最終話 誰のものでもない未来を僕たちは(2)ー1


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 三月になり随分と日も長くなった。

 居残り練習まで見守り、帰宅のために向かったバス停の待合室で、予期せぬ顔を見つける。

 見慣れたマフラーを首に巻いて、文庫本に目を落としていたのはさんだった。

 彼女はバス通学の生徒ではない。何か話したいことでもあって待っていたのだろうか。

 僕に気付き、小説から顔を上げた彼女の頰にわずかなしゆが差す。

ゆう君。部活動、お疲れ様。今日も遅くまで練習していたんだね」

「どうしたの? 用があったならメールをくれたら良かったのに」

「そうしようかとも思ったんだけどね。今日で三年生は卒業でしょ? もしかしたら送別会なんかがあるかもしれないなって思ったの。急ぐ話でもなかったから、もしも会えるならで良いやって思って」

 それで、ここで待っていたということか。相変わらず遠慮ばかりしている人だった。

「一応、送り出し的な時間はあったんだけど、先輩たち、明日からも練習に出てくるんだよね。結局、今日も最後まで練習に参加していたし」

「そうなんだ。やっぱり皆、サッカーが本当に大好きなんだね。あ、そうだ。今日、気付いたんだけど、音楽室の窓から覗いたら、ジャージを着た女の子が二人見えたの。もしかしてのほかにもマネージャーが入った?」

「あ、気付いた? あれ、かえでの妹だよ」

「楓君ってGKゴールキーパーの彼だよね? 妹がいたんだ。一年生?」

「ううん。中学三年生。四月から赤羽の生徒になるんだけど、前からマネージャーになりたいって言ってて、入試が終わってから顔を出してるんだよね。とにかく仕事が正確でさ。先生が気に入っちゃって、制服より先にチームジャージを作ってた」

 強豪の運動部では、合格が決まった中学生が入学前から練習に参加することも珍しくはない。僕らの学年では、推薦組の三馬鹿トリオは二月から練習に加わっていたはずだし、今年も既に数名が練習に参加している。しかし、あずさちゃん本人が希望したこととはいえ、マネージャー志望の生徒が、入学前から隊列に加わるなんて異例だろう。

「レッドスワンの観客席でゴスロリの格好をしている女の子、見たことない?」

「……ある! いつもいるよね。あの色白で、びっくりするくらい細い子でしょ? 童顔だなって思っていたけど、あの子、楓君の妹だったのか。似てないね」

「初日は大変だったんだよ。楓、妹をできあいしているからさ。妹が紹介された瞬間に、『梓を好きになった奴はぼくさつ。連絡先を交換した奴はやくさつ。十秒以上喋った奴はざんさつ』とかって宣言してさ。多分、あれ本気で言ってたんじゃないかな」

 彼女が部員とまともに喋れるようになったのは、楓がいなくなった先週からだった。

「そっか。華代も一人じゃなくなったんだね。あ、でも、来年のマネージャーは、もっと増えそう。ネットで話題になった優雅君もいるし、やっぱり、あの全国大会を見て、おり君のファンになった女の子は数え切れないくらいにいると思うもの」

 高校選手権、翔督との激闘は、テレビでの県内視聴率が五十パーセントを超えたと聞く。

 あの日以来、伊織は頻繁に人々に声をかけられるようになった。身長百九十二センチの身体は隠せない。バスに乗っていても、街を歩いていても、すぐに見つかってしまう。

「伊織君が日本に帰って来るのって、いつなの?」

「金曜日。明後日かな」

「そしたら、きっと色んな話を聞かせてもらえるね」


 二ヵ月前、今でも夢に見るあの日の準決勝。

 予期せぬアクシデントにより主力を次々と失い、絶命寸前にまで追い込まれたレッドスワンは、たった九人でインターハイ王者を相手にタイムアップ寸前で追いついた。

 迎えた運命のPK戦。

 八人目のキッカーまでもつれた大激戦の末に、勝利したのは翔督だった。

 県勢初の全国大会決勝進出という夢を、レッドスワンは叶えることが出来なかったのだ。

 それでも、勝敗が決した後で、僕らに送られたのは惜しみない拍手と称賛だった。

 大会前から最大の注目を浴び、好奇心も、批判も、一身に浴びたレッドスワンの四試合にわたる冒険は、確かなせきと共に人々の記憶に刻まれた。


「夜に高校選手権の特番が放送されるでしょ? 試合後のロッカールームが映されるのかなって思って、見てみたんだけど……」

「大会期間中の取材は、世怜奈先生がすべて拒否していたんだ。だから、準決勝も、それ以外の試合でも、レッドスワンの控室にはカメラが入っていなかった」

 注目校ということもあり、何度もこんがんを受けたが、世怜奈先生は決して折れなかった。

「マスコミはグッドルーザーの涙を放送したかったのかもしれないけどね。そもそも泣いている選手はいなかったかな。皆、敗戦の悔しさより、やり切ったって感覚の方が強かったみたい。試合後に一番悔しがっていたのは先生だった」

「それは、ちょっと意外な話だね」

「緊張すると身体が動かなくなるから、ほとんどのキッカーはPK戦で蹴る方向を事前に決められていたんだ。GKがセーブのために飛ぶ方向も同じ。それで先生は負けたのは自分のせいだって言って、皆に何度も謝っていた。PK戦の敗戦なんて、本当は誰のせいでもないんだけどね」


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