背中

 長い冬休みの後、ごく短い三学期が始まる。三学期が始まるとすぐに学年末がやってくる。深雪と風音にとっては高校生活最初の一年が、実咲にとっては中学生活最後の一年がもうすぐ終わろうとしていた。


 放課後、いつものように部室で機材を借り出し、撮影に出かける。深雪と風音は二人で、久しぶりに再会した学校のカメラを手に昇降口へ下りる。外へ出て別れ際に風音が声をかけてきた。


「ね、深雪。一応言っておくけどさ。実咲をチームに入れることにはリスクもあるよ。それ、わかってる?」


 深雪は風音の言葉からリスクという単語を拾い、風音の想定しているリスクとはどういうものだろうと考えてみた。


「リスク。本戦に出られなくなるかもしれないとかそういうリスクのこと?」深雪は聞いた。


「そんなのはたいしたことじゃないの。いつ病気が悪化するかわからないし、発作が起きるかもしれない。初戦のブロック別公開審査に耐えられないかもしれないし、本戦のプレッシャーに潰されちゃうかもしれない。」


 風音はそう言うと深雪の顔を見つめた。力のある目だった。


「それはつまり、」深雪は風音の言葉をほぐしながら一つ一つ理解し、ゆっくりと選んだ言葉を繋いだ。「これに参加することで実咲の病気が悪くなるかもしれないっていうことかな?」


「そう。それでも実咲はやりたいって言う。わたしたちも一緒にやるからにはちゃんと実咲に役割を持たせてしっかり三分の一として一緒にやる。病気だからいたわるとかいうのはなし。そういうのがきっと一番傷つけちゃうから。」


 深雪はようやく風音の言おうとしていることがわかってきたような気がした。


「わたしたちは後悔厳禁。もし一緒にやって実咲の病気が悪化しても絶対後悔したらだめ。誘わなければよかった、とかわたしたちが思っちゃったら実咲はほんとに絶望しちゃうから。言わなくても伝わっちゃうから思うことも禁止。」


「うん。」


 深雪は少しうつむいて答えた。このメンバーで本戦に出られなかったとして、それを後悔しないという自信はあった。でも実咲の病気が悪化してしまったら、わたしが誘ったせいだと、誘わなければよかったと思わずにいられるだろうか。思えば風音はいつだって自然だ。深雪に対しても実咲に対しても、澤木や小松沢に対しても、常にニュートラルな態度のように見える。自分はあんな風にできるのだろうか。


「別に難しくないよ。」下を向いている深雪に風音が言う。「普通にすればいいだけ。わたしに接してるのと同じように実咲にも接したらいいだけ。」


 深雪は顔を上げて風音の顔を見た。それが難しいんだよ、という言葉は口にしなかった。


「実咲は病気のせいで世界から切り離されていくって感じてるの。わたしと深雪は今実咲を世界に繋ぎとめてる。わたしたちは最後の二人になっても絶対実咲を切り離さない。それだけでいいのよ。」


 風音は鉄の意志のように宣言しておいて最後にそよ風のように微笑む。深雪はそれがおかしくて笑いをこぼした。


「風音、前にさ、」深雪は口を開いた。「写真をチームでやる意味がわかんないって言ってたじゃない? わかってないのはわたしの方だった。今わかったよ、三人で写甲に挑むことの意味。」


「あの時わたしが言ってたチームと今のわたしたちはぜんぜん違うけどね。今のわたしたちにはわたしたちだけの大きな意味があるよ。写甲に挑むことの大きな意味がね。」


「うん。」深雪の写真甲子園は、当初思っていたのとは全く違うものとして、大きく色濃く深雪の高校生活という画布キャンバスに筆を走らせようとしていた。


「さ、今日も撮りために行こう。わたしたちはもう高校生だからさ。今撮ってる写真も応募できるからね。雪景色は今のうちに撮っておこう。きっと実咲が入学してくるころにはこういう雪景色は撮れないよ。」


 風音はそう言うと足取りも軽やかに離れて行った。深雪はその背中を見送る。風音は振り返らない。深雪はその場にしゃがんでファインダーを覗き、出かける風音の背中をフレーミングした。すぐにカメラを九十度回転させて縦位置にする。雪の上に残された足跡とその先端を更新していく風音。風音を画面の上の方に置き、足跡を中心に据える。風音が作った道。シャッターを切ろうとして、違う、と思った。そのままカメラを煽る。足りない。ほとんど地面に寝そべるようにしてカメラを地表すれすれにする。風音の背中はどんどん遠ざかる。もう少し、歩いていく風音を下の方に配置し、その向こうに遠くの山。画面の上三分の二は空にしてシャッターを切る。風音の歩いてきた道よりも彼女がこれから進む先、そこに道はなくとも。シャッターを切った後もファインダー越しにしばらく風音の背中を見送ってから立ち上がった。


「わたしが追い続ける背中。きっとこれからもずっと。」


 深雪は小さくつぶやいた。

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