4話 なんか緑のでっかい人

 二メートルを軽々と超すほどの巨体。


 濁った緑色の肌に、獣の毛皮でできた腰巻き。


 手には「暴力」という言葉をそのまま形にしたかのような棍棒こんぼうが握られている。


 ――グリーンゴブリン。


 「Many Money Online(メニーマネーオンライン)」で、俺が初心者プレイヤーの頃、さんざん苦戦させられたモンスターである。


 「アヌーの森」は基本的に初心者向けのダンジョンだが、このグリーンゴブリンに限っては、ビギナーに優しくない仕様になっているのだ。


 高い耐久性と、規格外の攻撃力。そして、一度プレイヤーを「獲物」として認識すればどこまでも追ってくる執念深さ。そのどれもが、こいつを「アヌーの森」最強のモンスターたらしめているのだ。


「カシス、逃げろ! 一旦距離を置くぞ!」


 俺は恐怖に固まる盗賊少女へと叫ぶ。グリーンゴブリンは棍棒による近接攻撃しかしてこない。一定の距離を置けば、攻撃が当たることはないはず。


 しかし、カシスは動こうともせず、俺とグリーンゴブリンを交互に見つめたまま呆けている。まるで、俺の「逃げろ」という言葉の意味をはかりかねているように。


「おい、どうした!」

「こ……こいつは……」

「グリーンゴブリンだ! 危険なモンスターなんだよ!」

「こいつは、もしかして――」


 カシスは震える指でグリーンゴブリンを指さす。


「――きさまの仲間じゃないのか?」


 ……は?


 いま、なんて?


 この顔色が悪いブサイクモンスターが、俺の仲間だって?


「いや、だって、裸に腰巻き一丁だし……こいつも『裸族』の生き残りなのかなって……」

「違うわい!」


 俺がツッコむと同時、グリーンゴブリンが手にした棍棒を振り上げた。


 俺はとっさにカシスの体を抱きかかえて、その軌道上から逃れる。


 コンマ数秒前まで俺たちがいた位置に、棍棒が叩きつけられる。地面がえぐれ、大量の土が舞い上がった。


『TYAAAAAAASYUUUUUMEEEEEEEEN‼』


 獲物を逃したグリーンゴブリンが雄叫びをあげて追いかけてくる。


 やばい、完全に怒らせてしまった。


 俺はカシスを抱えたまま、グリーンゴブリンに背を向けて走り出した。

 腕の中のカシスが不思議そうな声をあげる。


「なぜあいつはあんなに怒っているのだ? パンイチ、きさまと同族扱いされたことに腹をたてているのか?」

「それについては、どっちかというと俺のほうが怒ってるけどな! ……ってか、なんで俺の『名前』がパンイチだって知ってるんだ? さっきはって自己紹介したはずなのに」

「ん? 妙なことを言うやつだ、名前くらいおまえの頭の上を見ればわかる」

「ああそうかその手があったかちくしょう!」


 そういえば、俺もカシスの名前をそうやって知ったんだった。


 これって俺以外の人間にも見えてるもんなのね。


 つまり俺は偽名を使うこともできず、これからずっと「パンイチ」という名前で生活しなければならないのだ。


 悲しいなぁ。


「ってか、今はそんなことどうでもいい! あいつ……グリーンゴブリンは、めちゃくちゃ執念深いんだ! このままじゃ、俺とあんたの両方がやられちまう!」


 幸いにも、グリーンゴブリンの足はそれほど速くない。


 敵から一定の距離をとったことを確認すると、俺はカシスを腕から降ろす。


「あいつは、俺が引き受ける。あんたは逃げろ。森の外まで行けば、さすがにもう追ってはこないはず。俺はそれまで、なんとかあいつの気を引いておく」


 カシスの肩に両手をあてて、俺は諭すように言う。


 ――本当のことを言えば、俺だって逃げ出したかった。


 だけど、こんな女の子を、これ以上危険に晒しておくわけにはいかないだろう。


 無職には無職の意地がある。


 ああ、今は無職関係なかったか?

 

「とにかくだ。俺なら(たぶん)大丈夫だから、あんたは――っておい⁉ どこに行くんだよ⁉」


 俺の言葉が終わらないうちに、カシスが走り出す。


 ――グリーンゴブリンのいる方向へと。


 彼女は走りながら、首だけを後ろに回して、言った。


「きさまには、一食の恩がある!」


 腰に下げた黒い巾着袋きんちゃくぶくろみたいなものから、彼女は数本のつまようじを取り出した。それを指の間に挟んで、敵との距離を測るようにステップを踏む。


「初めてだったよ! 誰かから、食い物を恵んでもらうことなど……! だから私は、きさまに不義理をはたらくわけにはいかん!」


 なんかすごい美談みたいになってるけど、あんたさっき「敵から食料を恵んでもらうのは屈辱」とか言ってなかったか? もしかしてあれは照れ隠し?


