第六話 赤白鳥の奏鳴(5)ー3


「お前の未来に比べれば、どうでも良い話だ」

「どうでも良いだと?」

「今、ピッチを去ったら、お前は後悔するかもしれない。交代させた監督を恨むかもしれない。でもな、ここでプレーを続けたら、一生、サッカーを出来なくなるかもしれないんだぞ!」

「そんなことにはならねえよ! 俺をぼんじんどもと一緒にするな! 大体、ここは準決勝だ! こんなところにはもう二度と……」

「来れるに決まってるだろ! 何で僕が信じているのに、お前が信じてないんだよ! ナンバーワンGKになるって誓ったじゃないか! こんな場所、通過点に過ぎない! 先輩たちにとってはこれが最後の大会だ。だけど、ここで負けても誰もお前を恨んだりはしない。もしも先輩たちが怒るとしたら、それはお前が馬鹿な決断を下して、サッカーを失った時だけだ!」

 鬼武先輩が優しく楓の背中に手を添える。

 続けて、その両肩にづき先輩ともりこし先輩も手を置いた。

「そういうことだ。分かったら、ゆっくり休んでろ」

「ま、今日まで勝てたのは楓のお陰だしな。お前は目立ち過ぎだ。そろそろ主役を代われよ」

「楓、お前の覚悟はちゃんと受け取った。後は任せろ」

 三人の先輩たちに背中を押された楓の腕を摑み、フィールドの外へと引っ張っていく。

 テーピングを巻いた楓の側頭部は、既に真っ赤に染まっていた。脳震盪を起こしただけじゃない。これだけの出血をしているのだ。まともに戦えるわけがない。

 仲間たちに背を向けてフィールドを後にする楓に、会場中から大きな拍手が送られていた。

 圧倒的な戦力差がある中で、レッドスワンが八十分以上、こたえられたのは、守護神の楓がいたからだ。誰が見たって、そんなことは一目瞭然だった。

 顔をぐしゃぐしゃに歪め、隣を歩く楓はとめどない涙を流す。

 握り締めた拳の震えが雄弁に語っていた。仲間の声を受け、引き下がることを決めたとはいえ、この交代を納得したわけじゃない。戦場を離れることがどうしようもなく悔しい。感情のやり場がないほどにない。身を切られるほどに情けない。

 泣きながらフィールドを後にした楓をハグしてから、央二朗がフィールドに駆けていった。


 自陣ゴールに向かおうとした央二朗の肩を、伊織が強く抱き寄せる。

「フィールドに入った以上、楓の代わりだなんて思うな。お前の力が必要とされたから、ここにいるんだ。央二朗、お前ならやれる! 背中は預けたからな!」

 伊織の檄を受け、気合いを入れるように吠えてから、央二朗はゴールへと走って行った。

 早生まれの彼はまだ十五歳、高校一年生のGKである。しかし、毎日、楓と同じメニューをこなし、必死になってトレーニングを続けてきた選手だ。

 インターハイ予選では楓の骨折を受け、きゆうきよ、県総体からゴールマウスを守っている。長潟ながた工業の汚いシミュレーションにあざむかれ、退場したこともある。怪我人でバランスを失った守備陣の最後尾で、強豪校の矢面に立たされ続けたこともある。榊原楓という絶対的な守護神がいるせいで、アクシデントでもない限り公式戦には出場しないが、世怜奈先生はセカンドキーパーの彼にも、練習試合では楓とほとんど変わらない出場機会を与えている。

 央二朗はもうインターハイ予選の時のような頼りない男じゃない。

 榊原楓という天才と比較されながら、それでも、毎日、楓の動きを見て盗めるだけ盗み、必死にくらいついてきたのだ。


 フィールドプレイヤーが一人減るというのは大きなハンデとなる。

 ただでさえ圧倒的に押されている展開だ。あっという間にフリーの選手を中盤で作られ、混乱しただかと森越先輩が同時に飛び出したところで、裏を綺麗に狙われてしまった。

 ぽっかりと空いたスペースに飛び込んだざきにスルーパスが通り、GKとの一対一が生まれる。楓と央二朗では身長が十センチ以上違う。これまでが噓のように、ゴールマウスが大きく見えた。

 GKの位置を見てから、江崎は強烈なシュートをゴールの隅にめがけて蹴り込む。

 GKが交代しただけで、こんなにもあっさりと先制点が生まれてしまう。

 会場中の誰もがそう思った次の瞬間……。

 信じられない反応速度で右足を投げ出した央二朗が、爪先でボールを弾いていた。

「後でさっきの言葉を謝っておけよ」

 ふてぶてしい態度でベンチに座る楓に告げる。

「央二朗はお前に憧れて、少しでも追いつこうと毎日必死なんだ」

「……あんなシュート、俺ならキャッチしてるぜ」

 うそぶく楓の顔に、いつの間にか真剣な眼差しが戻っていた。

「一人で戦っているわけじゃない。十一人だけで戦っているわけでもない」

 僕も、楓も、子どもの頃からそれぞれのチームで、ずっとエースだった。

 頼られるのが当たり前だったし、信頼なんて努力で勝ち得るものですらなかった。

 しかし、今、僕らは共に、こうしてベンチから戦況を見守ることしか出来ない。

「僕はレッドスワンの仲間を誇りに思っているよ。お前だってそうだろ?」

 楓からの答えは返ってこない。

 いつも、何を諭したって言い返してくる楓が、何一つ反論をしてこなかった。

 試合は最終盤を迎えている。

 後半三十九分、加賀翔督との準決勝は未だスコアレスのままだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る