最終話 誰のものでもない未来を僕たちは(5)


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 僕とおりは同じ団地に住むおさなじみである。

 三月十一日、金曜日。

 夕食後に、遠征から帰宅したとのメールを伊織から受信し、せんじきで会うことになった。

 三月の新潟はまだまだ寒い。頰をぜる川風が冷たかった。

「時差ボケもあるだろ? 疲れているだろうなって思ったんだけど、元気そうだね」

「何か未だにこの二ヵ月のことが全部噓みたいでさ。脳が興奮しているからかな。最近、疲れたとかって実感がほとんどないんだよ」

「相変わらずタフだね。ネットで国際ユース大会の記事を読んだよ。びっくりした。伊織、キャプテンマークを巻いてなかった? 遠征メンバーってほとんどが年上だったよね」

 今年度の集大成として、欧州遠征のメンバーに選出されたのは十八名だった。その内、二年生以下の選手は伊織とかえでを含む三人であり、残りの十五名は全員が一学年上である。それにも関わらず、僕が見た試合の写真では、どれも伊織がキャプテンマークを巻いていた。

「あー。まあ、色々とあったんだよ」

 疲れたような顔で伊織は苦笑いを浮かべる。

「遠征でも監督が指名した正GKゴールキーパーは、ずっと楓だったんだ。でも、あいつのふざけた態度は何処に行っても変わらねえのな。周りは年上ばっかりなのに、しかも、別に打ち解けてもいないのに、マジで遠慮とかしねえの」

「想像出来る気がする」

「お調子者の三年生がいて、合宿が始まってすぐにさくらざわななのことで楓をからかったんだよ。そしたら楓の馬鹿、一瞬でぶち切れて、首をめてその人のことを泣かしちゃったの。で、俺はその場にいなかったんだけど、結構な数の選手が目撃しててさ。皆、びびっちゃったってわけ。あいつ、あんな見た目だろ? 茶髪だし、目つきも口も悪いし、背が高い上に人見知りであいそうじゃん。いきなりアンタッチャブルな存在になったんだよ」

 何て集団競技に不適合な奴なんだろう……。

「だけど、練習でも試合でも連携を取らないわけにはいかねえだろ。必然的に俺ばっかり指示を出すようになって、しまいには監督まで楓に伝えたいことを俺に言ってくるようになったわけ。あいつは人の話に耳を貸さないから、お前が伝えてくれとかって言って」

「災難だったね。心から同情するよ」

「分かってくれるか? しかもさ、楓は楓で孤立してるから、困ったことがあると逆切れして俺に文句を言ってくるんだよ。あいつ、ろくに指示を聞いてねえからさ。マジで海外に行ってる間は、四六時中あいつのおもりだぜ。で、欧州遠征ではキャプテンを選手の投票で決めることになったんだけど、結果、ああいうことになったってわけ」

 さかきばらかえでの問題児っぷりは、僕が誰よりも理解している。伊織も苦労したことだろう。

「ま、でも、サッカーは本当に楽しかったよ」

 伊織はとげのない表情で笑って見せる。

「やっぱ海外の選手は凄かった。選抜合宿のレベルの高さにも驚いたけど、日本じゃ、ほとんど体格で負けることもねえしな。パワー勝負だけじゃどうにもならない戦いってのは、やっぱり良い経験になった。本当、貴重な機会がもらえて感謝してるよ」

「そんなに有意義だったのなら、日本に帰って来たくなかったんじゃない?」

「まさか。そんなことあるわけねえよ。離れたら離れた分だけ思い出すこともある。違う色の空の下に立って、俺はのことばかり思い出してた。会いてえなって、あいつとこの空を見たかったなって、そんなことをよく考えてた。片想いのくせにな。笑っても良いぜ」

「笑わないよ。そういうところ、尊敬することはあっても笑うことはない」

「良い奴だな、お前は。最近、新潟を離れる機会が沢山あったからかな。夜になる度に、華代のことを思い出してばかりだった。どんな街にいたって、一日の終わりには、あいつのことばかり考えちまう。結局、それが好きってことなんだろうな」

「……その人のことばかり思い出してしまうのが、好きってこと?」

「少なくとも俺にとっては」

「……そっか。そういうこと……なのかな」

 思わず唇から零れてしまった言葉に、伊織が反応を見せる。

「何だよ。もしかして、お前も誰かをよく思い出すようになったのか?」

 少しだけ考えた後で、あいまいに頷く。

「おい! マジかよ!」

 伊織は表情を変えて、僕の肩を激しく揺さぶってきた。

「誰? つーか、どっち?」

「いや、まだ、いまいち分かってないんだけど……」

「いまいちでも何でも良いよ。どっちだ? お前が誰を選ぶかで、俺とけいろうさんの未来は変わるんだからな。華代か? さんか? つーか、真扶由さんだよな? 華代だと、マジで勝ち目がねえんだけど」

「そんなこと分からないだろ。あの選手権から、華代は伊織のことをもっと認めるようになったと思うよ。準決勝の同点ゴールが決まった瞬間の顔だって覚えてるだろ?」

 あの試合、どうやら先生をずっと追っていたカメラがあったらしく、伊織のゴールに歓喜して先生に抱きついた華代の姿が、様々なスポーツニュースで何度も流されていた。ハイライトVTRにも必ず使われており、目立つのが嫌いな華代は無駄に落ち込んでいる。

「それは別に俺の評価と関係ないだろ。あれはチームのゴールだ。俺のがらじゃない」

 そんなことはない。伊織一人の力じゃないのは事実だが、あの瞬間に、CBセンターバツクのポジションから迷わず最前線まで走り込める選手なんて、世界中を探したって、ほんの一握りだ。

 あれは伊織じゃなければ決められないゴールだった。皆、そう分かっている。

 だけど、伊織はチームのゴールだと断定する。そういうところが伊織の強さなのだ。

「話をらすなよ。誰? 思い出すのってどっち?」

「言わないよ。自分でもよく分かってないんだ」

「お前、そこまで言っておいて!」

「思い出す人がいるって言っただけだろ。好きとか嫌いとかは本当によく分からない」

 もう伊織は僕のしやくめいなど聞いていなかった。現実逃避でもするように、足下の雑草を川風に向かって投げつけ、風にあおられて戻された雑草を口に入れて自爆でむせていた。

 試合が始まれば誰よりも頼りになるのに、今日も伊織は、まるで子どものようだった。


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