 ――いや、違うな。こいつはたぶん、その場のノリで発言しているんだ。そして、いまグリーンゴブリンに立ち向かおうとしているのも、たぶんその場のノリなんだろう。


「そんなもんで命を危険にさらしてどうする……っ!」


 次の瞬間、カシスの右手から四本のつまようじが射出された。


 それらはグリーンゴブリンの腹に当たると、ぶ厚い皮膚にはじき返される。


 やはりつまようじレベルの装備では、「アヌーの森」最強のグリーンゴブリンに傷をつけることなどできないようだ。


「おい、カシス! 目を狙え! さすがのソイツでも、目につまようじがぶっ刺さればダメージを食らうはずだ!」

「なに……っ⁉ そんなことをしたら痛そうだろう!」

「それを狙えって言ってんだよォ!」


 俺とカシスがコントをしている間にも、グリーンゴブリンは着々と歩を進める。



『HOY,KOOO,ROOOOOOOO‼』


 森全体がビリビリと震えるような叫び。


 驚いたツクツクボウシが一斉に飛び立ち、小便をグリーンゴブリンにかける。


『………………』


 緑の巨人は、小便に濡れた体でぷるぷると震え、



『WANTANSOOOOOOOOOOOOOOOUP‼』



 さらに一段と声を荒げるのであった。


「いや今のは俺ら関係ないからね⁉」


 そんな抗議も、相手が人外のモンスターでは通用しない。


 グリーンゴブリンはズシンズシンと足音をたてて、カシスへと迫る。


「くっ……⁉」


 迫る巨体に圧倒されるようにしてカシスが一歩あとずさる。


「きゃあっ⁉」


 だが、次の瞬間、その足が滑り、彼女は地面に倒れ伏した。


 よくこける奴だな、さっきも樹の上からすべり落ちてたし――なんてツッコミを入れる余裕はもちろんなく。俺がカシスへと手を伸ばすと同時に、巨大な棍棒が高く振り上げられた。


 引き延ばされ、スローモーションになった視界の中で、俺は必死に考える。


 なにか手はないか。なにか……!


「そうだ!」


 スキルだ。俺の持つスキルを使うんだ。


 そう考えた瞬間、俺の体は勝手に動きだしていた。


 地面を蹴って、ロケットみたいに飛び出す。グリーンゴブリンとの距離がまたたく間に縮まっていく。


「おおおおおおおおおおおっ‼」


 ありったけの叫びをあげて、俺はいままさに棍棒を振り下ろそうとした巨人の足に


『TYAAAHAAAAAAAAAAAAN⁉』


 グリーンゴブリンが呻き声をあげる。


 俺はただ無我夢中で、歯をたてて敵の足にかじりついていた。


 ――このまま、こいつの足を噛み砕いてやる!

 

 そう考える俺の視界の端で、なにかが光った。


「ひょへは(これは)……!」


 それは、俺の「スキル名」を記した文字列であった。この世界に来たときに確認したスキル名のうち、ひとつがまばゆく光っている。


 ――基本スキル「すねかじり」。


「ひょうふうひみひゃっひゃのひゃよ(そういう意味だったのかよ)……⁉」


 俺の困惑とは裏腹に、グリーンゴブリンが苦悶の声を漏らす。どうやら思っていた以上に、これは凶悪なスキルらしい。


 と、そこで、グリーンゴブリンが痛みに耐えかねたように棍棒を振り上げ、俺を撲殺ぼくさつしようとする。


 やばい。


 ダメージを与えられているからといって、調子に乗りすぎた。この体勢では、棍棒を避けることができない。


 ――ここまでか。俺の二度目の人生は、短かったなぁ。


 頭の中に走馬灯が浮かびあがる。


 ツクツクボウシ。

 つまようじ使いの少女。

 やたら中華料理の名前を叫ぶゴブリン。


 ――以上。


「ひやひゃふひゃひひひはふへっ⁉」


 俺の叫びも虚しく、棍棒が振り下ろされる。


 ミンチ確定。


 棍棒がぶつかる瞬間、俺は目をかたくつぶって――



 ドォン‼ という轟音が響いた。





 ……。


 …………。


 ……………………?


 あれ?


 俺、生きてる?


 

 いつまで経っても、体に痛みが走らない。いや、まさか、痛みを感じないほどに俺の体はぐちゃぐちゃにされてしまったのだろうか。


 そう考えて、おそるおそる目を開けたとき――


 俺は、見た。



 えぐられた地面。驚きに目を見開くグリーンゴブリン。尻もちをついた状態で茫然としているカシス。そして。


 



 棍棒が俺の体をすり抜けて、地面にぶつかった。その事実を認識するまでに、たっぷり五秒もかかった。



 そして俺は、目の当たりにする。


 視界の端の、とある文字列が新しく光を帯びていることを。


 それこそが、俺固有の特殊スキル――



 ――――「はだかの王様」。

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