10話 プリズンブレイク(物理)
「パンイチ! 無事だったか……!」
栗色の髪に、琥珀色の瞳。身にまとう服こそ、いつもの黒装束ではなく簡素な麻の服だったが――まちがいない。
牢屋の前に現れたのは、カシスだった。
「カシス!」
俺は鉄格子のほうへとすり寄って、彼女の名を呼ぶ。
しかし、カシスはそこで神妙な表情を浮かべたあと、よそよそしく顔を逸らした。
「ん? どうしたんだよ」
「いや……いま、パンイチがお楽しみの最中だったから。邪魔すると悪いと思ってな」
そう言って、カシスは牢の中のキシュリーを見た。どうやら、俺がキシュリーの体を隠そうと密着していたことについて、あらぬ誤解をしているらしい。
俺はブンブンと首を横に振って、その勘違いを否定する。
「いや、いまのは、その……見つかるとやばいと思ってな!」
「見つかるとやばいことをしていたのか?」
「うーんそうとも言えるなぁ!」
なんせ、悪魔と邪教徒が集会を行っていたのだ。
三角教の人間が見たら卒倒する光景に違いなかった。
「……ってか、カシスのほうこそ無事なのかよ⁉ 『感染』状態はどうなった⁉」
「教会の人間が薬草で治療してくれたおかげで、今はこのとおり無事だ。ちなみに、彼らからは服ももらった。それはそうと、パンイチ……迷惑をかけてすまなかった」
「いや、俺のほうこそ! でも、よかった……!」
俺は安堵のあまり膝から崩れ落ちる。
こんなに安心したのは、生まれて初めてかもしれない。
けど、カシスはどうして俺の居場所がわかったんだ?
キシュリーが教えたのだろうか。……いや、キシュリーは俺のことを本気で悪魔パンツォロッソだと思っている。となるとカシスのことは、俺の仲間ではなく、あくまでも俺に『感染』状態にさせられた町娘に過ぎないと思っているはず。彼女がカシスを手助けするとは思えなかった。
「これを見ろ、パンイチ」
すると、俺の思考を読んだように、カシスが手のひらを前に突き出した。
その上には、水の入ったお
そしてその水の上には、一本のつまようじが浮かんでいた。
針の先端が、まっすぐに俺のほうを向いている。
「これは私のスキル、『つまようじダウジング』だ。つまようじで誰かを突き刺すと、その人物の居場所がこうやって分かるようになる」
「地味にすげぇスキルきた!」
超能力者かよ⁉
驚く俺の目の前で、カシスは得意げな顔を浮かべる。そうして彼女は容器からつまようじを取り出すと、今度は牢屋の鍵穴にそれをぶっ刺した。
おい、まさか……。
「スキル『つまようじピッキング』だ。私唯一の、盗賊らしいスキルだな」
「ここにきて急に有能になったなあんた⁉」
どっひぇ、と俺は驚く。
あのカシスが……ポンコツつまようじ娘が、こんなに大きくなって……。
まるで子供の成長に感激する父親のような気分だった。
「ん? でも、そんなスキルで開けなくても、鍵はここにあるぜ? なぁキシュリー」
「はい、そうですね。わたしがこの牢の鍵を持っていますから。……わたしが入ったあと一応は施錠しておきましたが、この鍵があればすぐにでも開錠できますよ」
「だってよ、カシス。残念だったけど、そのスキルが活躍することは――」
「あ」
そこで突然、カシスが間抜けな声をあげた。
何事かと思って彼女を見ると、その手には
言うまでもなく、それはピッキングに使用していたつまようじだった。
となれば、折れたつまようじの片割れは、必然……
「ああああああああっ!」
錠の鍵穴の中に、取り残されてしまったということである。
「ぱ、パンイチっ、つまようじが詰まって、穴が塞がってしまった! これでは鍵を開けられない!」
「うん、やっぱあんたポンコツだったわ! 安心!」
普通に閉じこめられちまったじゃねぇか!
