第3話 花園の園主
「なかなかいいお店じゃない、ここ」
テーブルについて、ウェイターが食前酒を注いで立ち去ると、彼女は大きく天井を仰いで感想を述べた。そうでしょう、と鷹はにっこりとテーブルに両肘を立てながら笑う。
マルタはだが、その笑みにそのままにっこり、と返す訳にはいかなかった。そのテーブルにはもう一人居たのだ。
「あなたあまりこのプラムフィールドは知らないんじゃなかったの?」
「いやいや、来る前にあらかじめ情報収集しておくのは、基本中の基本でしょう」
「ま、それはそうだけどね」
それが例えば、旅行者のガイドブック的なものまで守備範囲が広がっているとは。
「それにしても、何かずいぶんとにぎわってない? 俺今日着いて思ったんですけどね。街中も、ずいぶんと飾り付けられていて。何かの祝日?」
「やあだ。そういうことこそ先に調べることじゃなくって? ……あなたいつもそうよ。マリーヤもそう言ってたけど」
「彼女、元気?」
「元気よ。あなたにまたいつか直接会いたいとか言っていたわ。用事があるらしいの」
そう言ってから、彼女は慌てて付け足す。
「あ、オリイも一緒よ」
やがて食事が運ばれてくる。真ん中に置かれた平たい鍋に、赤いとろりとした煮物が入っている。やや甘酸っぱい香りが彼等の周囲に漂った。お皿貸して、と鷹は彼女に手を伸ばした。
手を動かしながら、彼は何だろう、と花園の園主のことを思い出す。マリーヤ・Rと名乗るその女性が、彼をこの組織に導いたのだ。
花園の園主は、現在三十代前半。この目の前に居るマルタとそう変わらないくらいである。どちらも「変化」もしくは「進化」した種族ではないから、生きてきた年月が、そのまま身体に現れる。
ただ違うのは、マルタは未婚であり、マリーヤは既婚であることだった。
ただその既婚の相手が問題だった。園主のマリーヤの夫は、天使種だったのである。しかも、「やんごとない」類の。
そのせいなのかどうなのか、彼には判らないが、マリーヤは数年で夫と別れ、その後、この組織を立ち上げたという。
ただ、この組織が、その夫の力で成り立っていることは確からしい。スポンサーは、その「やんごとない」一人なのだ。彼はそれを聞いて初めて、この組織に参加することを決めた。
天使種の、一番上。最初に入植し、最初に変化した、その世代。変化して、最も強い力を得た、その世代。数えるのも容易なその人数のその世代の中でも、どうやら内部には様々な思惑が存在していそうだった。
「また、伺わせてもらう、と言っておいてね」
鷹は彼女に皿を渡しながらそう言った。
彼女はそれを受け取ると、脇の大きな、細い長いパスタを盛った皿に、今度は自分で手を伸ばす。少しだけそれを取り、受け取った赤い煮込みに入れた。そしてくるくる、とフォークで綺麗に巻き、口に入れる。幾度かそれを繰り返すうちに、彼女の目には別の光景が映った。
「あら鷹、オリイには取ってあげないの?」
杓子が手渡されるところだった。オリイは黙って、受け取ったそれで自分の皿を満たす。
「こいつ偏食激しいからね。俺が取ってもつまらないのよ」
「あらそうなの。……だからそんなに細いのよ。ちゃんと食べなくちゃ駄目よ」
オリイはまたふらり、と彼女のほうを伺う。そしてん?という顔をして、ポケットから紐を取り出すと、やや邪魔そうに髪を後ろ手で器用にくくった。
「……で、祝典には日にちがない訳だよね」
不意に鷹はつぶやいた。手はくるくるくるとパスタをフォークに巻き付けている。
「何だやっぱり知っているんじゃないの」
「まあね。歩いてくれば、それなりに垂れ幕やら何やら目に飛び込んでくるし。親切な可愛い女の子は聞けば教えてくれるし」
「どうせ私は親切ではありませんよ。年増だしね。……そう、とにかくもうあまり日は無いようね。本当は、ここに今回回されるのはあなたじゃなかったのよ」
「と言うと」
「予定が狂っちゃったわ。ここに回るはずのひとが、いきなりいなくなったものだから」
鷹は目を伏せて、グラスを口にする。なるほど消されたか。
「それで俺達に回った訳ね。それはそれでいいけど。何だってわざわざここいらくんだりまで、あの方々は、いらっしゃる訳?」
「さあ。そこまでは一介の事務員には判らないわよ」
マルタはそらとぼける。
「でも、ずいぶんと警護関係が、増えてるようね。……無駄なのに」
「そうとも限らないでしょ」
「そう思うの?」
「まあね」
祝典が近づいているのだ。鷹はオリイと宿泊先に向かう途中、通ってきた道の光景を思い出していた。
あちこちに、迎祝のムードが漂っている。街灯には造花が飾られ、道の両端の店々には、歓迎の文字が踊っている。
そしておそらくこのプラムフィールドの公会堂であろう、四角い、クリームを塗りたくったケーキのような大きな建物は、何かしら、業者が入り込んで改装の仕上げをしている、という雰囲気だった。
ここ数年、そういった祝典があちこちで行われている。「皇室」もしくは「帝室」のやんごとない人々は、交代であちこちに視察に出向く。おそらくその一つだろう、と彼は考える。
そして、それを狙ったテロリストもそのたびに現れ、それはまず、必ずと言っていい程検挙され、実際の数よりたくさんの人数が、戸籍を消される。
無駄なのに、とマルタは言った。そう、確かに、ただのテロリストでは、それは「無駄」な事なのだ。
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