結束

「で、写真の話よ。」と風音が促す。


「そうそう。お父さんがあるときカメラを買ってくれたの。それが一番言いたかった話。」と実咲が微笑む。


 深雪は実咲の笑顔を見ると本当にほっとした。


 実咲は立ち上がり、コートと一緒にかけてあったカメラを持ってきてカウンターに置いた。


「これ。かわいいでしょ。」


 実咲がカウンターに置いたカメラは思ったよりも小さく、すっきりとしたシャープなデザインだった。持ったときに手の触れそうな部分が黒いレザー張りのようになっていて、それ以外の部分はシルバーだった。レンズもシルバーのものがついている。ボディの表面に「OLYMPUS PEN」と書いてあった。


「レトロでしょ。昔のカメラみたいだけど今のカメラなんだよ。」実咲は深雪の思っていることを見抜いたように言った。


「お父さんが何を思ってこのカメラをわたしにプレゼントしてくれたのかわからないんだけどさ。効果は絶大だったよ。」


 実咲は深雪の方にレンズを向けてファインダーを覗き込む。


「わたしさ、外に出るとみんながわたしを見てるような気がしてさ、それが怖くて外に出られなかったんだよね。でもファインダーを覗いてるとその目が気にならなくなるの。ここから世界を見てるのはわたしのほうで、世界がわたしを見てるわけじゃないって思える。だからカメラがあると外に出られた。それにね、写真を撮ってるときはテレパシーが聞こえなくなる。」とファインダーを覗いたまま実咲が言う。


 その時の実咲の喜びが染みるように伝わってきて、深雪は嬉しくなった。思わず顔がほころんだ。カシャッという音がした。実咲がシャッターを切ったのだということに深雪は一瞬遅れて気づいた。実咲はファインダーから離れて深雪に微笑んだ。


「学校へは行けない日が続いたけど、写真を撮りに外へ出ることはできるようになった。写真を通じてならまた世界と繋がれる気がしたからフォレストを始めてみたんだ。言葉を何も書かずに写真だけをアップしてるんだけどね。たまにいいねがついたりすると誰かが見てくれてると思える。それはわたしにとってさ、世界と繋がってるってことなんだ。」


 実咲は手元のカメラを見つめながらそう言うと顔を上げ、深雪に向かって「まさかわたしのアップした写真に写ってるのが風音ってわかってこうして友達になれるなんて思ってもみなかったけどね。こうして深雪に会えただけでもフォレストやっててよかったと思う。」と続けた。


「それでそうやって写真を撮ってたら風音に会ったの。中二の秋ぐらいだったかな。」


 実咲はそう言うと今度は風音の方を見る。風音は涼しい顔でコーヒーを飲んでいる。


「わかる。実咲がどこかでファインダーを覗いてたら風音が声をかけてきたんでしょ。」深雪が言うと実咲は「そう。」と言って深雪と目を合わせた。


「単焦点から世界を見てる人とは仲良くなれる。」


 深雪と実咲はお互いの目を見ながらほとんど同時に言った。風音は表情をどこかに落っことしたような顔をした。


 澤木がカウンターの向こうで大笑いした。後を追うように深雪と実咲も笑った。風音は「なんだよ。」と膨れて見せてから笑い出した。


「お父さんがこのカメラをくれたときにこのレンズがついてたんだよね。」と実咲はカメラを見せる。「これは50ミリ。わたしレンズのこととかよく知らなかったんだけどね。このレンズをつけてくれたお父さんにすごく感謝したよ。おかげで風音に会えたから。」


