細かく滑らかに

白井流川

第1話

 夏といえば暑い。最近では不快に感じるほどである。それでも多くの高校生はそんな暑さを諸共せず、むしろ暑苦しさをエネルギーに変換しているようだ。そのエネルギーを変換している高校生は遊び呆ける者、恋に落ちる者、勉強に専念する者、あるいは部活や趣味に没頭する者となるだろう。


 1人の平凡な男子高校生がボールを転がしていた。ボールは勢いを落とさないまま弧を描く。今度は真っ直ぐな軌道を残しながらなめらかに動くと端の方に辿り着いた。時折ボールはサササッという音を立てながら影を増やしていく。そんな流れるような一連の動作は見る者を魅了する。


「はい。できたよ」


 気が付くと、たった1本のボールペンだけで描かれたとは思えないほどの、繊細でそれでいて躍動感を感じさせるようなイラストが現れていた。そこには丁度ダンクシュートを決めている男性がいて熱気すら伝わってくる。


「うわぁ、凄い。ホントにタダで貰っちゃって良いの?」


 前屈まえかがみになって恐る恐る聞く彼女は言うよりも早くスカートのポケットに手を入れた。その勢いで軽くなびいたスカートからは細いながらもしっかりと筋肉が着いた太腿が見える。


「いいよいいよ。僕も趣味みたいなもんだし。ここまで来てくれたお礼。それにこういうことするのが出し物みたいなもんでしょ」


 そう。今日は文化祭である。といっても彼が所属している美術部は物置となっている教室が並ぶ廊下の角の奥の奥の方にあるため、フラッと立ち寄る人はまずいない。また美術部には10数人の部員がいるが、その殆どは文化祭を満喫しているため、実質今ここにいるのは彼独りである。

 部屋には部員達が半年の間描き上げてきたイラストが展示されているだけで、特に面白みもない。それでも絵を見に足を運んで来るお客さんはいることはいる。そんな方達に何かおもてなしできないかと考えた結果、お客さんの描いてほしいイラストを描くことだった。


「うんっ。ありがとね。これ見ていると次の試合頑張れそう」


 彼女は貰ったイラストを手にしてじっくりと眺めながら、弾んだような高い声でそう言うと、「じゃあまたね」と言ってから小走りで去っていった。


「あのぅ......」


 彼女と入れ替わるようにして若い男性が部屋に入ってきた。灰色のTシャツの上からジャケットを羽織り、下はジーパンを履いているだけの至ってシンプルな格好だが、その高い身長と長い脚にはとてもよく似合っている。

 そんなスタイルの良い方がなぜこんな場所に来ているのだろう? と思いながら僕は目の前にいる男性を見た。


「これはこれは、大変失礼しました。私、こういうものです」


 男性は腰を低くしながら名刺を差し出してきた。多分僕は訝しげに睨んでいたんだろう。まあ取り敢えず受け取ってみるか。

 名刺に目をやると、オリンピック実行委員会でイラスト関係に就いている方らしいことが分かった。鈴木さん? 下はよく分からないけど。


「......こんな場所になんの用でしょうか?」

「スポーツのイラストを描いてくれる方を探していましてね。貴方に是非描いていただきたいのですが。......FriedLightさん」


 男がその名を口にした瞬間、僕は自分の顔が強張っていることに気付く。


「どっ、どうしてその名を知っている?」


 動揺は隠せているよね......? 僕は冷や汗で濡れた手を力強く握る。


「ふふっ。そんなの君が絵描きで有名だからに決まっているからじゃないですか。だから君に頼みたいんですよ。FriedLightくん。」

「や、やめて! その名前で呼ばないで!」


 FriedLightくんは素早く耳を押さえた。

 この男かなりのドSである。

 僕は2年くらい前にネットのイラスト大会に応募したことがあって、そこで使ったのがその名前だった。当時はカッコイイ名前を振り回す自分に惚れていたのだろう。その名前で活動するのが好きだったみたいだ。大会に応募したときは「多くの人に見てもらえればそれでいいやー」くらいの気持ちだった。しかし思いの外受けが良かったらしく、一次選考を突破すると、史上最年少で大賞を獲得してしまったのである。

 そのときは嬉しかった。大声で叫んでいたかもしれない。ただ勉強も運動も特にできるわけではない自分を認めてくれる人がいる。その事実に満足していた。そう、FriedLightという名前を使うことに恥じらいを持つまでは......。

 今では違うアカウントを作っている。あんな名前は黒歴史だ。もう見たくない。もう聞くこともないだろう。そう思って平穏な高校生活を送るつもりだった。

 なのに何かが抜けたかのように毎日が過ぎていって、つまらない。退屈だ。そんな風に思う日々を過ごしていた。だから、もし僕の旧名を知る者が現れれば、その人はきっと僕をハレにしてくれるはずだと、心のどこかで期待していたのかもしれない。


