最終話 誰のものでもない未来を僕たちは(2)ー2


 まだ真扶由さんの話を聞いていない。

 一台、バスを見送ってから、

「ごめん。気付いたら、またサッカーの話ばかりしてる」

 謝罪の言葉を告げると、首を激しく横に振られた。

「ううん。優雅君の話は何でも楽しいよ。もっと聞いていたいって思う。それに、私の話もサッカーの話って言えば、サッカーの話だから」

 そう言って、真扶由さんが通学かばんから取り出したのは、隔週で発売されているサッカー雑誌だった。表紙にはブンデスリーガで活躍している日本代表選手が大きく写っている。

「昨日発売の最新号なんだけどね」

 せんが貼られていたページを彼女が開くと……。

 カラーページに見開きで、たかつきりようのインタビューが掲載されていた。

 世怜奈先生の恩師で、会話どころか視線すら交わしたことのない実の父親。

 準決勝で敗退した僕らは、翌日の日曜日に旅館を引き払って新潟に戻っている。世怜奈先生は恩師と戦うという夢を叶えられなかったのだ。

「結局、大会でお父さんとは……」

「会ってないよ。準決勝が始まる前に会場内で遠くに見かけたけど、それだけかな」


 一月十一日、成人の日の月曜日に埼玉スタジアムでおこなわれた決勝戦。

 勝利したのは、高槻涼雅率いる無名のチーム、あおもりいちじようだった。

 あの翔督を破り、市条は初出場にして選手権の頂点に立つという快挙を成し遂げている。

 レッドスワンが準決勝で敗退していたため、大きなトラブルは起きないと判断されたのか、例年通り、閉会式には応援マネージャーのさくらざわななも参列していた。

 厳戒態勢の中、最後までコメントを発しなかった彼女の心中は、僕には分からない。

 激情も、もうしゆうも、すべてを嚙み殺して中継に映る彼女は、無表情、無感動を貫いていた。

 あの日、仮に決勝まで勝ち進んでいたとしても、レッドスワンはまんしんそうだった。

 累積警告で出場停止のおにたけ先輩。負傷してしまったづき先輩、楓、常陸ひたちひろおみ。五人のレギュラーを欠く事態は避けられなかった。世怜奈先生は決勝戦に勝ち進めていたとしたら、どんな采配を振ったんだろう。仮定の話なんて、今更、どんな意味も持たないけれど……。

 真扶由さんや華代だけじゃない。両チームが勝ち進む過程で、楓も市条の監督が僕の父親ではないかと気付いていた。しかし、三人が気付けたのは僕の家庭環境を知っていたからだ。

 同じ『高槻』の名字を持つ僕らが親子であることに勘付いたマスコミはいない。

 当の高槻涼雅が、僕の存在に気付いているのかも分からない。

「この雑誌をプレゼントすることに他意はないの。インタビューでもサッカーのことしか語られていない。ただ、高校サッカーを特集する雑誌ならともかく、このインタビューには優雅君も気付けていないんじゃないかなって思ったから、教えたくて」

 僕の感情を推し量りかねているのだろう。

 真扶由さんは不安そうに告げたが、僕も自分の感情がよく分かっていなかった。

「うん。読んでみるよ。どんな人なのか、まあ、気になることは気になるしね。教えてくれて、ありがとう」

「良かった。嫌な想いをさせてしまったらどうしようって、ちょっと心配だったの」

 彼女はとても優しい人だ。

 本当に善良で、誠実な人だと思う。

「……真扶由さん」

「何?」

 さんかんおんの日々が続く三月、ここ数日はまた寒さがぶり返している。

「準決勝は最後まで見てくれたんだよね」

「うん。緊張のし過ぎで心臓が壊れるかと思っちゃった」

「……けいろうさん、凄かったでしょ?」

 彼女を想う親友の名前を口にすると、困ったような顔で微笑まれた。

「そうだね。私は素人だけど、圭士朗さんがいなければ接戦にはならなかったのかなって思った。どうして一人だけ、あんなに何度もボールを奪えるんだろうって不思議だったよ。敵に囲まれてもミスをしないし、きっと、皆に頼りにされているんだろうなって」

「大会の後で圭士朗さんとは喋った?」

 真扶由さんは首を横に振る。

「ううん。会ってないから。……校舎が違うと会う機会もないの」

 圭士朗さんは理系、僕らは文系だ。二人は小学校時代からのおさなじみだというが、偶然、顔を合わせるほど近くに住んでいるわけでもない。

「僕がこんなことを言うべきじゃないのかもしれないけど、一つ、お願いしても良いかな」

 胸に右手を当ててから……。

「もしも嫌じゃなかったら、今の話を本人に伝えて欲しい」

 彼女のしんな眼差しに見つめられていた。

「圭士朗さんのことは監督も、チームメイトも、全員が認めている。サッカーをかじっている人間なら、誰が見たってレッドスワンを動かしているのが圭士朗さんだって分かる。でもさ、多分、圭士朗さんが一番認めて欲しいのは真扶由さんなんだよね。誰かのために戦っているわけじゃなくても、きっと、真扶由さんに認めて欲しいと思っていたはずだ」

 真扶由さんが好きなのは僕であり、圭士朗さんは彼女が振った男だ。

 言葉では説明出来ない類の複雑な感情をお互いに抱きながら、それでも……。

「それって、もしかして、そういう意味かな?」

 真扶由さんの問いに対し、

「うん。ごめん。そういうことだと思う」

 僕は、確信もないまま、そう答えた。

「謝らないで。何となく、そうかなって思っていたことだから。覚悟はしていた」

「ごめん。本当に……」

「ううん。良いの。じゃあ、今度、圭士朗さんに会ったら、伝えてみるね」

 一度、宙を見つめてから、真扶由さんは僕に微笑んだ。

 こんな時でも笑って見せる。彼女は、そういう人だった。


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