 実咲はそう言って微笑んだ。風音はきまり悪そうな顔をしていた。


「そっか。わたしも写真部の先生に感謝してるんだ。その先生にさ、半年は50ミリ一本でやれって言われてさ。それで写真撮ってたら風音が興味持ってくれたんだ。」


 深雪も言った。


「とにかく、単焦点で友達を選べば失敗しないのよ。」


 風音の言っていることはハチャメチャだけれど、単焦点がつないだ出会いは本当に素敵だと深雪は思った。


「ね、実咲。」深雪は実咲の方を向いた。「一緒に写甲やらない? 写真甲子園。」


「深雪もいきなりだね。」と反応したのは風音だった。


「わたしまだ中三だよ。」と実咲も言う。


「知ってる。だから四月には高一でしょ。」


「深雪らしくなってきた。」と風音が笑いながら口を挟んだ。


「写甲の初戦って五月に締め切りがあるんだよ。四月に入学した一年生が出るのはかなり大変なんだよね。だから今からやろう。」


 深雪は拳を握りしめながら言った。久しぶりに力が入っていた。思えば春にはこの勢いで学校中を駆け回って勧誘しまくっていたのだ。そして締めきりが流れ、本戦を横目に見ながらただただ焦燥感を厚塗りしてきた。それが風音という親友を得て大きく前進し、今実咲という新たな友を得て現実味を帯びてきた。今年こそは諦めたくない。


 深雪は熱のこもった両手で実咲の手を包み込んだ。


「ね、一緒にやろう。風音とわたしと実咲、三人でさ。本戦目指そう。」


 実咲の表情が曇る。


「やりたいよ。わたしも一緒にやりたい。でもわたしこんなだからさ。迷惑かけるかもしれないよ。」


 実咲はコーヒーを見つめながら言った。


「迷惑?」深雪は聞き返した。「迷惑かけなよ、わたしに。わたしなんて学校中で迷惑なやつって言われてるよ。風音にも迷惑かけてるし。実咲にもこれからかけるよ、迷惑。」


 実咲は驚いて深雪を見た。


「単焦点がつないだ絆だよ。単焦点一本でモノクロ、それで組写真を作る。わたしたち三人で。」


「ね、面白いでしょ深雪って。」風音が実咲に言う。澤木がカウンターの向こうでニヤニヤしている。


「写甲の規定にさ、高校に入学してから撮った作品じゃないとだめっていうのがあるんだよ。だから応募作品を撮るのは入学してから。でも三人で写真に取り組むのは今からやろ。」


 深雪は構わず続けた。


「わたしも一緒にやりたい。三人でやってみたい。でもまだ入学もしてないよ。入試だってまだだし。受からなかったらどうしよう。」


 実咲がうつむくと風音が実咲の肩をぽんと叩く。


「受からなかったらどうするかなんて受からなかった時に考えればいいじゃない。受からなかったらその時はほかにもいろいろ悩まないといけないんだから。そんなこと今から悩む必要ないわよ。」


「実咲、北町高受からない感じ?」深雪がおそるおそる聞くと、風音がそれに答えた。


「あのね、深雪やわたしよりも一番受かりそうな感じ。幸い北海道は内申で出席日数を重視しないからさ。実咲は中二の前半はかなり欠席してたけど、冬からはけっこう学校行ってるしね。成績はすごくいい。ほとんど心配ないはず。」


「今のところはね。もともと成績は割とよかったから今のところついていけてる。でもたぶん高校に入ったらどんどん落ちこぼれると思うよ。病気で集中力が続かないから勉強も遅れていくみたいなんだよね。」


 実咲は穏やかにそう言った。実咲の不安はあまりにも重く、深雪はなんと言えば励ますことができるのかわからなかった。簡単に友達と言ったけれど、実咲の支えになれる自信はなかった。


「高校に入ったあとはさ、自分のペースでやればいいんじゃない? 確かにテストの点数は取れなくなるかもしれないけどさ。大事なのはテストでいい点を取ることじゃなくてちゃんと理解することよ。遅れることを気に病む必要はないのよ。前を行ってるように見える人たちだってほとんどはちゃんと理解できてるわけじゃないんだから。」


