第六話 赤白鳥の奏鳴(5)ー1


             5


「……これで決勝戦にはしんすけが使えない。厳しくなったわね」

 掲げられたイエローカードを見つめながら、苦々しげな眼差しで先生が呟く。

「覚悟のスライディングだったと思います」

「そうじゃなきゃ、あの表情にはならないでしょうしね」

 おにたけ先輩はボールを外に蹴り出している。正当なタックルだとおりが主審に詰め寄ったが、当事者の先輩は一切の抗議をおこなわなかった。それどころか伊織をなだめ、与えてしまったセットプレーに集中するよう、味方に指示を出していく。

 鬼武先輩が次の試合に出られない。それが、どれほどのチーム力低下に繫がるか、誰もが痛いほどに理解している。先輩を欠いた右サイドは、攻守でその力が半減するからだ。

 最大のビッグチャンスを逃した直後に、鬼武先輩の出場停止が決まってしまった。

 避けようのない落胆を経験するレッドスワンとは対照的に、ピンチから一転してセットプレーのチャンスを手に入れた翔督の意気は高揚する。

 かかせられた冷や汗を倍にしてやり返す。そんな風にでも考えているのか、それまでのセットプレーよりも明らかに多い人数が、レッドスワンのペナルティエリアに入っていた。

「何人来ようが無駄だ! 俺からゴールは奪えねえ!」

 強気な態度を見せるかえでを無視して、伊織が新しく上がってきた選手のマークを指示していく。長身選手に注意を奪われてふくへいに手痛い一撃をくらうなんて、聞き飽きた失態だ。

 誰が取っても一点は一点。ヘディングで突き刺しても、零れ球を押し込んでも、その価値は変わらない。残り時間はもうすぐ十分を切る。絶対に失点するわけにはいかなかった。


 準決勝、最大のぶんてんは、このセットプレーで生まれる。

 そして、それはこの試合を見つめる観客、視聴者、その誰もが予想しない形で起こった。

 試合再開の笛が鳴らされ、翔督が蹴ってきたのは長い山なりのボールだった。

 ボールが蹴られる直前、クラウディウスは外側に逃げて伊織から離れてから、落下地点へと駆け出している。滞空時間の長いボールを蹴ってきたことには明確な意味があったのだろう。

 クラウディウスが走り込むタイミングで、ボールがペナルティエリアへと届く。

 しかし、伊織を避けるために遠回りをしたクラウディウスよりも先に、空間把握能力に長ける常陸ひたちが、落下地点に身体を入れていた。二人の身長差はわずかに四センチ。高さでは劣っても完璧なポジショニングを取った常陸が競い合いに負けることはない。

 虚を突くサインプレーだったが、クリア出来るだろう。そう思ったのだけれど……。

「常陸! 俺に任せろ!」

 フィールドに楓の声が響く。

 ボールの軌道を見て、飛び出せばキャッチ出来ると判断したのだ。ジャンプしかけていた常陸の上に楓が手を伸ばし、次の瞬間……。

 落下地点に突っ込んだクラウディウスが、全体重をかけて常陸の身体に衝突する。

 彼は常陸を強引に吹っ飛ばして、制空権を奪おうとしたのだ。


 飛び散ったのは、激しい火花でも、汗でもなく、血しぶきだった。


 既に常陸はジャンプした後だった。空中に浮いた状態では、ふんばりもかない。

 全速力で走り込んだ巨漢の体当たりをくらい、大きく弾き飛ばされた常陸の頭が、ボールのキャッチングを試みて両手を伸ばしていた楓の側頭部に激突する。

 誰がどう見ても、気持ちの暴走した悪質なファウルだった。

 だが、問題はそのでも、ボールの行方でもない。

 落下してきたボールに誰も触れず、逆サイドに流れたボールを、翔督の選手が無人のゴールへと蹴り込んだが、シュートを決めた本人も認められるわけがないと理解していたはずだ。

 即座に主審が笛を吹いて試合を止め、レッドスワンの仲間たちが、地面に叩きつけられたまま動かない二人に駆け寄る。

 ベンチの前からでもはっきりと分かる。楓は頭から血を流していた。

 すぐさま主審が、スタッフをピッチへ入れるようサインを送ってくる。

 レッドスワンで医療スタッフとして登録されているのは、試合に帯同している医師と、コンディショニングコーチとしても働く僕である。

 二人の下に僕らが急ぐと、通り道を開けるために、レッドスワンの選手で出来た輪がゆるみ、心配そうな顔でクラウディウスが楓をのぞむ。そして……。

「近寄るな! 自分が何をやったか分かってんのか!」

 怒りに顔をゆがめた伊織が、クラウディウスを突き飛ばす。

「てめえ、間に合わないって分かっていて飛び込んだだろ!」

「落ち着け! 伊織!」

 げつこうする伊織を抱き止めて、クラウディウスから引き離す。

「離せ! こいつが何をやったのか……」

「楓と常陸の確認が先だ! ファウルは審判が見てる! お前にまでカードが出るぞ!」

 僕を振り払おうとする伊織の動きが止まる。

 伊織の激昂を受け、クラウディウスはあおめた顔で僕らを見つめていた。


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