8話 悪魔パンツォロッソVS.ラップ魔法


 修道女たちの、きぬを裂くような悲鳴がこだまする。


 俺はパンツ一丁のまま、どうすれば良いかわからず茫然と立ち尽くしていた。


「おいカシス、ここってもしかして」

「ああ……『ヌドンド大聖堂』だ」

「やっぱり?」


 悪い予感が的中してしまったようだ。


 カシスが息も切れ切れに言う。


「パンイチ、逃げろ。すぐに魔法が使える神官か神父が出てくるはずだ。一斉に攻撃魔法を唱えられては、さすがのきさまも無事では済まんだろう」

「魔法、か……」


 魔法。


 それは「Many Money Online(メニーマネーオンライン)」においても存在したシステムだ。個々のプレイヤーに特有のスキルとは違い、魔法はMPマジックポイントを消費すれば誰でも使うことができる。


 だからといって威力が低いということはなく、むしろその使いやすさは下手なスキルを上回ると言ってもいいだろう。中には率先してMPマジックポイントのステータスを上げるプレイヤーもいたほどである。


 まぁ、俺はMP値がもとから低かったので、魔法とは縁がなかったのだが。


「…………」


 俺は、いま自分にできることを考える。


 「裸の王様」はまだ「時間切れ」が続いているらしく、使用することはできない。


 「すねかじり」は一対一の戦いにおいては有用だが、それで多くの人数を相手取ることはできないだろう。

 「穀潰し」は逃げるときに役立ちそうだが……


 いや、そもそも。


 俺がいまするべきなのは、戦うことや、逃げることじゃないはずだ。



「カシス」


 俺は腕の中の少女に向けて、言った。


「短いつきあいだったけど……楽しかったぜ。幸せになれよ」

「パンイチ?」


 カシスが、琥珀色の瞳で俺を見つめる。熱にさいなまれる彼女の視線が、揺れた。


 俺は最後に、彼女の栗色の髪を撫でる。



 そうして、大きく息を吸って――


 叫んだ。


「ふははははははッ! 我こそは、悪魔『パンツォロッソ』の化身けしん! 我のスキルによって、この少女に『感染』の状態異常をかけた! はやく治さなければ、こいつは死ぬぞォ!」


 俺の言葉に、大聖堂の中がざわめく。


「パンイチ⁉ なにを――むぐっ」


 カシスが驚きに声を張り上げるが、俺は彼女の口を手で塞いだ。


 そうしている間に、恐れおののく修道女たちをかき分けて、黒い修道服をまとった「神父」たちが姿をあらわす。


 彼らは「人質ひとじち」をとる俺を見て歯噛みすると、互いに顔を合わせて、言った。


「攻撃魔法では、あの少女を傷つけてしまう!」「捕縛ほばく系の魔法を使うぞ!」「おう!」


 神父たちは阿吽あうんの呼吸でなにやら奇妙な構えをとる。

そうして、一斉に魔法の「詠唱」をはじめた。


『『『邪悪じゃあく把握はあく、ダークなオーク、かがやくアークよ悪魔を縛れ‼』』』


 次の瞬間、彼らの手から円盤状の光が生まれ、俺のほうへと飛んできた。


 かわす間もなく、その光の輪が俺の体を縛りつける。


 手も、足も、完全に自由を奪われ――身動きがとれなくなった。


「今だ! 少女を救出しろ!」


 神父たちは、俺の動きを封じたあと、カシスへと駆け寄る。


「大丈夫か、お嬢さん!」「ほんとうに『感染』状態になっているじゃないか……! くそっ、悪魔め!」「薬草を持ってこい! はやく!」


 そのうちの一人がカシスを抱え、大聖堂の奥へと消えていく。


 去っていく背中を見送りながら、俺は内心で笑った。


 ――そうだ。これでいい。


 たとえ俺がカシスと共にここから逃げおおせたとしても、薬草を手に入れるまでにカシスが力尽きてしまう可能性があった。


 そうなるくらいなら、ここで教会の人間にカシスを治療させたほうがいい。そう考えて、俺はあえて「悪魔の化身」を演じたのだ。カシスを「悪魔の仲間」ではなく、「人質にされた罪のない少女」に見せかけるために。


