3話 つまようじ使いのカシス


 その人物は、まさしく「盗賊」といったふうな見た目をしていた。


 全身を包む黒い布に、同じく真っ黒な覆面。その顔はよく見えなかったが、体格からしておそらく十代後半の女の子だと推測できる。


「…………」


 覆面の下の琥珀色こはくいろの瞳が、俺をじっと見下ろしていた。そこに宿る光は、感情を失ったように冷たい。


 次の瞬間――少女の手が動いた。


 俺はとっさに身をひるがえす。先ほどまで俺がいた位置に、数十本ものつまようじが深々と突き刺さった。


 見上げた先には、投擲とうてきをした姿勢で固まる盗賊少女の姿。


 ――間違いない。俺はあの少女に、狙われているのだ。


 そう悟った瞬間、俺の全身から冷や汗が噴き出す。


 なぜ彼女が俺を襲うのか、なんてことはどうでもよかった。ただ、本能的な恐怖から、俺は逃走をはじめる。


 背の高い草をかきわけ、太い木の根を踏み越えて、少女とは反対方向へと逃げる。



「……逃がさん」


 俺の背後から、少女の低い声が聞こえてきた、次の瞬間――


「はうんっ⁉」


 謎の悲鳴とともに、


 ドォン! という衝撃音が聞こえた。


 音に驚いたツクツクボウシが一斉に飛び立つ。それと同時に、盗賊少女の上にセミの小便がかけられた。


「は?」


 俺は振り返ったあと、その光景を目の当たりにして固まる。


 ――なんで、さっきまで樹の上にいた人間が地面で倒れてるんだ?


 頭上に特大のハテナマークを浮かべる俺の目の前で、「ぐぎゅるる」と腹の鳴る音がした。


軽く身じろぎしたあと、盗賊少女はゆっくりと体を起こして――


「きさま、許さん」


 その琥珀色の瞳で、俺を睨みつけるのであった。



   *



「なるほど。あんたはこの世界の住人で、盗賊をして生計を立てている……。しかしあまりにカネがないもんで、ほぼほぼ無料で手に入るつまようじくらいしか使える武器がない、と。――そんでもって、身ぐるみを剥がされた人間なら武器も持ってないし、自分でも襲えると思って、俺に攻撃してきた……そういう訳だな」


 覆面を脱いだ盗賊少女は、手にしたつまようじで「濁ったわらびもち」をかきこみながら、俺の言葉にうなずいた。


 彼女の素顔は、ちょっとしたアイドルくらいには目鼻立ちが整っていた。白い肌と、肩口で切りそろえられた栗色の髪が印象的だ。目つきが若干鋭いことを除けば、彼女はかなりの美少女だった。


 その頭上には、「カシス」という文字が浮かんでいた。おそらくそれが、彼女の名前なのだろう。


「おい、自分で渡しといてなんだが、大丈夫か? 『濁ったわらびもち』だぞ?」

「問題ない。標的に食料を恵んでもらう……などという屈辱をのぞけば」


 彼女はものすごい勢いでわらびもちを完食すると、水色の容器を地面に置いた。手のひらを合わせ、「ごちそうさま」みたいなジェスチャーをしたあと、カシスは俺に向き直る。


「そうだ。きさまの命を狙った私が言えることではないが……きさまこそ、だいじょうぶなのか? 身ぐるみを剥がされたうえに、なけなしの食料を敵に与えるなど」


 その言葉に、俺は口ごもる。

 だが、嘘を言ってもしかたなかったので、本当のことを告げることにした。


「あー……俺がパンツ一丁なのは、べつに身ぐるみを剥がされたわけじゃないんだ」

「なにっ⁉ その格好は趣味でやっているというのか……⁉ いったい何を考えている⁉」


 カシスが目を見開いて後ずさる。汚物を見るようなまなざしが俺に向けられた。


 だが、すぐに彼女は考え直すように指先をあごにあてて、


「いや、違うな。見たところ、きさまは『裸族らぞく』の生き残り。三百年前に魔王に滅ぼされた伝説の種族の末裔というわけか……!」

「否定するのがメンドいから、そういうことでいいよ」


 ツッコむのもなんか疲れるし。

 それに俺が「裸族」だということは、少なくともこの世界においては本当らしいからな。


「ってか、あんたの方こそなにを考えてたんだよ。俺が裸一貫はだかいっかんだから襲った、って言ってたけど……そんな奴からそれ以上なにを奪うつもりだったんだ?」

「ふふ」


 俺の質問に対し、カシスは不敵に笑ったあと、


「確かに……!」


 自分の失態に気がついたように目を見開いた。


「こんなパンツ一丁のやつを襲ったところで、パンツしか得られないではないか……! 私には『盗賊』スキルもなく、所持金を奪うこともできない。持っている資格といえば『つまようじ投げ三級』くらいだが……それもなんの役にも立たない……!」


 ガクリ、と膝をつくカシス。


 さっきから薄々と感じてはいたことだが……こいつ、もしかしてアホの子なのか?


 なんだよ、「つまようじ投げ三級」って。誰が認定するんだ。


「まぁ……最初はびびったけど、あんたが無害そうなやつで良かった」


 俺はため息をついて、彼女を見る。

 こんな奴でも、異世界で最初に会った人間だ。


 袖振り合うも他生たしょうの縁、なんて言葉があるが、この出会いは大切にしなければならないような気がした。


「カシス、でいいんだよな? 俺は小判こばん 一郎いちろう。バンイチって呼んでくれ」

「む」


 と、そこでカシスが怪訝な顔を見せた。


 呼び捨てにしたのがまずかったのだろうか……と俺は考えるが、彼女が気にしているのはそんなことではないらしい。


 カシスの視線は、俺の後ろに釘付けになっていた。


「ん?」


 俺はゆっくりと後ろを振り返る。


 次の瞬間――



『GYOOOOOOOOOOOZA‼』


 不快な雄叫びが、「アヌーの森」にこだまする。


 俺の後ろに立っていたのは――巨大な人型の怪物であった。


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