 風音は実に風音らしいことを言った。それは実咲を励ますために選んだ言葉ではなく、風音自身が日ごろから信じていることだろうと深雪は思った。


「そうと決まれば今日から一緒にやろう。デジタルカメラ、APSサイズCCDの50ミリ。これは写甲の本戦仕様に近い条件。モノクロ、シャッターは一日二十四回まで。それで写真を撮る。」と深雪は人差し指を立てながら言った。


「でも写甲ってさ、初戦は制限ないんでしょ。アナログで応募しても良かったんじゃない?」


 実咲が聞いた。

 

 深雪はそれをすっかり忘れていた。初戦から本戦と同程度の機材で撮影しようと言い出したのは風音だったはずだ。普段アナログで自家現像をやっているような風音が自分の武器を捨てて挑戦すると言い出したのだ。深雪は風音を信頼しきっていたので、なぜそういう選択をしたのかまだ聞いていなかった。


「それはわたしの都合。」と風音が言う。「わたしさ、普段ハッセルでしょ。だから普段のまま応募して仮に本戦に通ってもね、本戦で戦える気がしないのよ。それに深雪がさ、ほとんど初心者でしょ。だから最初から本戦の規定に近い状態で一緒に練習したほうがいいと思ったの。」


「そういう意味ではさ、」風音はコーヒーのカップを手に取り、すぐにテーブルに戻して続けた。「実咲が一番ベテランとも言えるよね。ずっとAPSデジタルの50ミリで撮り続けてるわけだから。」


「そうかも。わたし病気のせいもあって集中力が続かないからさ。もともと一日十カットとかそのぐらいしか撮ってないんだよね。だから逆にたくさん撮って練習するぞ、って言われちゃうと無理かもしれないけど、少なくしろって言われる分には大丈夫だよ。」と実咲が言う。


「すごいなあ。わたしなんかだめもとでとりあえずシャッター切ってたからさ。ああでもないこうでもないってシャッター押しまくってやっと一枚が決まる。みたいな。シャッター二十四回じゃ一カットしか撮れないよ、って感じだったよ。」深雪が言うと風音が笑う。


「あのね、ヘタな鉄砲数撃ちゃ当たるって言うじゃない? あれだいたい当てはまらないからね。ヘタなものをいくら撃ちまくってもたいがい外れるの。そもそも数撃ちまくる人はどこに的があるかもわかってないから。外れてもどのぐらい外れたのかわからないから軌道修正もできないのよ。撃ちまくるのをやめるとまず的を探すようになるでしょ。的が見えてても撃ったら外れることはあるけどさ。そうやって外れるのとどこを狙ってるかもわからないのではえらい違いなのよ。」


 風音の説明を聞いて深雪は感心した。澤木も深く頷いていた。


「なるほど。数を制限することで見えることがあるっていうことだよね。」


 深雪がつぶやくと風音は何度も頷いた。


「なんでもできることとなんにもできないことは紙一重。」


 実咲が独り言のようにつぶやいた。深雪が見つめると、実咲は「お父さんがよく言ってるんだ。」と補足した。


 なんでもできるように見える麻夕。器用貧乏だという澤木。なんでもできることと何もできないことは紙一重。深雪の中に完成形のわからないパズルのように断片が散らばった。


「そう。制限なし、なんでもあり、って言われるとどうしていいかわからなくなる。だから自分たちで制限を設ける。制限があるとその中でどうやろうかっていう工夫が生まれるの。制約のないところに工夫は生まれにくいよ。工夫する必要がないからね。」と風音が言う。


「話がまとまってきたところで、こんな感じのもので乾杯というのはいかが?」と言いながら澤木が三人の前に新たなカップを出した。ココアだった。深雪が話に夢中になっている間に、いつの間にかコーヒーのカップは下げられ、あたりにはココアの甘い香りが漂っていた。


「東川ドリームチームに乾杯。」と澤木が言う。


「乾杯。行くぞ、本戦。」


 深雪も掛け声を放ち、三人はココアで乾杯をした。

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