「分かりました。その依頼、詳しく聴かせてください」


 少し落ち着きを取り戻すと、FriedLightは真剣な眼差しで前にいる男性を見つめた。


「はい。......その、来年の夏に東京大会があるのはご存知かと思います。そこで選手の活躍をイラストにしていただける方を探していたんです。勿論依頼料はお払いしますし、そこで得た収益のうち、20%は翔輝さんの元へお渡しします。2020年の6月までに描き上げてもらうことになりますが......」

「なるほど......分かりました。そのご依頼引き受けましょう」

「! ......ありがとうございます!!」


 鈴木さんは僕の今まで張り詰めていた顔が解れるくらいの嬉しそうな表情を見せながら......なんだ、鞄から資料やらなんやらを取り出して僕に渡してきた。


「一応親御さんの了承を頂きたいので、その資料は親御さんと一緒に目を通してください」


 そう言うと鈴木さんは深く一礼して去っていった。


 僕は家に帰ってからこのことについて親に話したが、当然否定されることもなかったのでその旨を鈴木さんに連絡した。

 来年オリンピックか〜。スポーツ興味ないけどな......。

 資料にはオリンピック観戦チケットが何枚か入っていた。カヌー、競歩、馬術、......なるほど。あまりメディアに取り上げられていない競技をどうやって魅せるかだね......。

 そうだな......。確かあの子、今日来てくれた子。えーっと。......榎田さん、そう榎田さんだ。彼女は来週試合を控えているんだっけ。


 翌日文化祭の片付けの日に翔輝は同じクラスの榎田さんに声をかけてみると、大きな笑みを浮かべながら詳しい日時と場所を教えてくれた。彼女が好かれるのはそういうところなんだろうな。


 彼女の試合は接戦だった。どちらが勝つか分からない緊迫とした雰囲気で残り1分を切った。息をするのを忘れていたのかもしれない。それだけ僕はボールを追うのに必死だった。あと2点。2点さえ取れば勝ち。でもその2点が遠い。相手も容易に入れさせてくれるはずはない。残り20秒。ボールを持っているのは相手チーム。ここで入れられればこちらの負け。どうだ。どうか。入るのか。ボールはリングに当たるとそのままクルクルと這っていき、......ボードに弾かれた! リバウンド!! ......よしっ! こちらにボールが渡った。センターがコート中央に走っている人にパスを出す。彼女は......榎田さんだ!周りには誰もいない。 ――


 ふぅ。少し熱くなってしまったかな。最後の榎田さん、カッコよかったなぁ〜。あぁ、夏とはいえもう秋なんだな。風が冷たい。......こんな臨場感をイラストで表現できたら、それはそれはどれだけ嬉しいことか。......スポーツ。......フフッ......。鈴木さんには感謝しないとな......。


 翔輝は半年後の夏にくるハレを待ち遠しく思いながらケを過ごしたのだった。勿論イラストはメジャーな競技を中心に殆ど描き上げた。ただどうもマイナーな競技についてはもっと知りたいという思いがあった。そのことを鈴木さんに伝えたところ、「それなら......」ということでオリンピックを見た後に描き上げることで決まった。


「暑い。こんな暑い日によくやるよねぇ。アスリートは大変だ」


 最初のオリンピック観覧は障害馬術である。障害物競争のようなものだろうか。今日は快晴で地面もぬかるんでいない。最高のコンディションだ。

 ......率直に言って地味である。歓声もないし、熱気も伝わってこない。しかし細い脚でハードル

を越える馬の姿と、それを可能にする馭者ぎょしゃが一体となっている姿は、お互いが信頼し合っている夫婦のようだった。スポーツというよりもむしろ社交ダンスを披露しているかのような優雅な姿。


「これをイラストにするのはかなり難度の高いことだぞ......。」



 テラテラに照らされた太陽の下で、水しぶきを上げながらカヌーをしている人がいる。僕が見たのはスラロームというものらしい。上流から下流へ、激しい川の流れを上手く利用する競技だ。見ていると夏の暑さを吹き飛ばしてくれるような爽快感を感じる。どうやったら流れに逆らって回転ができるのだろう? まるでロデオをこなしているみたいだ。



 さて、陸上選手はこの天候をどう思っているのだろうか。ここの1週間快晴が続いているのにも関わらず、皇居外苑はジメジメと蒸し暑い。川のかさが大分下がっている。そんな炎天下でも選手は走らなければならないのはあまりにも酷である。ただ選手の通る道には申し訳程度にミストが付けられていて、熱中症の対策には一応なっているのだろうか。


 僕は描いた。何回も描いて描き直して、そうやって納得するイラストを描き上げた。満足する絵を作った。どういう競技か知らなくてもいい。こうして描いたイラストがまた誰かの目に留まるのであれば......。

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細かく滑らかに 白井流川 @kpby2751

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