第六話 赤白鳥の奏鳴(5)ー2


 振り返ると、楓が意識を取り戻していた。

 競技中に選手が負傷した場合、動かせないような怪我でない限り、極力、時間を止めないために、選手はピッチ外へと運び出されて治療を受ける。しかし、GKゴールキーパーだけは例外だ。GK無しでは競技を再開出来ないため、その場で治療することが許される。

 今にも暴れ出しそうな顔で荒い呼吸をする楓を、仲間たちが押さえつけ、医師が止血のためのテーピングを頭に巻いていく。

のうしんとうだ。楓君、このまま少し横になっていよう」

 優しく楓をさとしてから、医師はベンチに向かって、たんを運び込むよう指示を出す。

 呼吸はあるものの、常陸は完全に気絶しているようだった。

「常陸君も同じく脳震盪だね。彼はすぐに病院へはんそうした方が良い」

 密集地帯に飛び込んだ楓とは異なり、常陸は不意打ちで吹っ飛ばされている。身構える暇さえなく頭と頭が激突したのだ。想像しただけでも恐ろしい衝撃だった。

 意識を取り戻さない常陸を担架に乗せてから、ベンチの世怜奈先生に向かって叫ぶ。

おうろうに準備をさせて下さい!」

 僕の指示を聞き、まだフィールドに座り込んでいた楓が顔色を変える。

「おい、待てよ! 俺は交代しねえぞ!」

「脳震盪を起こした選手は、最低五日間プレー出来ない。それがJリーグやプレミアリーグが採用している現行のルールだ。プロが決めたルールを、僕らが守らない理由がない」

「ふざけんな! あと一人しか交代出来ねえんだぞ! 常陸がプレー出来ないのに、俺までわれるわけねえだろ! よく考えろ!」

 レッドスワンは既に三人の選手を交代させている。残りの交代カードは一枚だ。常陸と楓が同時に下がっても、一人しか選手を入れられない。GK無しでは戦えないから、央二朗を入れてフィールドプレイヤーは一人少ない状態で戦うことになる。

 僕に話しても無駄だと思ったのか、楓はベンチに向かって叫ぶ。

「先生! 俺は代わんねえからな! おい! 聞いてんのかよ!」

 楓の声は届いているはずである。しかし、こちらを振り向きもせずに、世怜奈先生は央二朗の頭を抱き寄せて、指示を出していた。

 世怜奈先生は感情に流される人間ではない。根性論を信じる時代遅れの監督でもない。

「ふざけやがって。俺は絶対交代しねえからな!」

 頭に痛みが走ったのだろう。叫ぶと同時に顔を歪め、楓は側頭部を右手で押さえた。そんな楓の左腕を摑み、伊織が無理やり立ち上がらせる。

「それだけ叫ぶ元気があるなら歩けるだろ。ベンチに戻れ。後は俺たちに任せろ」

「笑わせるな。お前らは俺がいなけりゃ、何にも出来ねえじゃねえか。十一人でもろくにシュートを打てなかったのに、俺がベンチに下がれば十人だ。絶対に点なんか取れやしねえ! PK戦はどうなる? 央二朗に任せられると本気で思ってやがるのか?」

 ピッチの外に引っ張り出そうとする伊織の手を、楓は乱暴に振り払う。

「てめえは勝ちたくねえのかよ! 残りはたった十分なんだぞ!」

「そういう問題じゃない。お前の身体を心配してるんだ。監督の決定には大人しく従え」

 副キャプテンの鬼武先輩が楓の背中を押したが……。

「俺は誰の指図も受けねえよ! 大体、あんたたちとやれるのだってこれが最後なんだ。こんな終わり方で良いのかよ! 先輩は優勝したくねえのかよ!」

 楓は一歩も引かない。

「頂点はもう目の前だ。俺がいれば絶対に勝てるんだ! こんな怪我、どうってことねえ!」

 このままでは収拾がつかないと思ったのだろう。クラウディウスにイエローカードを提示した後で、事態に介入しようと主審がこちらに向かって来る。

 その主審を手で制してから、再度、楓の前に立った。

 多分、僕はさかきばらかえでに世界で一番嫌われている人間だ。

 出会った頃から悪態をつかれていたし、いつだってぞうごんのオンパレードである。

「楓、戻るぞ。お前は脳震盪を起こしてる。もうプレーはさせられない」

「うるせえよ。てめえごときが俺に指図するな」

「すぐに交代します。連れて戻りますから少し時間を下さい」

 主審に告げると、後ろえりを摑まれ、無理やり引きずり倒された。

「出しゃばってんじゃねえぞ。戦ってもねえ奴に指図されたくねえんだよ。黙って見てろ。これは俺の戦いだ。覚悟もねえ奴には分かんねえだろうがな!」

「……僕には分からない?」

「ああ。てめえみたいに、ちやほやされるだけの根性無しには、俺たちの覚悟なんて分かりゃしねえよ。良いか、ゆう。てめえはフィールドを去るってことが、どういうことなのか分かっちゃいない。だから、そんな下らない怪我を……」

 立ち上がったその時、頭に血が上っているのが自分でもはっきりと分かった。

 楓に皆まで言わせず、そのむなぐらを摑んで無理やりさえぎる。

「今、お前がどれだけ悔しいのか。本気で僕が分からないと思ってるのか?」

 楓は暴れて振りほどこうとしたけれど、摑んだ両手を決して離さなかった。

「分かるに決まってるだろ! 僕がどんな気持ちで、お前のプレーを見てきたと思ってるんだ。ずっと、どれだけうらやましかったか。分かっていないのは、お前の方じゃないか!」

 僕と楓を引き離そうとする主審を、伊織が止める。

「プレーをやめなきゃならない苦しさを、負傷で交代しなきゃならない悔しさを、誰よりも理解しているのは僕だ! お前の気持ちなんて分かっているに決まってる! その上で! それでも! お前を止めようとしてるんだ!」

「分かってるなら大人しく見てろ! 決勝まで行かなきゃ、あいつとも会えないんだぞ! 自分を捨てた男が憎くねえのかよ! ぶっ飛ばしてやりたいって願えよ!」

 こいつ、そんなことまで考えていたのか……。


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