……と、ノリでツッコんでみたものの、その実、俺はたいして焦ってはいなかった。
なぜなら、「裸の王様」を使えば、楽々と鉄格子をすり抜けて脱出できるからである。
「そ、そうか! パンイチには特殊スキルがあったな!」
俺がそれを説明すると、カシスが胸をなでおろす。
そうだ。カシスも無事だったみたいだし、ここに長居する必要はない。こんなジメジメしたところ、さっさと出ていくのが吉――
「パンツォロッソさま」
そこで、俺の後ろから声が投げられた。
振りかえると、清楚系邪教シスター……キシュリーが、深刻な表情を浮かべていた。
「わ、わたしを、置いていかないでください」
「いや、でも……」
「おねがいします!」
なんだかやけに真剣な口調だった。
同じ「真剣」でも、さっきまでとは雰囲気が違う。
「鍵穴が塞がれてしまった以上、わたしが外に出る方法はありません!」
「いや、朝になったら仲間の修道士なりが様子を見に来るだろ。そこで助けてもらえばいい」
「そうなってはまずいのです! いまわたしが着ている修道服には、逆三角の印が刻印されています。それが見つかれば、わたしは邪教徒として異端審問にかけられるでしょう!」
「じゃあ服を脱いで捨てておけばいい。これは悪魔が落としたものですって言って」
「服を脱げば……それこそ悪魔パンツォロッソを信仰する者として、糾弾されることでしょう!」
「おい待て。もしかしてあんた、その修道服の下になにも着てないのか?」
「もちろんです! パンツォロッソさまの教えに従い、この下はパンツいっちょ――」
「いや、それ以上は言わなくていい! ……くそっ、あんた詰んでるじゃねぇか」
俺は頭を抱える。
どうすりゃいいってんだ。
「ちなみに、異端審問とかいうのはそんなにつらいもんなのか? 裁判にかけられるってことだろ?」
「はい。
「バラエティー番組の罰ゲームかよ⁉」
心配して損したわ!
俺はキシュリーに背を向けると、「裸の王様」を発動する。
かわいそうだが、彼女はここに置いておこう。
「………………」
キシュリーはただ、うつむいて、必死で両手を合わせていた。
――神や悪魔に祈っても、現状が変わるわけではないだろうに。
俺がそう思って、透明化したまま鉄格子をくぐろうとした瞬間。
「ああ、やっと、理解しました」
キシュリーが、その唇から声を漏らした。
俺は振り返って、彼女を見る。そのまなざしは、先ほどまでの悲観にくれたようなものではなく――なにか決然とした意志のようなものに燃えていた。
「たとえ、わたしが悪魔パンツォロッソさまを信仰する邪教徒であることが、周囲に露見したとしても。その結果、異端審問にかけられることになったとしても。――周囲の圧力に屈せず……ただ己の信仰に誠実であることが、真に重要なことなのですね。たとえそれで身が滅びたとしても、その選択ができることこそが、なによりも尊いのですね」
ともすれば、それは危ない考えだった。
だって、邪教だぞ? パンツ一丁の悪魔を信仰することが、まともだとは思えない。
……。
…………だけど。
俺はそんなキシュリーの横顔が、まぶしかった。
なんでだろうと考えて、答えに至る。
いままで、なんの信念もなく生きてきた俺にとって――自分の信じるものを貫く人間は、とても輝いて見えるのだ。
羨ましかったのかもしれない。
なにかのために死ねる人間というものが。
…………。
そう。
それだけ。
たったそれだけの理由で――
俺は、地形破壊スキル「
ドォォン‼ という轟音が響いて、鉄格子がつまようじみたいに吹っ飛ぶ。
鍵が閉まっているとかは、もう関係ない。ゴリラだって難なく抜け出せるほどの大穴が、そこに空いていた。
「……どうして」
キシュリーが困惑したように声を震わせる。
彼女の目には、清らかな涙が浮かんでいた。
俺は自分の表情を見られるのが嫌だったので、「裸の王様」で透明化したまま、彼女へと告げる。
「ほら、あれだ。信じる者は救われる……っていうだろ? だぶんそういうことだ。知らんけど」
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