」
「モンスター・パァク」
見せ物小屋か、と彼は思い出す。
「そこで、『蛇女』の役をずいぶんと長いことやっていた」
「蛇女?」
彼は眉を大きく寄せた。
「早く言えば、メデウサって知ってるか?」
「……ゴーゴン? 髪が蛇ってアレ……」
「貴様のところではそう言うか。とにかくそれだ。ああいったものをやるんだが、だいたいアレには仕掛けがある」
「と言うと?」
「予想はつかないか? 髪を蛇のように動かすんだ。まあだいたいは、髪自体が作り物であることが多いな。もしくは、それなりに見られる長い髪の女を舞台において、3D合成する」
「……ああ…… だけどそれだと機材が要るな、結構な」
「まあ当初は、だからそうだった訳じゃな」
ホッブスはそう言うと、今度は棚からナッツの袋を取り出した。
ああ相変わらずだな、と鷹は思う。ホッブスは太い、染みだらけの指で、一度開けて、止めてあった袋を開けた。そして一粒づつ、かりかりと噛む。そして塩だらけになった指を、時々煩そうに嘗める。昔通りだ。こういうところは人間は変わらないのだな、と彼は奇妙に感心する。
「ルナパァクが、ちゃんと遊園地であった頃はそれで良かった。わしもこの場で、遊園地目当ての連中相手に商売をしていれば良かった。さすがにもう戦場に出るには疲れすぎていたからな」
「そうだね」
「貴様と組んだせいで、十年は寿命が縮まったわ。どうしてくれる」
「俺のせいじゃあないさ。君は君で、俺と組めば生き残れると考えた。まあ間違ってないさ。あの状況下で、君が生き残れたのは、誰のおかげだ?」
ホッブスはぞく、と背筋が寒くなるのを感じた。この男は、見かけは変わらないが、どうやら中身は時間の重みがきちんと積もっているらしい。外見に惑わされてはいけないのだ。
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