 ともかく、これで俺の目的は達成された。

これから先のことは考えていない。


 煮るなり焼くなり、好きにしろ。



「……ほう。これはまた、清々しいまでの脱ぎっぷり。悪魔『パンツォロッソ』の化身というのは、あながち嘘ではないようだ」


 そのとき、大聖堂の入り口から、ひとりの老人が姿を現した。


 真っ白なひげと、真っ黒な修道服が印象的な神父だった。首には、神職であることを示す小さな三角形の装飾具アクセサリー。その出で立ちからは、気品と神聖さがにじみ出ている。


 周囲の人間が、次々とその男に道を開けた。どうやら、こいつはそうとうな大物らしい。


「はじめまして。私は大神官ジョージ・ゲオルグ。以後お見知りおきを、悪魔くん」


 俺は縛られて床に転がった姿勢のまま、大神官とやらを睨む。


 しかし、俺の視線を受けても、彼は穏やかな表情を崩さなかった。


「まぁ、私の名前などどうでもいい。――きみがこの教会に乗り込んできた目的は、なんだ? きみはなにゆえ、女神にそむくのかね?」

「女神……?」

「ああ」


 大神官ジョージは、大聖堂の奥に鎮座する純白の「女神像」のほうを見やる。


「知と愛と勇気と健康と恋愛成就と金運上昇の女神、マドレーヌ様だよ」

「いや欲張りすぎだろ……って、マドレーヌだと?」


 俺の脳裏に、あの金髪巨乳の女神がちらつく。


 この神父が言っている女神というのは、あのヤバいやつのことで間違いない。あんな、女子高生が手作りするお菓子みたいな名前をした女神なんて、ふたりと存在しないだろう。


 ……あれ、女神の数え方って、ひとり、ふたりで良かったっけ?


 まぁいいか、どっちにしろ――


「あんなやつを信仰してるなんて、あんたらのほうが邪教徒なんじゃねぇか?」


 俺の言葉に、大聖堂の中がざわつく。


 大神官ジョージも、さすがにその発言は看過かんかできなかったらしく、顔から穏やかな笑みを消した。


 その代わり、いやに真剣なまなざしで、彼は床に転がる俺を見下ろす。


「かわいそうに。女神マドレーヌの力と加護を信じられないとは、きみはこのモチィ……もち……モテュ……もちぴえ」

「ムリすんなよ」

「――『この世界』の中で最も不幸な存在だ。だから、私が女神の代理人としてきみを粛清してあげよう」

「だからと言って妥協しろとは言ってねぇ」


 大神官ジョージは、そこで両手を天にかかげる。


 彼は地の底に響くような低い声で、魔法の詠唱をはじめた。


『神のちからよ、天の御霊みたまよ、不届きやからよ、勝負はこっからよ』


 すると、彼の頭上に、一辺三メートルはあろうかという巨大な「光の正三角形」が出現した。


 三角形は、この世界における教会のシンボル。


 間違いない――これは聖属性魔法「ルクス・トライアングル」だ。


 「Many Money Online(メニーマネーオンライン)」においても存在した、上位の魔法。高レベルプレイヤーのみが使用できる、攻撃魔法だった。


「……やばいな」


 神々しいまでのその威容が、俺にプレッシャーを与える。


 やがて、極限まで肥大化した三角形が、俺を押し潰すべくゆっくりと落下してきた。


 両手足を縛られているため、俺は身動きがとれない。


「――――」


 どうすることも、できず。


 光に塗りつぶされた視界の中で、俺はふと考える。



「――なんで魔法の詠唱がラップなんだ?」


 爆音。


 世界が光に飲み込まれる。


 俺の意識は、そこで途切れた。


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